日本人墓地巡礼の記録~In Repose~

赤土に眠る日本人の移民史
ポート・ヘッドランドにて鎮魂の舞いを捧げる浅野さん


赤土に眠る日本人の移民史



日本人墓地巡礼の記録〜In Repose〜


 豪州における日本人移民史を日本人墓地の写真と映像で綴る展示会「In Repose」が、4月1日から5月14日までシドニーのジャパンファウンデーション・ギャラリーで開催される。写真家・金森マユさん、箏奏者・小田村さつきさん、舞踊家・浅野和歌子さん、サウンド・デザイナーのビック・マキュワンさんを中心に巡礼プロジェクト「In Repose」は2006年に始まった。全豪各地の日本人墓地を巡り、鎮魂のパフォーマンスとともに写真による記録を続けており、4年の歳月をかけて12カ所の日本人墓地を訪ねてきた。
 金森さんは「私たち在豪日本人は、この土地に骨を埋める覚悟はあるか。移民として豪州での日本人の歴史を直視し、移民としての明確な意識を持ってほしいという気持ちから、このプロジェクトを立ち上げました。先人への供養と、日本人墓地の世話をしてくれている人たちに感謝しつつ、一般にはあまり知られていない豪州での日本人移民の歴史を、後世に伝えていきたい」と語っている。
 全豪各地を東奔西走してきた彼女たち。未到達の日本人墓地は少なくとも10カ所近く点在することが分かっており、同プロジェクトの完成はまだまだ先が長い。本特集では、日本人墓地がある町の中でも特に歴史的に意義の深い8エリアについて紹介していく。
以下、写真=金森マユ、文=金森マユ、浅野和歌子


赤土に眠る日本人の移民史
ブルーム空港から3km。
Japanese Cemetery, Port Dr., Broome

ブルーム WA    Broome
 ブルームの観光スポットとして有名な日本人墓地。日本人との深い交流を持つ現地のアボリジニにとっても大切な場所。一見アボリジニに見えるネビルくん(写真)の曾伯父さんもここに眠る。橙色の日本式墓は慰霊者の仲間が現地特有の岩を使って建てたが、ネビルくんの肌の色と同様「ジャパリジナル」と言える。
●この街の日本人移民史
第1次世界大戦直前、真珠貝産業に従事していた日本人は1,100人以上。当時ダイバーの160人中150人が日本人という状況で、白豪主義だった豪州も例外として受け入れを続けた。墓地の707の墓石には、919人が眠る。多くはサイクロンや潜水病で亡くなった。初埋葬は1896年、最後は2007年と現在も続く。


赤土に眠る日本人の移民史
コサック=ポートヘッドランドから西へ213km。Japanese Cemetery, Settlers Beach Rd,, Cossack Heritage Trail, Cossack
ロウバン=ポート・ヘッドランドから西へ200km。
ポートヘッドランド=空港から東に15km。Pioneer Cemetery, Sutherland St.沿いStevens St.近く。

コサック、ロウバン、ポート・ヘッドランド WA Roebourne
 10基余りの日本人墓地があると聞いたが見つからない。アボリジニの長老に尋ねると、住宅地設立時に取り払われてしまい心が痛むという。写真は現地の少年たちと話すマキュワン。足元に触れる大地の歴史を伝えることができた。
●この街の日本人移民史
1880年代、真珠産業やゴールド・ラッシュで繁栄したこれらの地に、雇用を求めた日本人が移住。1900年に入ると、真珠産業はブルームにその中心を移しゴールド・ラッシュも終わりを告げ、その短い繁栄を終えた。


赤土に眠る日本人の移民史
メルボルン市内から南に7.2km。トラム64番、トラムストップ35番。St Kilda Semetery, Dandenong Rd., St Kilda East

メルボルン  VIC    St Kilda East
 墓地の管理人が 「ここに眠っている人は、皆同じに大切。日本人かどうかは関係ない」と語りながらも日本人の墓を1つ1つ丁寧に案内してくれた。古澤基氏の娘、古澤あき氏の墓石の前で手を合わす浅野和歌子。
●この街の日本人移民史
豪州人アレクサンダー・マークス総領事により1879年在メルボルン日本国領事館が開設。1893年、総領事の随行員として日本政府より派遣された古澤基夫妻と3人の娘のほか、合わせて10人ほどの日本人がここに眠っている。


赤土に眠る日本人の移民史
ケアンズからホーン島まで飛行機→ホーン島からフェリー。フェリー乗降場のある島の南側から反対の北側へ。Alpin Rd., Thursday Island

木曜島 QLD  Thursday Island
 700人余の日本人が眠る日本人墓地に覆いかぶるフランジパーニの風景は、トレス海峡諸島民と日本人の縁を象徴しているよう。キリスト教の影響後も、日本の慣習と似た先祖供養の観念を彼らは持っている。墓地で芝刈りをしていたアイランダー作業員が自分の先祖の墓に浅野が手を合わせる姿を見て、感動。
●この街の日本人移民史
トレス海峡での真珠貝産業(主に貝ボタン)の発展を支えた日本人の歴史は、1870年代後半にここで働いた日本人ダイバー・野波小次郎の優れた技量がきっかけで始まった。その後多くの日本人が和歌山県などから移住し、1893年木曜島では500人を超え、1897年には日本人所有の採取船も30隻を超えた。


赤土に眠る日本人の移民史
タウンズビル市内から北西に3.4km。Belgian Gardens Cemetery, Bundock St., Belgian Gardens

