第15回 ついに会いに来ました、モアイ殿 !

地球はやっぱり青かった!

絵本作家・森本順子氏がPEACEBOATで巡った世界1周の船旅の記録
文・イラスト・題字=森本順子

第15回 ついに会いに来ました、モアイ殿 !

南米大陸、ペルーを後にエルニーニョ発生海域を横切り、南太平洋を西南西に向かって進む1人ぼっちの白いわが船モナ・リサ。海の怒りに揺さぶられる夜、眠れぬままに枕元のカーテンを開けば、べったりとした闇の窓ガラスが心細げな私の姿をぼんやり映す。しかし、夜が明ければ、壮大な日の出を背に甲板でのラジオ体操でいつものように1日は始まり、盛りだくさんのスケジュールに追われる日々が続く。
さて、本国チリから約3,800キロ。絶海の孤島イースター島へ向けて船はひた走り続けて7日目に、未だ明けきらぬ南太平洋の彼方にその姿を捉えた。
 周囲60キロそこそこのこの島に、NASAの緊急着陸地にも使用されるという全長3,300メートルもの滑走路を持つ飛行場があるのに、なんと接岸可能な港らしいものがない。ゆうに2キロぐらいは離れた沖合いに停泊したモナ・リサ号からの上陸は8人乗りのテンダー・ボートの往復で行う。各自オレンジ色の軽いがかさばる救命胴衣を着込んで、縄梯子のようなタラップの手すりを頼りに恐る恐る降りて行き、大波に上下するボートから両手を伸ばして待ち受ける屈強な現地人の男の腕の中に倒れ込むようにして乗り移る。タイミングを外したらそれこそドボンとなりかねない。ボートはまるでジェットコースターのように繰り返し大波のテッペンに押し上げられ、一気に谷間に引きずり込まれ、しぶきをたっぷりかぶりつつ、スリル満点の約10分余り、やっとの思いで島のガンギに辿り着いた。
それにしても何という海の色だろう。過去、このように見事な色の海にお目にかかったことはない。無数にある色彩名のどれでもない。強いて言えばアクアブルーか。それがガラス以上にキラキラと透明なのだ。ふと『限りなく透明に近いブルー』と、どなたかの小説の題名を思い出してしまった。その宝石のような海色に囲まれた憧れのイースター島では、黒髪にオーク色の肌の人々や、走り回る素っ裸の天真爛漫な子どもたちが、一様に屈託のない明るいのんびりした表情で迎えてくれた。

地球はやっぱり青かった!

 はやる気持ちを押さえ、仰ぎ見る。それらは碧く輝く大海原になぜか一様に背を向け、どっしりと堂々と立っていた。いにしえのこと、最も近い隣の島でさえ、2,000キロの先であれば、外敵襲来の恐れは稀なこと。問題は島の内側にあった。人口問題や天候異変などから食料をめぐって深刻な種族間争いを繰り返し、島全体が疲弊しきった時の神頼み、モアイの巨像を岩山から彫り出し、民を見守るように海岸に立てめぐらせ心の支えとしたらしい。見上げれば、黒い巨像たちは島のたどって来た長い悲しい歴史の数々をその額の陰に刻まれた深いまなざしに秘め、楽園の今の平和を静かに見つめていた。
 優しい稜線の丘陵やなだらかに広がる草原に、巨大キノコよろしくニョキニョキ生えたモアイ、群れから外れて孤独な1人ぼっちのモアイ、帽子か冠かを戴いたモアイ。以前、大津波のためになぎ倒され、半分土に埋もれたまま放置されているモアイ像群のあることを知った、四国は松山市のとあるクレーン製造会社が立ち上がり、4年をかけて、このポリネシア圏最大の遺跡を立派に生き返らせた由。ここにもまた誇れる日本人の足跡を見た。
これらの巨像を生み出したというラノララク山に登ってみた。そのなだらかな岩盤の斜面にたった1つ、寝転んでこちらを向いたモアイの大きな顔面が彫り残されていた。おそらく次に胴体や足を彫り進め、完成させたのであろうが、4階建てのビルほどもあるような岩石の巨体を、いかにして海辺まで運び、立て得たのであろうか。
 それにしてもこの島の持つ、何ともおっとりした穏やかな心地良さは何なのだろう。しばし、この島に時を忘れて抱かれていたいとつくづく思った。万が一、もう1度この島を訪れる奇跡に恵まれたら、空路ではなく、やっぱりあのテンダーボートに乗り、「限りなく透明に近いブルー」の大波に揉まれて島に渡り、モアイ像に見守られながら、本物の「平和」をじっくり味わってみたいものである。


PROFILE もりもとじゅんこ
◎1932年3月31日生まれ、広島市出身。シドニー在住。45年8月6日13歳の時、広島市で被爆。82年50歳でオーストラリアへ移住。著者自らの被爆体験を描いた英語版絵本「My Hiroshima」ほか、日本民話の英語版絵本「鶴の恩返し(The White Crane)」「一寸法師(The Inch Boy)」「わらしべ長者(A peace of straw)」「なめとこ山の熊(Kojurou and The Bears)」「仁王とどっこい(The Tow Bullies)」など著書多数。84年から4年連続で豪州児童図書評議会賞を全国3位、2位、2位、1位受賞。97年と98年にNSW州児童文学賞およびオーストラリア児童図書評議会賞1位を受賞。

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