レンガの煙突、ガスワークス

タスマニア再発見
No.86 レンガの煙突、ガスワークス
文=千々岩健一郎

タスマニアのホバート空港に到着して、3号線のハイウエイを走りホバートの町に入ると、ちょうど町の入り口にそびえ立つ高いレンガの煙突が必ず目に入る。中心地を走るデイビー通りとマクワリ通りのスタート地点に位置する。ホバート訪問が初めての人からは、この煙突の用途についての質問をしばしば受ける。

この煙突を含む一連の建物は19世紀の半ばにガス工場として建設されたもの。ガスワークス(ガス工場の意)と呼ばれている。当然この煙突は、ガスを製造する際に使用したものであると思い込んでいたのだが、実際は少し違っていた。

赤レンガの煙突はホバートの町のアイコン的存在

赤レンガの煙突はホバートの町のアイコン的存在

1854年、「Hobart Gas Company」が設立され、石炭から製造したガスの供給がスタートした。当時は街灯から工場、家庭の照明までオイル・ランプやろうそくが使用されていた時代。それがこのガス会社の登場により照明や調理の熱源としてガスが使われるようになった。

しかしこのエネルギーは、まもなく電気に取って代わられるようになる。19世紀末ごろ、この会社にガスを熱源にした発電機が設置され発電事業が開始されたのだ。そして1901年、この発電機の建物に付属して建設されたのがこの高いレンガの煙突であり、その目的はこの発電機から出る水蒸気や燃焼ガスの排出。ガス製造ではなく、電気を作る過程で必要な煙突だったのだ。

時代の移り変わりは速く、電気の重要性の高まりとともに発電事業は政府が関与するものとなり、13年にガス会社の発電部門は州政府に譲渡された。時を同じくしてタスマニアでの発電は水力へとシフトしていき、この火力発電のための煙突は建設後わずか12年でその使命を終えることになった。以後、何の利用もされないままホバートの町の入り口で100年以上の歳月を生き抜いてきたわけだ。まさにエネルギーの変遷の歴史を象徴する記念碑ともいえるかもしれない。

このガスワークスはその後もガスの供給を続けたが、78年にその事業の幕を閉じた。現在は、ボトル・ショップ、レストラン、蒸留酒の博物館を含むショッピングの場として誰もが立ち寄れる場所になっている。この煙突は赤いレンガの建物とともにホバートの町のアイコンとして高くそびえ、これからもずっと町を訪れる人たちを出迎えてくれることだろう。


タスマニア再発見

 

千々岩 健一郎 プロフィル

1990年からタスマニア在住。1995年より旅行サービス会社AJPRの代表として、タスマニアを日本語で案内する事業の運営を行うとともに、ネイチャー・ガイドとして活躍。2014年代表を離れたがタスマニア案内人を任じて各種のツアーやメディアのコーディネートなどを手がけている。北海道大学農学部出身。

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