タスマニア「港の貴婦人 レディ・ネルソン」

タスマニア再発見
No.89 港の貴婦人 レディ・ネルソン
文=千々岩健一郎

ホバートの港は年末年始のこの時期、恒例のイベント「シドニー/ホバート・ヨット・レース」の到着点として最高のにぎわいを見せる。今回は、この港に常時係留されるヒロイン的存在、2本マストの帆船レディ・ネルソン号について取り上げよう。

ホバート港に停泊中のレディ・ネルソン号
ホバート港に停泊中のレディ・ネルソン号

1803年、英国の豪州での最初の植民地シドニーを出発した小型の帆船レディ・ネルソンは大嵐に遭い一度引き返した後、再びヴァンディメンズ・ランド(現在のタスマニア)に向けて出発し、同年9月にリスドン・コーブと呼ばれる入り江に入植を行った。これがタスマニアでの白人による入植の歴史の最初のページを飾る事実だ。翌年再びレディ・ネルソン号でやって来たデイビッド・コリンズは、リスドン・コーブの地を嫌い、8キロほど下流に下った対岸のサリバンズ・コーブに入植地を移して、これがホバート・タウンのスタートとなった。

レディ・ネルソン号は1799年にロンドン近郊の町で造られた60トン程度の小さな船で、当初は世界の海を旅することになるとは考えられていなかった。それがキール(編注:船の背骨のようなパーツ)の構造の革新性により海軍が買い上げることになり、新しく入植地として開かれたオーストラリア大陸東部の調査に出向くことになったのだ。

タスマニアに来る前には、メインランドとの間に横たわるバス海峡を初めて西から東に通過する海路を開き、英国とシドニーを結ぶルートを最短のものにした。SA州やVIC州となる大陸南の沿岸部の調査にも携わった。その運航のしやすさや安全性が評価されてタスマニア北部、バス海峡周辺部、あるいは更にオーストラリア大陸北部の入植や物資の運搬に出向いていたが、1825年、家畜の調達のため訪れたティモール近くの島で、原住民とのトラブルにより焼き討ちに遭いその生涯を終える。現在でも、その島にはこの船に搭載されていた大砲が残されているという。

現在、ホバートの港に係留されているレディ・ネルソンは、同サイズで復元されたものである。民間団体によって維持管理され、青少年の帆走訓練ボートとしてもっぱら使用されるが、短時間のダーウェント川クルーズや長短期のセイリングなどにもチャーター利用ができる。ホバートの港を見下ろす丘マウント・ネルソンや、その頂上のマウント・ネルソン信号場の名前は、このレディ・ネルソンにちなんで付けられたものである。


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千々岩 健一郎 プロフィル

1990年からタスマニア在住。1995年より旅行サービス会社AJPRの代表として、タスマニアを日本語で案内する事業の運営を行うとともに、ネイチャー・ガイドとして活躍。2014年代表を離れたがタスマニア案内人を任じて各種のツアーやメディアのコーディネートなどを手がけている。北海道大学農学部出身。

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