夢の実現、ジョセフ・クロミー(その1)/タスマニア再発見

タスマニア再発見
No.108 夢の実現、ジョセフ・クロミー(その1)
文=千々岩健一郎

北の街ロンセストンの南の郊外レルビア(Relbia)に、ジョセフ・クロミーというワイン・セラーがある。併設されたレストランの広い窓から丘陵地域一面に広がるブドウ畑と小さな湖越しにベンローモンドの山並みが展望できる風光明媚な場所で、北部ワイン・ルートのグルメ・スポットの1つとして人気がある。

このワイナリーはジョセフ・クロミーが所有するものだが、彼の名前を付けたこの記念碑的な場所が作られるまでには、語り尽くせない長い歴史と物語がある。今回から2回に分けて、タスマニアの食肉事業とワイン産業の確立に向けて大きな貢献をしたジョセフ・クロミーについて取り上げる。

人気のワイン・セラー、ジョセフ・クロミー
人気のワイン・セラー、ジョセフ・クロミー

ジョセフ・クロミーはチェコスロバキアの出身。第2次世界大戦の直後、ナチスの支配を受けて荒んだ故国を後に20歳の若さで単身、オーストラリアに移住する決心をした。時は混沌たる時代、出国の許可も資金もなく、かつ英語も話すことができない中で、ベニス行きの列車に飛び乗った。切符は持っていたものの、言葉を話せないことが分かると降ろされるため、声が出ないふりをしていた。

苦労の末たどり着いたタスマニアの北部で1957年、最初の目標にしていた小さな肉屋を始めた。10歳のころから父親の経営する肉屋で働き、食肉学校でハム・ソーセージ製造の技術を学んでいたためだ。

彼のモットーはあきらめないこと、そして限りない夢を持ち続けることだった。言葉の壁を克服しながら経営した肉屋は徐々に成功を収め、店の数を増やし、ハム・ソーセージの工場にまで拡大し、20年後には従業員50人以上の規模にまで拡大した。彼の夢は、食肉の生産から加工、販売までの一貫した事業統合を行うことで、豚の生産をする農場と共に食肉処理場などの買収にまで発展させ、その統合を実現していった。

私が初めてタスマニアに移住して来た1990年当時、ロンセストンにはブルーリボンという人気の食肉加工品工場があり、キラファディの屠場と共にタスマニア北部の食肉供給の中心になっていた。このブルーリボン社が彼の始めた小さなブッチャー・ショップが発展を遂げた姿で、当時の売り上げ規模は数百万ドル、従業員数500人以上の州の中心企業になっていたのである。

これらの食肉産業への貢献の功績が認められ、94年にブルーリボン社として豪州輸出貢献表彰を、97年にはジョセフ自身が、叙勲(Medal of the Order of Australia)を受けている。


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千々岩 健一郎 プロフィル

1990年からタスマニア在住。1995年より旅行サービス会社AJPRの代表として、タスマニアを日本語で案内する事業の運営を行うとともに、ネイチャー・ガイドとして活躍。2014年代表を離れたがタスマニア案内人を任じて各種のツアーやメディアのコーディネートなどを手がけている。北海道大学農学部出身。

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