No.46 ハンター通りのアート・ホテル

タスマニア再発見

タスマニア再発見

No.46 ハンター通りのアート・ホテル

文=千々岩健一郎

豪州で2番目に古いホバートの町ができたのは1804年。サリバンズ・コーブの入り江にあったハンター・アイランドという島にレディ・ネルソン号が接岸して入植が始まった。後に、島の周辺が埋め立てられて地続きとなり、名前をハンター通りに変更。交易に最も適した埠頭として多くの建物が建てられ、にぎわうようになった。

中でもとりわけ成功を収めたのが、ヘンリー・ジョーンズのジャム工場。ここでジャムが製造されるようになった1869年、ヘンリーは12歳からここで働き始め、週6日毎日10時間の労働を重ねて、このビジネスを引き継いだ。1885年、27歳の時だった。「どこにも負けない優れた商品を作る」というモットーからIXLのブランドを創り、事業に邁進した。

ヒューオン・バレーで収穫された果物各種から缶詰のジャムを作るビジネスは成功。この通りのほとんどの建物を工場として使用するまでになった。そして、ビジネスは果物や木材、輸出、鉱業などに拡大して20世紀の始めにはタスマニアで最大の会社に成長。また同地では初のナイトの称号を受けた。1926年に彼が逝去した折には、5,000人以上の人々が弔問に訪れたそうだ。

この工場の閉鎖から30年後(2004年)、ハンター通りにヘンリーが残したジャム工場の跡地と建物群が、モダンで斬新なデザインのホテルとして生まれ変わった。その名も「ヘンリー・ジョーンズ・アート・ホテル」。名前の通り、施設内には300点以上の美術品が展示されており、隣接するTAS大学美術学部から提供される作品群もある。各部屋の造りも凝っており、どれも画一的ではなく、当時のジャム工場の建物を構成していた石壁や木造の柱や梁、あるいは機械の一部までが装飾としてそのまま利用され、各部屋の異なったデザインを特徴付けている。

施設としてさらに秀逸なのはガラスの屋根で覆われたアトリウム。建物3階分の高さの空間を持つこの中庭は、当時の作業場の荒壁がそのまま残されていて、モダンでスタイリッシュな素材と調和する特異な雰囲気がある。

完成直後、暖まった部屋の壁や天井の隙間からジャムのしずくが落ちてきたといった冗談のような話もあるが、ホバート訪問の折にはぜひ宿泊してみてほしい。とは言え、価格も尋常ではないが。夜間ライトアップされたハンター通りの建物群は見るだけでも美しい。宿泊しない場合でも、港周辺の散策の折に立ち寄ってはいかが?


タスマニア再発見

 

千々岩 健一郎 プロフィル

タスマニア在住21年。1995年より旅行サービス会社AJPRの代表として、タスマニアを日本語で案内する同社の運営を行なうとともに、ネイチャー・ガイドとして活躍。特に植物関係の造詣が深く、その専門知識をもとに各種の自然観察ツアーやメディアのコーディネートなどを手がけている。北海道大学農学部出身。

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