私たちの大脱走

1997年、フィージーへの家族旅行の思い出の1ショット

オレ流男の子育て
毎回異なる子育ての先輩が新米パパにアドバイス。

永住だからできる、
オージー流自然体の子育て



私たちの大脱走


「自分の人生は自分で決める」という言葉の響きに酔ったのかもしれませんが、私たちはただの1人も知人のいないオーストラリアに永住することを自分たちで決めました。サラリーマンだった私と、高校で音楽を教える傍ら大学院で音楽の勉強を続ける妻、そして11歳と7歳の娘の計4人。今から24年前のことです。
 移住が良かったのか悪かったのか。同時に2つの人生を送ることはできませんので、その比較はできません。それでも私は絶対に間違いではなかったと断言できます。
 家族にとってそれはとても大きな決断であり、無謀と言われても仕方のないことでした。当時そのことを相談した相手は、皆一様に理解に苦しむという表情。来豪してからも実に多くの人に「奥さんがよく承知されましたね」と言われました。
 しかし妻は逆でした。「いまさら行かないなんて言ったら承知しないわよ ! 」。子どもたちは簡単でした。「オーストラリアは土曜日に学校ないんだって」「行く !!! 」。
 もちろん子どもには判断できない重要な選択です。大切な成長期ですし、それだけに親の私たちに責任はすべてあります。しかし、日本にいることでむしろ失うかもしれないものの方が、家族にとってはより懸念すべきことでした。そのことが海外で新たな人生を送るという選択に決め手を与えたと思っています。
 しかし、なぜ縁もゆかりもないオーストラリアに移住しようと考えたか。その理由の1つが家庭でした。
 サラリーマンであれば誰でも「責任感のない奴だ」と言われたくない。そうであれば結局、ほとんどの時間を会社のために費やすことになり、どうしても家庭は二の次になってしまう。もちろん、それを両立できる立派な父親もいることでしょう。しかし、とてもそんな才覚のない私は、「それなら別の生き方もあるのではないか」と考えたわけです。
 そして、下手すれば通りすがりに目が合っただけで殴られたりするほどストレスが蔓延し、また受験戦争が激化する日本に比べ、オーストラリアは犬や猫でも人なつこく近づいてくるほど親しみにあふれている。そんな国で子どもたちを朗らかに、おおらかに育てることができたらどんなに良いだろう。来豪を決意する1年前に下見に来た際、つくづく親しみやすい国だと感動したことを今でも思い出します。
 もちろんいろいろなことはありましたし、今後もどんな人生が彼女たちを待ち受けているかは分かりません。しかし娘たちは、これまでのところ大きな病気やケガもなく、日本語も英語もほぼネイティブと言ってよく、とても親思いに育ってくれています。彼女たちを見るにつけ、私たちの選択は間違ってはいなかったと胸を張ることができます。
 大切な自分の子に願う思いはどんな親も同じ。しかし、日本で自我を通したり、周りの環境を変えられる人というのはそういるものではないと思います。少なくとも平凡な私には、とてもできることではありませんでした。ならば、孟母三遷ではないですが、私たちのような脱出作戦というのも存外悪いアイデアではなかったのではないでしょうか。世界はこんなに広くなったのですから。


中田隆夫
プロフィル◎1945年大阪市生まれ。69年神戸外大英文科卒業後、外資系清涼飲料会社入社。資材部・人事部で16年勤務し、85年に退社。翌年に来豪し中田不動産を設立、現在に至る

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