T子さん

極楽とんぼの雑記帳

エッセイ201
ブレア照子
イラスト・タイトルデザイン:森本順子

T子さん

 ここに入居したおかげで精錬潔白な古武士を思わせる日本 人女性に会うことができた。短い期間だったが…。T子さんは 世を去った。惜しんでも惜しみきれない。
  現在自分が生活しているホームを 「変形脳の人間博物館(私もその1人だ が)」とか「棺桶待合室」などとけしか らぬ呼称で呼ぶ私が、ここに入居して3 年が経った。生活パターンも大変化を遂 げ、私は間もなく86歳を迎えるが、持っ て生まれた「そそっかしさ、おっちょこ ちょい」は一向に快方に向かう兆しもな い。しかし「遅すぎるよ」と諦めるもの 嫌なものだ。
 入居した日、私の到着を前もって知っ ていたらしい老女が両手を広げて現れ、 「あなたの入居を2週間も待っていまし た(その後は2週間が4週間とか数カ月に 変わったりもしたが)。食卓もほかの日 本人の方と座れるように私が手配しまし た(でもこれは真っ赤な嘘だった)」と 言ってきた。ちょうど昼食時、彼女は食 堂に入り、私の右隣の席につく認知症ら しい女性Jさん(元ハイスクールの図書 室に勤務)を私に紹介し、左隣の席の日 本人T子さんも紹介してくれた。食卓は ほとんどが4人掛けである。
 その当時、T子さんは頭が丸刈りだっ たので、彼女からは「女性」とは程遠い 印象を受けた。衣服は男ものの洗いざら しとしか表現のしようのないものだっ た。寡野な人だったが、昼食を取りなが ら彼女が東京都出身、1925年11月14日 が誕生日だということが分かった。私と 同い年だ。「11月14日といえば、1953 年のその日、あなたはお誕生日祝い。私 は生後2カ月の息子を抱いて、肉親たち と別れ、泣く泣く神戸港から夫の国、 オーストラリアに向かって日本を去った日です」と言うと、彼女は「私は夫の任 地、ワシントンへ発った日です」と言っ た。夫君は外交官だったのである。
 同日の夕食で、「あなたが卒業された 小学校、女学校、大学の名を当ててみま しょうか ?」と聞くと、彼女の目の焦点が さっと私に注がれた。どきりとするよう な切れ長の目だ。「幼稚園、小学校、女 学校はフタバ。大学は聖心女子大。違い ますか ?」彼女は私の目の奥をのぞき込む かのように、じーっと見つめ、頷きなが ら「よくご存知ですこと !」と言った。
 彼女は、日常のあいさつ以外、自分か ら口を開かぬ人だった。彼女の言葉遣い から、上流家庭の育ちであることは容 易にうかがえる。つまり、付け焼刃の 「お上品言葉」ではないのだ。ある日、 「ねえT子さん、こうして会話を交わし ていたら、私たちのどちらが先にお上品 になるか下品になるのかしらねえ」と 墨にも付かぬ質問をしたところ、彼女は「さぁ・・・」と小首を傾げ、楽しげにく すくすと笑った。彼女が笑顔になると、 別人に見えることを発見した瞬間だっ た。しかし私のこのどうしようもない質 問への答えを聞ける日は、ついに来な かった。

極楽とんぼの雑記帳

 ダイニング・ルームからそれぞれの部 屋へ帰る途中、突然足を止めたT子さん が小声で「照子さん、私、ここを出るこ とになりましたの」と言った。「えーっ !? どうして ? いつ?」私にとっては晴天 の霹靂だった。「明日の朝です」。「明 日の朝ですって !? なぜここを出なきゃ ならないんですか ?」「お聞きにならないで」。それ以上聞いてはならぬ複雑な 事情があることを彼女の表情から察しら れた。彼女の移る先が、個室の少ない格 落ちのホームであることを後日、スタッ フから聞いて胸が痛んだ。大使夫人の時 代もあったT子さんの現在の姿…。私は 食堂に行くのが辛かった。右隣の席のJ さんが、私が着ているものを(20年以上 も着古したもの)「すてき ! 今まで見た ことがありません。ねえ、T子」と、T子 さんの同意を促した。いつものパジャマ を着て、Jさんに向かってにこやかに頷 くT子さん。その様子をそばから見てい て、私は耐え難い苦痛を感じていた。
  T子は腰骨を折り、その手術後に重病 にかかり(病名を聞いていない)、それ から当ホームへ入居。毎日欠かさず歩行 器を頼りに、近くの海岸までの散歩行っ ていた。背筋をぴんと伸ばし、周囲に視 線を外さずに歩みを運ぶ彼女の姿から、 私は武士道に徹した清廉潔白な古武士 の、凛としたオーラを感じ、常に襟を正 す思いをしていた。
 T子さんがここを去ることを余儀なく された理由は、ホームへの支払いが1年 半未納だったそう。そのことを知り、私 はショックを受けた。長年、外務省勤務 の外交官だった夫君。T子さんもフラン ス語を専攻し、外務省勤務。2人の年金 と収入は十分あったはずだとある筋から 聞いていたのだが…。しかし数カ月後、 T子さんは彼岸へ旅立った。
 近郊に娘さんと高校生くらいの孫娘が 住んでいるとは聞いてはいたが、彼女ら がT子さんを訪ねているのを見たのは、T子が引っ越す日だった。近くのスーパー で娘さんに出会ったので、T子さんのこ とを尋ねると、「母はあちらの生活に慣 れ、とても元気です」と答えた。しか し、この時T子さんが入院中だったこと を彼女の没後に知り、はらわたが煮えく り返る口惜しさを覚えた。あの時教えて くれていたら、見舞いに行けたのに。も う2度とこの世で会えないのだ。
  数カ月後、彼女がとても愛し、毎日歩 行器を頼りに足を運んだ、ホームに近い 海岸に「母の遺灰を流します」と娘さん から知らせがあり、私たちは添い合って 出かけた。その時、娘さんが読み上げた T子さんの生い立ちの1部に、彼女が18 歳の時、高名なピアノのコンクールで3 位に入ったこと、NHKや方々から演奏 の依頼があったが、決して応じなかった ことなどを知った。人間社会における身 分、栄華など、歯牙にもかけずに超然と 世を去ったT子さんの遺灰が、花々とと もに渚の白波に呑まれていく。私は日本 語でT子さんに呼びかけた。
 「さようならT子さん。あなたとお友達 になれたこと、誇りです。感謝していま す。昔、日の当たる場所で華やかな人生 を歩まれたあなたが、現在をかこったこ とは1度もありませんでしたね。常に凛 とした姿勢を崩さなかったあなたでし た。入っていかれた “次の世” では、先立 たれたご主人、ご両親、ご兄弟たちがお 手を広げ、お待ちかねの幸せの灯火が輝 いていることでしょう。その輝きに包ま れ、愛する方々とゆっくり幸せを満喫な さってくださいね。さよならT子さん !」


筆者プロフィル/ブレア照子(Teruko Blair)
1925年生まれ、広島市出身。旧制女学校卒。45年、広島市内の自宅で被爆。第2次世界大戦終戦の数年後に知り合った豪軍人ウィリアム・ブレアと結婚し、53年に来豪。82年に死別した夫との間に3人の子どもがいる。現在サウス・コースト在住。著書に、本紙に連載していたエッセイをまとめた「オーストラリアに抱かれて」、現在も本紙連載中の「英語とんちんかん記」(ともにテレビ朝日出版)がある。本連載のイラストを手掛けるシドニー在住の絵本作家・森本順子は実妹に当たる。

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