薬の副作用

極楽とんぼの雑記帳

エッセイ192
ブレア照子
イラスト・タイトルデザイン:森本順子

薬の副作用

 NSW州の学校は2週間の休暇に入るので、教師をしている長女ヘレンはカナダへ行くことにした。甘ったれの私は長女が不在になる度「孤児になったぁ」とぼやく。そのせいかどうか長女は毎年私が訪れる、州の北部沿岸に住む次女ティーナの所へ行く手配をしてくれた。彼女はキリスト教系カレッジで数学と日本語を教えている。27日からは新学期だ。ところが予定は大狂い。予定を8日オーバーして帰って来た。右手首の手術騒ぎ以外、頭は別だが至極元気、動作も機敏だったのでスタッフたちから『フラッシュゴードン』と揶揄されたものなのに、8月下旬の今も、ふーらり ゆーらり目眩と脱力感に悩まされている。理由は以下の通り。
 次女宅に着いた翌週、次女の夫、イアンの車で彼らの長男、ピーターを訪ねる旅に出た。都会を避け地方の学校の教職に就きたいという孫の希望が叶い、今年の1学期からNSW州のど真ん中、N町の中・高校で科学と地理の教鞭を執っている。ずいぶん遠距離だと前々から聞いてはいたが、孫に会いたい一心、学校も休暇だ、ゆっくりした時間が…と思い参加を決めた旅だった。  往復に2泊を要する。この2泊プラス孫宅での3泊、計5泊に加わる入院騒ぎ。疲労困憊、連続の旅だった。
 出発当初は良かった。のどかな風景、緩やかな起伏、美しい緑。それらは、内陸へ進むうち視野から消えてしまい行けども行けども乾いた荒野。たまに巨大な緑の絨毯を敷いたような農園が見えると思わず深呼吸。緑には人間をほっとさせるものが潜んでいるようだ。そこを過ぎると寒々とした冬枯れの大地が延々と続く。モーテルに一泊し、翌朝7時前に出発。疲れてはいたが孫に会う日だと思うと心が弾む。傾斜もなく遥かに続く一直線の道、色彩というものを振り落としたかのような寒々とした曠野を、ひたすら車は走る。あと20分ほどで孫の住む町に着くとイアンが言った時、私は辛くなってきた。地方勤務が希望だったとはいえ、こんな殺伐とした遠い奥地で3年間も辛抱するのか…。
 4時間半後、ついに着いた ! 着いた ! 孫の所に ! 「この町で教鞭を執ることに手応えと充実感がある」と言う孫の語調の確かさに、救われた思いの私だった。  翌朝、DUBBOへ案内された。この地方最大の町だそうだ。次の日は、銅を発掘するCOBARへ。疲れで気分が勝れなかったが、孫のもてなしだからと思い同行した。風景は『転た荒涼』『文化果つる処』と言ったら孫は何と答えただろうか ?
 その朝、出発前に娘はラムの腿肉の両面を焼いてからスロークッカーに入れ、8時間にセットして出かけた。
 翌朝4時ごろ、猛烈な吐き気に襲われトイレに駆け込むのがやっとだった。6回駆け込んで吐き、ぐったりとして部屋に戻ったところへ慌ただしく入って来た娘が『イアンとお母さん、今すぐ病院へ』と言って私にガウンを羽織らせた。財布、カード類の入ったバッグだけ持ち孫の車に乗る。孫の家から目と鼻の所、建って1年半足らずの白い小さな病院に着いた。娘に抱きかかえられるようにして中に入る。日曜日の早朝のせいか待合室はがらんとしていた。間もなくナースが血圧を測りに来た。85-59と読めた。筒状の嘔吐用袋をもらっていて良かった。呼ばれて待合室を出る時7度目の嘔吐をしたから。イアンと私は羊肉による食中毒と診断されて注射を受け、脱水症状なので点滴を受ける。点滴の中にも何か入れたようだ。小さな病院なのに私は広い個室へ入れられた。