タウンズビル QLD  Belgian Gardens 
 12年前、タウンズビル出張中に町の墓地内で複数の日本人の墓石を発見。無我夢中で写真を撮影。すると、どこからともなく墓地の管理人がやって来て「興味があるなら」とそこに埋まっている40余人の日本人名簿を手渡された。その時の不思議な気持ちが、やがて『イン・リポーズ』創作活動を始めるきっかけに。
●この街の日本人移民史
1890年代初頭、豪州に雇用を求めた多くの日本人がQLD州北部を目指したことから1896年豪州初の日本領事館がタウンズビルに創立。1898年には2,300人もの日本人がサトウキビ産業に携わった。日本人街などもあったが、1901年、白豪主義の影響で日本人は減り、1908年、日本領事館は一時閉館。


赤土に眠る日本人の移民史
ブリスベン市内から西に4.5km。Toowong Cemetery, corner of Frederick St, & Mt Coot-tha Rd., Toowong

ブリスベン QLD  Toowong
 豪州初日本人移民が私と同じアーティストであったことに必然性を感じ、故人の子孫の案内で墓参。大先輩への敬意とともに彼の人生を思い、勇気づけけられた。
●この街の日本人移民史
岩吉(芸名:力之助。英語表記:Dicinoski。下記シドニーのサクラガワ・リキノスケとは別人だが同職)はサクラガワと同様、豪州史上初の日本人移民とされる。豪州巡業に来た大ドラゴン曲芸一座一員・岩吉は1892年同職の豪州人女性と結婚し帰化。Ewar Dicinoskiと名乗り、2人の子どもと共に家族曲芸団を創った。


赤土に眠る日本人の移民史
シドニーから西に313km。Japanese Cemetery, Doncaster Ave., Cowra

カウラ  NSW  Cowra
 日本人墓地にはカウラ事件で亡くなった日本兵以外にも、豪州北部を爆撃した飛行兵や豪州南部の収容所に収容され亡くなった民間邦人も眠っている。訪ねる度に写真を撮り続けているが、この心痛は感謝の念に変わりつつある。
●この街の日本人移民史
第2次大戦中の1944年8月5日、カウラ戦争捕虜収容所で1,104人の日本兵が自決行為とも言える大脱走を企て、騒動になり日本兵231人と豪州兵4人が死亡。民間邦人や飛行兵を含め400人余が眠る日本人墓地はカウラ市民の助けを借りて建立。


赤土に眠る日本人の移民史
シドニーから西に18km。Rookwood Cemetery, Rookwood

シドニー NSW  Rookwood
 サクラガワ・リキノスケの死亡証明書から、彼がRookwood Cemeteryに埋葬されている事実を突き止めた。もともと墓石はなかったらしいが、墓地関係者に調べてもらい埋まっている場所を突き止め参拝・供養をした。
●この街の日本人移民史
1874年、ロイヤル・タイクーン曲芸一座がメルボルンのプリンセス劇場で公演。一座の1人だったサクラガワ・リキノスケは1875年、メルボルンで豪州人女性と結婚し、その後1882年に帰化。


赤土に眠る日本人の移民史
タウンズビルで浅野さんと小田村さんがパフォーマンスを披露した
赤土に眠る日本人の移民史
木曜島でアイランダーと競演する小田村さつきさん

■In Repose
展示日時:4月1日(木)〜5月14日(金) 月〜金11AM〜4PM、4月10日(土)・5月1日(土)1PM〜4PM
パフォーマンス日程:4月10日(土)・5月1日(土)1PM〜2:30PM、5月13日(木)7PM〜8:30PM
※パフォーマンスは全日程とも要予約で、下記の電話番号またはEmailで予約する
会場:ジャパンファウンデーション・ギャラリー
住所:Level 1, Chifley Plaza, 2 Chifley Square, Sydney
入場料:無料
Tel: (02)8239-0055(ジャパンファウンデーション)
Email: reception@jpf.org.au


豪州日本人移民略年表 —江戸時代~昭和—
1867年 慶応3年
日本の曲芸師団「大ドラゴン曲芸一座」が メルボルンのプリンセス劇場で公演
1874年 明治7年
日本の曲芸師団「ロイヤル・タイクーン曲芸一座」が、同じプリンセス劇場で公演。一座のサクラガワ・リキノスケは翌年、オーストラリア人女性と結婚、1882年に帰化。 史実上初の帰化移民に
1878年 明治11年
野波小次郎が木曜島でダイバーに
1879年 明治12年
メルボルン在住のアレクサンダー・マークスが最初の日本国名誉領事に委嘱される
1892年 明治25年
吉佐移民会社がQLD州の砂糖きび農場に50人の日本人契約労働者を派遣。翌年には520人に
1893年 明治26年
木曜島の日本人倶楽部会員が150人を突破
1896年 明治29年
QLD州タウンズビルに初の日本領事館開設
1901年 明治34年
WA州ブルームの在住日本人が2,000人を突破
1909年 明治42年
シドニー日本人会創立
1928年 昭和3年
シドニー日豪協会発足
1939年 昭和14年
日系二世ウインストン・フィリップ・ジェームス・井出、ラグビー・オーストラリア代表の一員として英国遠征に参加
1941年 昭和16年
太平洋戦争で豪州国内および領土内の日本人が全員拘束
1942年 昭和17年
日本軍ココダ・トレールの戦闘
1944年 昭和19年
カウラ捕虜収容所脱走事件(カウラ・ブレークアウト)
1952年 昭和27年
戦後初の豪州永住者(旧姓・桜元信子さん)が豪州入国。これを機に戦争花嫁約800人が入国
1957年 昭和32年
日豪通商協定締結
1964年 昭和39年
カウラの戦没者が日本人墓地に合祀
1980年 昭和55年
日豪ワーキング・ホリデー制度発足

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