姉妹都市~交流の軌跡(その2)~/タスマニア再発見

タスマニア再発見
No.93 姉妹都市~交流の軌跡(その2)~
文=千々岩健一郎

前回の、ホバートの姉妹都市・焼津との交流の軌跡についての話の続きをお届けする。今回は姉妹都市提携の前後に日本を訪れたホバート市長が、ある1人の日本人の女性を見初めて、結婚するに至った物語だ。

ホバートの特別議会の場で提携の締結が行われたのと同じ1977年の5月、今度はホバートのダグラス・プレイスター市長一行が初めて焼津の町を訪れた。一行を歓迎して開催されたレセプションでは、関山モダン・バレエ教室の子どもたちがバレエの公演を行った。300人近い生徒を抱えるこのバレエ教室の、代表兼講師を務めていたのが関山芙美子さん。この子どもたちの演舞にプレイスター氏は大きく感動し、これがお2人の出会いとなった。「この公演をホバートでもやって欲しい」との市長の意向もあり、その後関山さんは数回にわたりホバートを訪問。また、市長も同様に何回も公式訪問をする中で、お2人の交際が始まったようだ。

市長は数年前に先の婦人に先立たれ、独身生活を送っておられた。82年3月に関山芙美子さんが姉妹都市提携5周年記念の2回目のバレエ公演で訪問した際に、市長自ら意向を話され、その後の文通を通じ7月にはプロポーズをするに至ったとのこと。

かくして82年9月、焼津神社の神前にて服部焼津市長夫妻の仲人により、三々九度の結婚式が厳かに執り行われた。前日まで吹き荒れていた台風一過、この日は気持ちの良い快晴の日和となった。オーストラリアの市長が姉妹都市の日本の一女性と結婚をするという、世界でも例のない話題で、両国のマスコミもこれを大きく取り上げた。ホバートでは、新しく市長夫人となった芙美子さんを迎えて、タスマニア大学音楽部による音楽の夕べや州総督主催の歓迎昼食会がガバメント・ハウスで開催された。

その後、プレイスター氏が市長の任期を終え、また亡くなられた後も、元市長夫人プレイスター芙美子さんは、姉妹都市焼津との友好の懸け橋となって交流のお手伝いを続けられている。来年の姉妹都市提携40周年を前に、この長年の豪日交流への尽力に対し、平成27年の秋の叙勲で「旭日単光賞」が授与された。この叙勲を記念して今年の3月、ホバート市役所において市長主催の祝賀レセプション、同日に在メルボルン日本国総領事主催の夕食会が開催され、この栄誉をたたえた。

今年3月に行われたホバート市役所での受勲祝賀レセプション
今年3月に行われたホバート市役所での受勲祝賀レセプション

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千々岩 健一郎 プロフィル

1990年からタスマニア在住。1995年より旅行サービス会社AJPRの代表として、タスマニアを日本語で案内する事業の運営を行うとともに、ネイチャー・ガイドとして活躍。2014年代表を離れたがタスマニア案内人を任じて各種のツアーやメディアのコーディネートなどを手がけている。北海道大学農学部出身。

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