「友の会」のキャンベラ集会

極楽とんぼの雑記帳

最終回

ブレア照子
イラスト・タイトルデザイン:森本順子

「友の会」のキャンベラ集会

 今年の11月8日、キャンベラで開催された日系国際結婚友の 会、3日2晩の会合に参加した。この会はアメリカの支部として10 年間続いたが、オーストラリア支部の世話役をしてくださった田 村恵子博士の多忙なお仕事との両立が難しく、会は解散。がっか りした仲間たちと、現、世話役をしてくださっているファイフ浩 子さんたちから「せっかく10年間続けたのに」と大いに残念がら れた。私は「高齢だし、パソコンも運転もできない。私たちより 若く、定職に就いていないあなたがやったら ?」と浩子さんに水 を向けると「ああ、いいわ」ひと言の下、世話役を引き受けてく ださり、会と旧会員は息を吹き返した次第である。

 「友の会」ではその後、アデレード、 メルボルン、タスマニアなどの旅行が企 画され、アデレードの旅には参加できた が、変な病気のイジメに振り回され、そ の後の旅は見送るほかなく、私の痛恨事 であっただけに、この度のキャンベラに おける集会はありがたかった。

 昔の仲間は言うに及ばず、1950年以来 の親友、信ちゃんとの再会、嬉しさに言 葉もしどろもどろの態だった。

 翌9日は、日本大使館へ表敬訪問。玄関 の階段を上りつめると、大使館員の方々 からにこやかに迎えられた。文化担当の 古い友達、澄江さんとは去年の天皇誕生 祝いの日以来だ。自衛隊記念へのお招き には出席できなかったので、新任の大使 にお目にかかるのは、この日が初めて だった。

 佐藤全権大使の格別なご厚情による、 午餐会も用意されていた。4脚の円型の テーブルには真白なテーブル・クロス、中 央には公邸のお庭に咲いた4色の大輪の薔 薇が1輪ずつ飾られ、名札を見ると大使の 右側にハウズ愛子さん、左側に私の名が あった。

 胡麻豆腐と酢のもの。メインは隣室の テーブルに用意されており、各自が自分 の皿に選んで取り、元の席に戻っていた だく様式だ。どのお料理も舌鼓を打つ美 味しさ。お料理は、大使のシェフの手に よるものと伺った。

 大使との会話で、大使が私のことをと てもよくご存知なのに驚いてしまった。

 素晴らしい思い出ができたと仲間たちの声。

 この会が発足して以来、私は執拗な健 康の変調のイジメを受け、難儀をした。 そのため、タスマニアやメルボルンの旅 に参加できなかった。早くから航空運 賃、ホテル代などを支払ったのに…。残 念な思いをした。でもこの度のキャン ベラの会には何とか参加でき、幸いだっ た。仲間たちとの久しぶりの再会に、体 の裡から沸々と元気が湧き出る思いを味 わった。キャンベラの会に参加できたこ とを、目には見えぬ何かに向かい、私は 感謝の合掌をした。

 * * * * *

 さて、私のエッセイを愛読してくだ さった方々にご報告をしなければならな いことがある。12月号で「極楽とんぼの 雑記帳」は第204回を迎え、それが最終 回となる。思えば、日豪プレスとのご縁 は、1986年1月号から書き始めた「豪州 つたい歩き」の2年間と合わせると、25 年になる。「豪州つたい歩き」を出版し ないかという話が日本で持ち上がり、原 稿用紙144枚ではとても足りないので、 書き足すようにと言われ、何枚書き足し たのか思い出せないが、でき上がった本 『オーストラリアに抱かれて(挿絵は、 妹、森本順子)』は257ぺージに収まり、 発行は1991年9月。

 「徹子の部屋」から出演の声がかかり 訪日し、帰豪すると、再び何か書くよう にと日豪プレスからお話があり、「英語とんちんかん記」を連載中、「極楽とん ぼの雑記帳」の掲載が始まった。それが 延々第204回を迎えたのである。

  25年の歳月は、手綱を弛めず、容赦も なく私を86歳の老婆にした。夫を見送っ て30年が流れた。

 言い放題、書き放題、思慮の浅い私 を、日豪プレスは実に寛大に受け入れて くださった。25年間もである ! 深甚…い や、それ以上の感謝の思いを捧げてやま ない。

極楽とんぼの雑記帳
シドニー日本人会婦人部主催のチャリティー講演会で講演した妹(左)と私

 そして、「極楽とんぼ…を毎回待ちか ねて愛読しています。応援しています。 いつまでもお元気で書き続けてくださ い」とおっしゃってくださる読者の方々 がおいでになることが、どれほど励みに なったことか。お会いしたこともない読 者の方々に、紙上をお借りして、篤い感 謝の気持ちをお伝えしたい。

 日豪プレスからの執筆の話があった 時、全く自信のなかった私を励ましてく れた長女、次女。そして妹の順子は「書 きなさい。掲載する写真がなければ、私 が挿絵を描いてあげるから。机の前に座 り込んでいつも何か書いていたお姉ちゃ んの姿を取り戻してほしい。このごろの お宅は、ふわふわしすぎているよ」。

 妹と娘たちの強い励ましがあったか ら、ようやく筆を執った私だった。

 挿絵を引き受けてくれた妹は、ひどい 虚弱体質で「3歳まで生きられるだろう か」と案じられた。人見知りもひどかっ た。彼女が心を開いた相手は、母と、私 くらいだったろう。成長に従い、正しいことには頷くが、その反対には、決して 妥協しなかった。小さな口を「への字」 に曲げて。7歳年上の私が、たじたじと なったものである。

 こうすれば必ず良い結果になると分 かっていても、決して妥協しなかった。 頑固で、清廉潔白な性質は、武士道に徹 した古武士を思わせた。ぐうたらな私 を、心酔、尊敬し、彼女にとっての私 は、まるで「絶対」の存在だった。父が 「仲のええ姉妹よのう。骨がなかったら1 つになるかものう」と、私たちの仲の良 さに目を細めていたのが懐かしい。

  姉思いの彼女は、戦後、ハワイの叔母 が送ってくれる衣類に手をつけなかっ た。当時、私は、広島市から30キロあま り離れた呉市に住む姉夫婦宅に寄宿し、 英豪駐留軍に職を得、週末にしか広島の 親元に帰れない。その私が帰って来て、 好きな服を選ぶまで妹は決して手を出さ なかったという。姉妹喧嘩など私たち姉 妹にとってはまるで遠い世界の話であっ た。仲が良かったのは、彼女が素直だっ たからに違いない。

 京都の美術大学を終え、妹は社会に出 た。妹は、ひ弱だが、正しい、と信ずる と、不正に対し非常に剛胆になる。私も 何度も舌を巻いた。

 そんな妹がボランティアで私の手記に 挿絵を描いてくれた。四半世紀も ! 妹のおかげで私の稚拙なエッセイが生 きて、204回目を迎えることができた。

 コロよ(妹のニックネーム)、長い 間、ほんとにほんとにありがとう !


筆者プロフィル/ブレア照子(Teruko Blair)
1925年生まれ、広島市出身。旧制女学校卒。45 年、広島市内の自宅で被爆。第2次世界大戦終戦の数年後に知り合った豪軍人ウィリアム・ブレアと 結婚し、53年に来豪。82年に死別した夫との間に3人の子どもがいる。現在サウス・コースト在住。 著書に、本紙に連載していたエッセイをまとめた「オーストラリアに抱かれて」「英語とんちんか ん記」(ともにテレビ朝日出版)がある。シドニー在住の絵本作家・森本順子は実妹に当たる。

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