しばらくして、恐怖心をそそるひどく速い鼓動、しかも不整脈なので不安になったところへイアンが私の様子を見に来たので告げると、彼は「すぐにブザーを ! 」と真剣な表情で言った。ナースが来て間を置かずドクターの姿が見えた時、何かほっとした気分になった。鼻と口は酸素マスクの中だ。私の右側にごろごろと運ばれて来た物体が何なのか、頭部を自由に動かせないので見えないが、右腕に血圧計のバンド ? がはめられたから心臓の動きを見張る機械かもしれぬ。右手の甲の血管に針は刺されたままで痛い。一定の時間置きの血圧測定は自動。その度に腕のバンドがギューと締まる。ナースが度々様子を見に来る。私の両腕は左右に開いたまま、まるで磔だ。会いに来た孫が『ばあちゃん』の有様を、血の気の引いた顔で見守っていた。次女は足繁くやって来て私を励まし、平素なら見せない、実に細やかな気配りをしてくれた。
 一昨年4月、次女夫婦と長女の3人が裏日本の旅を終え京都に着いたころ、広島で被爆者健康診断を受けた私は、「肺癌の疑いがあるので、精密検査を」と告げられた。長女に連絡するとその日の午後、彼女が私の滞在しているメルパルクに現れ、びっくりした。翌朝の奈良行きの予定は次女夫婦2人で実行する手配をして、ひと足早先に来たという。翌々日昼前、次女夫婦が到着。フロントの喫茶の入り口に、大きなバックパックを担いで現れた次女が、がっ ! と私を抱き締め、真っ赤な顔で、口を開け、躯の底から強く吐き出す息の、声にならぬ号泣をした。滴る大粒の涙…。
 あの時の次女の止むに止まれぬ表情、声にならぬ号泣、彼女に抱き締められた感覚が、磔状の、私の脳裏に生き生きと蘇り、母親冥利に尽きるという思いを深めた。後で知ったが、次女も点滴を受けていたのである。「軽症だったよ」と彼女は言ったが。
 3日目、磔から解放され退院後、孫のところに2泊してから私たちは帰途に着いたが、車を降りる度、目眩、脱力感で足許が覚束なく、娘に支えられた。これは退院の時に処方された、鼓動が激しくなるのを抑える薬の副作用。5頁にわたる説明書の副作用の欄にいろいろ並んでいるが、それらすべてを体験するとは限らぬようだ。目眩、脱力、倦怠感は服用を始めて1カ月余り経った今も続いており、副作用の1つである異常な夢もよく見るが、さて1週間前の朝のこと、ベッドから起き上がろうとしたら、右腕の酷い痛み、羽布団の外に手をだすのに難儀した。ようやく上半身を起こしたが両膝の裏側と左右の腿の激痛 ! 床に足を着けるのにひと苦労した。そして、立ち上がるのはもっと大変だった。低いところの物を取り出すのに中腰になれず、ようやくなっても立ち上がれぬ。ダイニングルームへ行くにもよちよち、ゆらゆら。ひょっとすると薬の副作用 ? でも1カ月余りも経った今ごろどうして ? 苦痛に耐えきれず、ついに昨日の朝は泣いてしまった。
 長女ヘレンに連れられ主治医に会いに行った。果たせるかな、私の症状は薬の副作用だと診断された。受けた指示は、1. 1日2回飲む半粒の薬を夜1回に減らす、2. 4日目からは服用を止め、様子を見ましょう。以上である。この指示に従い、副作用の苦痛から解放されることを私も娘も期待して止まない。
 岬を歩く朝の習慣に1日も早く戻りたい !!

薬の副作用

筆者プロフィル/ブレア照子(Teruko Blair)
1925年生まれ、広島市出身。旧制女学校卒。45年、広島市内の自宅で被爆。第2次世界大戦終戦の数年後に知り合った豪軍人ウィリアム・ブレアと結婚し、53年に来豪。82年に死別した夫との間に3人の子どもがいる。現在サウス・コースト在住。著書に、本紙に連載していたエッセイをまとめた「オーストラリアに抱かれて」、現在も本紙連載中の「英語とんちんかん記」(ともにテレビ朝日出版)がある。本連載のイラストを手掛けるシドニー在住の絵本作家・森本順子は実妹に当たる。

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