ワルチング・マチルダ

オーストラリアの子どもの本写真:『ワルチング・マチルダ』(“Waltzing Matilda”, by Desmond Digby, Angus and Robertson, 1970)


オーストラリアの子どもの本 最終回
こう書くと何となく恥ずかしいのですが、実は私はワルチング・マチルダという歌が大好きなのです。これは、オーストラリア人なら誰でも知っている俗謡で、オリンピックのセレモニーでも、フットボールの試合でも、ショッピング・センターでも、どこででも耳に入ってくるあの歌です。俗謡と言えどもちゃんと作詞者がいて、バンジョー・パターソンというブッシュのことをたくさん書いている詩人が、1895年に作詞しました。

 


この歌に登場する人物は、オーストラリアの田舎を放浪する浮浪者で、背中には、言わずと知れたスワッグと呼ばれる荷物を背負っています。この荷物につけられた名前が「ワルチング・マチルダ」という女性の名前です。1人旅の無聊を慰めるために浮浪者がそんな名前をつけたのでしょう。この歌は、浮浪者が羊泥棒のかどで警官に追われ、最後はビラボングと呼ばれる湿地の沼に飛び込んで溺れ死に、そのあげくに幽霊になってしまうという何とも情けない物語なのです。でも、いろいろな機会にこんな歌を声を張り上げて歌うオーストラリア人のユーモア感覚は、分からなくもありません。
私は、海外に出かけた折、オーストラリアに飛行機で舞い戻ってくる時、クイーンズランドの赤茶けた砂漠の上を飛び、さらに2、3時間飛んで、私の子どもたちの故郷であるビクトリアの緑が目に入ってくるまでの景色を眺めて飽きません。やがて飛行機がメルボルンに向けて下降し始めると、ゆるやかにうねる牧場の緑が目に入ってきます。そんな時、機内に低いボリュームでこのワルチング・マチルダの歌が流れたりすることがあるのですが、そうすると、私は子どもたちがいる故郷に戻ってきた感激で思わず目から雨を降らせてしまったりするのです(ああ、恥ずかしい ! )。
そんなことを友人のオーストラリア人に話したら、「はっはっは、君も立派なニュー・オーストラリアン(移民のオーストラリア人)になったねえ ! 」と言って、背中をばしばし叩いてくれました。 さて、前置きが長くなりましたが、もちろんこの「ワルチング・マチルダ」の歌は絵本になっていて、いろいろのバージョンがあるようです。中でも私が一番すばらしいと思うのは、デズモンド・ディグビーという画家による『ワルチング・マチルダ』(Waltzing Matilda、アンガス・アンド・ロバートソン、1970年)です。
この絵本は実に柔らかな筆致で、色調も押さえた地味なものです。その柔らかな感じの背景の中に、スワッグを背負った浮浪者がビリー(鍋)をたき火にかけてお茶を沸かしている光景があったりするのですが、この男が首に巻いている赤いスカーフがまた粋なのです。そして、この浮浪者が牧夫に羊泥棒を発見され、青と赤の制服に身を包んだ警官隊に追われるシーンが続くのですが、ここは実に躍動的です。追跡シーンは4場面ほど続き、最後に放浪者は捉えられて沼に身を投げ、かぶっていた帽子だけが水面に浮かんでいるという静かな場面があります。
この美しい絵本を作ったデズモンド・ディグビーという画家ですが、彼もまた移民のニュー・オーストラリアンで、ニュージーランド出身です。ディグビーは、オーストラリア・バレエ団やエリザベサン・トラスト・オペラなどの舞台美術に関わってきた画家だそうで、『ワルチング・マチルダ』の絵本は三幕もののオペラの舞台を作るつもりで描いたそうです。前々回に取り上げたマット・オトレーの『ファウストのみたもの』という絵本も戯曲の形式をとっていましたが、絵本と舞台や音楽は、密接な関係があることが分かります。
それから、もう1つ唸ったことは、この絵本の柔らかい筆運びの描き方です。ディグビーは、原画を15センチ四方程度の小さなサイズに描き、これを絵本の25センチ四方程度のサイズに拡張して印刷したのだそうです。そうすることによって、絵は少しピンぼけのようにぼやけて、トーンが柔らかくなるのだそうです。
私の1年間の連載もいろいろ寄り道をしましたが、最後は、私が率直に一番好きなオーストラリアを描いた絵本に落ち着いた気がします。
この連載に取り上げた絵本は、メルボルンのReadingsやBordersといった書店で買うことができます。また、これらの絵本の原画の多くは、メルボルンの北、リドルズ・クリークにあるドゥロムキーン美術館(Web: www.scholastic.com.au/common/dromkeen/index.asp)という絵本美術館で観ることができます。
今回で当コラムは最終回です。1年間どうもありがとうござました。


渡辺鉄太プロフィル
著述業。息子との森歩きエッセイ「もりのなか」を日豪プレスに2005年から06年まで連載。著書に異文化での子育てについて書いた「緑の森のバイリンガル」(三修社)、絵本「もりのびょういん」(加藤チャコ・画、福音館書店)、翻訳書に童話「ベンジー」シリーズ(アリス館)など。メルボルンこども文庫主宰。モナシュ大学客員研究員、博士(言語学)。妻は美術家で絵本作家の加藤チャコ(web: www.chacokato.com/)。96年からメルボルン在住。

 

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