カルチャー・アイ「英語能『Oppenheimer』」

CULTURE EYE カルチャー・アイもっと知りたいオーストラリアの歴史や楽しみ方を、気になるイベントや、この国にまつわる文化作品を通してご紹介。毎日見る景色とは違った視点から、今まで知らなかったオーストラリアの魅力や奥深さに出合えるかも。

(取材・文=関和マリエ)

今回のピックアップ▶▶▶ 英語能『Oppenheimer』

日本の伝統芸能である「能」を英語で観るという体験がどんなものであるか、会場に入るまでは具体的に想像がつかなかった。実際にセリフも謡(うたい)もすべて英語、しかしそこには日本語の能と同様に言葉を長く引き伸ばすような独特の節回しがあり、舞台背景の大型スクリーンには英語・日本語の字幕が流れる。

9月30日にThe Sydney Conservatorium of Musicで初演された『Oppenheimer(オッペンハイマー)』は、シドニー大学で音楽学の教鞭を執っていたアラン・マレット氏により書き下ろされた英語による能作品。戦後70年の節目である2015年にふさわしく「ヒロシマ」に投下された原子爆弾を作ったロバート・オッペンハイマーをテーマとした、哲学的・禅的な側面を多分に持つ観ごたえのある物語だ。

オッペンハイマーの亡霊(左)と巡礼者の出会いのシーン(前場)

日本の能舞台とほとんど同じように設えられた舞台上では、装束をまとった演者、紋付袴の地謡方(じうたいかた)にアジア人と西洋人の顔が入り混じる。能は日本語で観るものという先入観が知らぬ間にあったが、演者や後見(こうけん/演者のサポート役)の所作、耳慣れた囃子方(はやしかた)の笛や鼓の音色に押されるように引き込まれていくと、そこは紛れもない「能」の世界だった。

 

英語能『Oppenheimer』の物語

『Oppenheimer』公演パンフレット英語で書かれた同作だが、物語の舞台は日本だ。ワキ(物語の聞き手)は四国からお遍路に出た巡礼者で、辿り着いた広島の古い寺で亡霊と出会う。シテ(主役)であるこのオッペンハイマーの亡霊は、自身が作った原爆により無数の人々を生きながら焼いたこと、それに苛まれ未だ亡霊としてこの世をさまよっていることを告白する。救われることのないその苦悶は生まれ変わるごとに強くなり、それでも輪廻の輪から逃れ出ることができずにいる、と彼は苦しげに言い残し姿を消す。ここまでが物語の前場(まえば)(前半)だ。

この後、間狂言(あいきょうげん/能の前場と後場の間に入る狂言)の中で、輪廻転生から抜けられず狐の姿で生まれ変わることを余儀なくされた僧侶の話が、地元に暮らす兄妹(父を原爆で亡くした)によって巡礼者に語られ、恐るべきオッペンハイマーの亡霊もそのような状態にあるのだろうと推測されながら後場(後半)へ入っていく。

 

『百丈野狐(ひゃくじょうやこ)』の因果律の世界

ここで登場した狐のエピソードは、公案(禅問答)を集めた『無門関(むもんかん)』という中国・宋の時代の書物に収められた『百丈野狐』という説話がベースとなっており、『Oppenheimer』の物語全体を読み解くポイントでもある。これは「因果律」についての説話の1つで、「輪廻転生」という概念も登場する。

~百丈野狐あらすじ~
百丈という禅僧の前に老人の姿をした狐が現れ「私を助けてほしい」と乞うので、百丈が理由を尋ねると「かつて私も僧侶であったが、ある修行者が『修行を重ね悟りの境地に達した人は因果律の制約を受けるか、受けないか?』と質問をしてきたので、私は『不落因果(ふらくいんが)(因果の制約を受けない)』と応じた。その答えにより私は野狐の身に堕ち、500回も生まれ変わりを繰り返すことになってしまった」と狐は言う。
狐が百丈に、自分が昔受けたのと同じ質問をすると、百丈は「不眛因果(ふまいいんが)(因果の法則をくらますことはできない)」と答えた。狐は百丈の言葉によって深く悟り、野狐の身を脱した直後、人間として死を迎える。

因果律とは「すべての物事は何らかの原因から生じた結果であり、原因がないところには何も生じない」という法則。卑近な日常のみならず昔ながらの物理学などにもこの法則が適用され、またこれによって説明されている。つまり我々人間の生活とは切っても切れない概念なのだ。

『百丈野狐』に登場する狐となった元僧侶は、「(自分のように)立派に修行を積んだ徳の高い者は因果律にも縛られることがない」と因果律に反して豪語したために、何者か(恐らく仏)の力により戒めとして狐に変えられ、しかも500回もその生から逃れられないという「罰」を受けた。しかし因果律を受け入れきちんと悟った時、その悪夢のような輪廻から解放される。

現代では因果律で説明しきれない特殊相対性理論や量子力学のような理論も当然のように存在する。時代の流れとしてはこうした比較的新しい理論に可能性を見い出しもてはやす傾向があるが、実際に人の一生や社会を顧みる時、因果律によって説明できる事象がなくなったわけでは全くない。

 

オッペンハイマーの最期

後場、不動明王(左)とオッペンハイマーこの因果律の法則を、第2次世界大戦における「ヒロシマへの原子爆弾投下」という歴史的事件に照らし合わせ考えるという試みが、英語能『Oppenheimer』だ。公演後場(のちば)、オッペンハイマーの亡霊は巡礼者が唱える般若心経により再び呼び出され、2人の対話の中でオッペンハイマーの亡霊は「生と死」の無限の苦痛の循環から解脱すべく自らの罪を背負う覚悟を決める。運命を引き受け、不動明王の炎に焼かれることを選ぶのだ。

厳かな舞とともにツレ(助演者)の不動明王が現れ、その剣を振るう。恐ろしい形相で炎をまとった不動明王は仏教の世界で「仏道に導き難い者に畏怖を与え、悪魔やすべての煩悩を打ち砕く」という強烈な存在だ。『百丈野狐』の狐のように因果律という法則を受け入れたオッペンハイマーの亡霊が、不動明王の剣の力を借り輪廻から抜け出したところで幕切れとなる。

 

登場する能面

オッペンハイマーの亡霊は前場と後場で異なる能面を着けている。前場は絶望や憔悴を表す「俊寛(しゅんかん)」の面、後場は激しくもどこか悲しみを感じさせる同作オリジナルの面で、日本の能面師・北澤秀太氏の手による作品だ。公演に先駆けてシドニーのジャパンファウンデーションでは同氏の手による能面の展示会も催され、小面(こおもて)や般若(はんにゃ)などの伝統的な面から現代的な作品までが並んだ。

ジャパンファウンデーションで行われた能面の展示会の様子、展示会では能面の制作過程の展示も見られた

面、装束、楽器など、能を作り上げる小道具もまた伝統技術や思想に裏打ちされたものであることを再認識する機会を得て、日ごろ、普通の暮らしの中では意識することのない日本の美や禅的価値観を、改めて見直したいと強く思わせてくれた『Oppenheimer』公演だった。

この公演が行われた背景や制作過程などは、プロデューサーでもあるアラン・マレット氏によってブログ(Web: blogs.usyd.edu.au/oppenheimer-noh)にまとめられている。

新着記事

新着記事をもっと見る

NICHIGO CHANNEL

新着イベント情報

新着イベントをもっと見る