巨匠の遺伝子を受け継ぐ英国の日系ピアニスト フレディ・ケンプさん


■来豪インタビュー

“ナチュラル”な才能で聴く人を魅了する

巨匠の遺伝子を受け継ぐ英国の日系ピアニスト

フレディ・ケンプさん

ベートーベンやショパンのロマンチックな演奏と高度なテクニックで知られるピアニスト、フレディ・ケンプさん。毎年のように来豪し、7月末には初めてシドニー交響楽団との協演が実現した。日本での公演も多く、ファン・クラブもできているほど。日本人の母の影響、ピアノの巨匠ヴィルヘルム・ケンプとの関係など、夜のコンサートを控えた楽屋の一室で話を伺った。

シドニー・オペラ・ハウスの楽屋にある殺風景なカフェテリア。約束の時間にそこに座っていたのは、白いTシャツとジーンズ姿の青年で、紹介されなければ裏方のスタッフと間違えていたかもしれない。肩の力が抜けていて、数時間後にラフマニノフのピアノ協奏曲を弾くピアニストとは思えない。話しぶりもいたって穏やかだ。

♪ 神からの贈り物

初めて鍵盤に触れたのは4歳の時。クリスマス前のおもちゃ屋で、両親に好きなものを選んでよいと言われたフレディ坊やは、棚の上段にあった箱を選ぶ。値段がほかのものより高い、ただそれだけの理由で選んだのだと言う。そしてクリスマスの朝、プレゼントの箱に入っていたのは小さなキーボードだった。高い物を選んだせいでほかにおもちゃをもらえず、キーボードで遊ぶしかなかった彼は、説明書を見ながらよく耳にしていたディズニー映画のメロディーを弾き始める。誰にも習わずに2週間で10曲弾けるようになり「完全にマスターしたよ」と言う彼に、ピアノを習ったことのある日本人の母親が5秒ほどショパンの一節を弾いてみせた。その瞬間、「ピアノを習いたい!」と思ったそうだ。

レッスンを始めてからは瞬く間に上達し、8歳でモーツァルトの協奏曲をロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と協演するまでになる。クリスマス・プレゼントのキーボードは、まさに神様から才能を贈られた“Gifted child”へのさらなる“Gift”だったと言えるだろう。こんな天才児はどんな子ども時代を送ったのだろうか。

「子どもは自分が天才かどうかなんて分からないですよ。今から考えれば、自然に楽譜が読めたり、恵まれた才能に助けられたとは思います。レッスンも人前で演奏することも大好きでした。でも、それ以外は普通の学校に通って、友達とサッカーをしたりしていました。僕はスポーツにも勉強にも興味があって、ピアノはたくさんの趣味の内の1つに過ぎなかったんです」

ところが、14歳の時にBBC放送のコンクールで優勝したのがきっかけで、演奏の依頼がたくさん来るようになり、それに応じるためにはピアノに集中しなければならなくなる。そこで、当時習っていたゴルフも止めて、ピアノ1本に道を絞り、音楽院へと進む。こうした進路はすべて自分で決めたのだろうか。

「コンサートに招いてくれた人がいたからこそ演奏活動を始めることができたわけで、すべて自然の流れでした」

♪ 技巧派? それとも

ケンプさんのピアノは「ヴィルトゥオーソ=超技巧派」と紹介されることがある。確かに高いテクニックを持つのだが、彼が愛するのは感情表現が大切なロマン派の音楽だ。

「確かに若いころはテクニックを重視していました。10歳の子どもが悲しみや愛を表現するのは難しいわけで、どうしてもテクニックの方に関心がいきます。先生に一番難しい曲は何かと聞いて、ラフマニノフやプロコフィエフを弾いていました。でも大人になった僕自身は“ナチュラル・プレーヤー”。完璧さよりも、感情豊かな、聴衆の心に触れる音楽を提供したいと思っています」

そうしたスタイルがオーストラリアの聴衆に愛される理由なのかもしれない。一方、感動すれば楽章と楽章の間でも拍手をして(一般的には全曲終わるまで拍手をしないことになっている)気持ちを表現するここの聴衆の「正直さ」が、ケンプさんには快いのだそうだ。

♪ 日本とドイツの血を引いて

日本人の母とドイツ人の父を持つケンプさん。お母さんは子どものケンプさんに日本語で話しかけていたのだろうか。

「家庭ではみんな英語を話していました。僕が子どもだった1970年代は、多言語を話すと子どもが混乱するのではないかという懸念が強かったのです」

そうは言っても、成長する中で日本の文化や食べ物には自然に興味を持っていたので、19歳のころコンサートのために初訪日した時も違和感を感じなかったと言う。

6年ほど前からは、日本で知り合った人たちと言葉の壁を越えてもっと友情を深めたいと日本語の勉強を始め、最近では敬語も使えるようになったそうだ。

「英語ではYouの一語が、日本語ではアナタ、キミ、オマエと、とても違いますよね。そういう言葉の違い、つまり文化の違いが分からないと、本当に親しくはなれないと思うんです」

ピアノだけでなく、何ごとにも奥深く取り組もうという性格が垣間見える。数年前にドイツ人バイオリニストと結婚したのを機にドイツに移住。そこに住んでみて、自分の中の“ドイツ人らしさ”を発見したと言う。

「例えば歩行者信号が赤だとドイツ人は決して渡りません。僕も青になるまで待ってしまうんですよ。イギリスに戻ると、逆に自分が外国人のように感じるくらいです」

赤信号をきっちり守るのは日本人も同じで、両方の血筋だろうか。

2歳になる愛娘「乃笑(のえみ)」ちゃんのことを「ちゃんづけ」で話すところなども、とても日本的だと思わずにいられない。

彼の中の日本的なもの、ドイツ的なものは音楽スタイルにも影響しているのだろうか。

「自分では分かりませんが、おそらく影響していると思います。僕の音楽には僕のパーソナリティーが表れているのですから」

♪ 音楽家としても、人間としてもナチュラル

日本でも有名なドイツ人ピアニスト、ヴィルヘルム・ケンプ(1895−1991)の親戚にあたると聞いていたので、その関係を尋ねてみた。

「実は、会ったこともないのです。父方の遠縁にあたることが分かって会おうとしていたのですが、まもなく彼は他界してしまったのです。たまたまなのか、血が繋がっているせいなのか分かりませんが、彼の演奏を聴くと曲の解釈にとても近しいものを感じますよ」

老ケンプと若きケンプが出会っていたなら、どのような音楽的交流が生まれていたか分からないが、難なくピアノを弾き始めた少年に名ピアニストの血が流れていたことだけは確かだろう。

スポーツでもアートでも天性の才能がある人のことを英語で「ナチュラル」と形容する。人柄も含めてケンプさんにはこの形容詞が似つかわしい。

今回のシドニー交響楽団との協演では人間性溢れる演奏で聴衆はもちろん、楽団員からも高く称賛され、またシティ・リサイタル・ホールでのソロ公演では聴衆が拍手だけでなく床を踏み鳴らすほどだった。次の来豪が楽しみである。

(インタビュー=大倉弥生)


Freddy Kempfプロフィル

◎1977年ロンドン生まれ。英国王立音楽院で学ぶ。1998年チャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門第3位(この審査結果には批判が多かった)。現在ドイツを拠点に、欧米、東アジア、オセアニアで公演活動を続ける。

新着記事

新着記事をもっと見る

NICHIGO CHANNEL

新着イベント情報

新着イベントをもっと見る