第7回 松村勇太さん(26歳)

がんばるワーホリ・メーカーに直撃インタビュー
前向きっ!ワーホリング

前向きっ!ワーホリング
オーストラリアで頑張るワーキング・ホリデー・メーカーたちにインタビューを敢行し、ワーホリの魅力や生の姿を伝えるこのコーナー。第7回は、調理師としてビジネス・ビザを取得するため奮闘する松村勇太さんを直撃!
ワーキング・ホリデービザの発給数の推移
2005年 9,421人
2006年 10,939人
2007年 11,217人

第7回 松村勇太さん(26歳)
ワーホリ1年10カ月目
調理師


夢実現のため、包丁を ノコギリに持ち替える!?
 横浜の夜景を眼下に見下ろす、某有名ホテルのイタリアン・レストランで調理師として働いていた松村さんには、ある1つの悩みがあった。「調理師がお客様の目の前で調理をすることがあるのですが、海外からのお客様が来た時に英語で会話ができなかったのが悔しかったんです」。
 松村さんは、職場の先輩から豪州のワーホリ制度の話を聞き、英語力を鍛えるため渡豪を決意。「趣味のサーフィンも思いっきり楽しみたかったので、ゴールドコースト(GC)に行きました。オージーの人とシェアをし、なるべく日本人とはつるまないようにしていました」。語学学校に通い、余暇にはサーフィンを楽しむ日々。もっとこの生活を楽しみたいと考えた松村さんはセカンド・ワーホリ・ビザ(SWH)の取得を考える。SWHを取得するにあたり、彼が選んだ仕事は“木こり”。調理師の命ともいえる包丁を捨て、ノコギリを持った彼は、大好きな海辺の街をも離れ、計8カ月間も山にこもることに。
「こうなるともう、調理師じゃないですよね(笑)。ただ、ワーキング・ホリデーに出て感じたのが、“何にでもチャレンジできるんだ”ってこと」。日本ならば仕事を変える際、転職はあまり響きの良い言葉ではない、年齢制限、キャリアの一貫性…といった悩みが付きまとう。だが、豪州にはそういった日本の社会的通念には縛られない自由さがあると感じた松村さんは、“木こり業”にまい進。「1日平均200ドルほど稼ぎました」というから、まさに木こりのプロ!

何にでもチャレンジ できるという勇気が 湧いてくる

時間はない。でも諦めない
 しかし、どこかに置き忘れた調理師としてのプロ意識はやがて、日常からふつふつと湧き上がってくる。「こっちはよくホーム・パーティーをするでしょ。仲間内でパーティーをする時は、元(!?)調理師ってことで、僕が料理を振る舞うのですが、すごく喜んでくれるんです。そんな人に喜ばれる仕事というのは、やはり続けていくべきなんだと改めて感じました」。ワーホリ2年目、遅まきながらゴールは決まった。「こっちでの生活をもっと続けたい。できれば、ずっと。調理師という職業は永住権取得にも有利な職業ですから、まずはローカルのレストランで働くことにしたんです」。調理師としてのキャリアは3年ある。恐れるものはなかった。
 しかし、である。「GCで働いたレストランは給与未払いとオーナーが警察沙汰になってアウト。SRSビザ(技術地方スポンサー・ビザ、永住権)の可能性を求めて、ブリスベンからバスで18時間のところにあるモーテル内でのレストランでも働きましたが、その店は人材が不足し過ぎているのか、料理長が日替りでまったく先が見えない」。ならば、目指すは最大の都市・シドニーだ。だが、気付けばワーホリ2年目も終わりに近付いていた。
 シドニーでようやく辿り付いた職場は、振り出しに戻ったかのようにイタリアン・レストランだった。「今は、日本では経験のないデザート作りをさせてもらっています」。まずはビジネス・ビザを取得できるように一心不乱に働いているという彼だが、取材時点でビザの有効期間は残り2カ月。ビジネス・ビザ取得の可能性は薄いという。「学生ビザに変えてでも、調理師を続けるつもりです。将来はこっちで自分の店を持つのが夢ですから。何にでも挑戦できる勇気をこの国からもらったので、やれるだけのことはやってみます」と目を輝かせる松村さんは、取材後、デザート作りを学ぶため休日返上で店に向かった。

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