【インタビュー】塚原直也「飽くなき探求─オーストラリア国籍を取得して」


撮影:馬場一哉

インタビュー 
 
「飽くなき探求」

 
 アテネ五輪・男子体操競技 金メダリスト
 塚原直也 選手

 アトランタ、シドニー、アテネと3度にわたりオリンピックに出場し、アテネでは男子団体で金メダルを獲得。体操王国ニッポンの名を再び世界に知らしめた立役者である塚原直也選手が2013年4月、オーストラリア国籍を取得した。そして先月、シドニー・オリンピック・パークで行われた「全豪体操選手権」では個人総合優勝を果たし、9月に行われる世界選手権への切符を手に入れた。選手権でシドニーを訪れていた塚原選手に、現在の心境、今後の目標などについて話を聞いた


(インタビュー:馬場一哉)

「自分が変われる」という運命めいたものをシドニーで感じた

 鉄棒競技の「月面宙返り」の生みの親であり、メキシコ、ミュンヘン、モントリオール五輪で計5つの金メダルを獲得した父・塚原光男さんとメキシコ五輪で女子体操競技に出場した母・千恵子さんとの間に生まれた塚原直也選手が本格的に体操を始めたのは11歳のころだという。
 自宅が体操教室ということもあり、それまでも遊び半分でやってはいたがあまり乗り気ではなかったそうだ。「みんなと一緒に何かをやるのは何となく恥ずかしくて。あまりのめり込んではいなかったですね」と語る。
 
────それがいつしか自分の意思でやろうと思うようになった。
「そうです。ちょうどそのころ、中国から実力のあるコーチが来ていたので、両親も僕に付けてみようかと思っていたようです」
 
────ご両親じきじきに指導ということはあまりなかったのですか。
「両親は女子を教えていたのでじきじきにということはなかったです。それに体操をやることも僕自身が決められるという感じでした」

 


「僕が現役のうちにオーストラリア代表がオリンピックに出られれば最高です」

 塚原はたちまち頭角を現し、一気にトップ・アスリートへの階段を駆け上がった。高校時代にはインターハイ2連覇。その後、1996年から2000年には全日本選手権で5連覇と長く日本のトップとして体操界を牽引。オリンピックにはアトランタから3大会連続で出場し、04年のアテネでは男子団体総合で金メダルを獲得した。
 
────高校体操界を制してすぐにオリンピックに呼ばれたんですね。
「一番年下で、しかも初めての国際大会がアトランタ五輪でした。かなり緊張し、試合直前の練習ではコンディションがめちゃめちゃになりました」
 
────メンタルから崩れてしまったという感じでしょうか。
「そうですね。自分で何をやってるか分からないような状態でした」
 
──── 個人総合で言うとアトランタで12位。シドニーではさらに順位を落としてしまいました。
「シドニーではかなり失敗してしまいました。結果はあまりよくなかったのですが、自分がまだまだ未熟だということを教えられましたね。自分が変われる、そういう運命めいたものを教えられた国という強い印象が残りました」
 
────今回行われている全豪体操選手権の会場と全く同じ場所ですか。
「全く一緒です。だから今も当時を思い出しています。やはり何か縁があるのかな。シドニーにはジュニアのころも合宿で来たことがあるんですよ」


大会最終日、吊り輪の演技

 
 選手層の厚い体操王国ニッポン。それまで日本のトップの1人として活躍してきた塚原選手も北京五輪では出場枠から漏れてしまう。そして翌09年、国籍をオーストラリアに移し、体操を続けている父の知人の伝手をたどりオーストラリアに体操留学。後進の指導を行いながら、オーストラリア国籍取得を前提に、12年のロンドン五輪への出場を目指した。
 
────オーストラリアの国籍を取って、こちらの選手として出るという覚悟は並大抵のものではないと思うんです。
「自分が体操を続けていきたいというのが前提にあって、自分がいかに成長できるかということを考え続けた結果がこういう形になったので、僕にとってはとても自然なことでした」
 
────国籍を変えることに抵抗はありましたか。
「もちろんなかったと言えば嘘になりますが、ほかのスポーツでも国籍を変えて活躍している人がいるので大きな不安は感じませんでした」
 
────ただ、ロンドン五輪前には滞在の日数が足りず国籍取得には間に合わなかった。
「周りの人たちが協力してくれて、やるだけやってだめだったので残念だけど仕方ないです。先を見るしかなかったですね」
 
 13年4月、ついにオーストラリア国籍を取得。7月7〜18日に行われた「全豪体操選手権」では個人総合種目でぶっちぎりの1位を獲得し、9月にベルギーで行われる世界選手権への切符を手にした。実に7年ぶりの国際大会への出場となる。
 
────ついに、ですね。
「はい、ですがただ出場するだけではなく、そこでしっかりとした演技を見せなければなりません。自分自身も納得がいかないですし、自分の存在感をいかに出せるか。そこをしっかり考えていきたいです。国籍を変えたのもただ試合に出たいということだけではありませんから」
 
────そこで何を残し、そして何を得るかということですね。
「はい。選手を続けることで自分はまだまだ成長し続けられると思うんです。自分には知らないことがまだまだたくさんあって、それを知らないままでは先に進めません。体操を知り尽くしたいんです。体操をこれまで以上に深く追及していくことで、それがゆくゆくは指導にも生きると信じています」
 
────そのあくなき探求の気持ちが塚原選手をトップ・アスリートにし、そして日本にメダルをもたらしたのですね。
「そうなんでしょうか。いずれにしても昔からそういう性格です。興味のあることは何事も追求しないと気がすまないんです」

「改革はまだ始まったばかり」

 

 12年11月24日、塚原選手はアトランタ五輪時代からファンとして見続けてくれた航空会社勤務の一般人女性と結婚。出産が予定されていることもあり、今後の生活も基本的には日本での滞在が多くなりそうだという。また、オーストラリアの国籍を取得したとはいえ、依然、朝日生命の職員として広報活動を続ける必要があるため、日本とオーストラリアを往復する生活しながらトレーニングを繰り返す日々を送る。
 


競技終了後はたくさんの子どもたちがサインを求めた

────今後、オーストラリア代表としてこちらの体操界を引っ張っていく形になるわけですが、塚原選手から見てポテンシャルはいかがですか。
「やはり、心技体のバランスなど、日本に比べてまだまだ開発されていない部分が少なくないので、そういうところからサポートしていきたいと思います。こちらは体操選手でも比較的大柄な人が多く、その部分では不利な面もあるのですが、筋力などの面から見ると強い人は飛びぬけて強い。そこは高いポテンシャルですね。オーストラリアは女子は比較的強いのですが、男子は体操人口も少なく、実力もまだまだ。改革はまだ始まったばかりですね。まずは、選手権などで僕の演技をしっかり見て、その印象を目に焼き付けてもらい、それで競技レベルが上がることを目標にしています」
 
────日本でも後進の育成はなさるんですか。
「オーストラリアでは自分が引っ張る形で男子を強化し、日本では女子を教えています。デリケートな面もあると思うので、両国がかぶらない形で発展していくような役回りでやっていければと思います」

 

────そんな中、やはり次の大きな目標としてはリオデジャネイロ五輪ですよね。
「もちろんです。オーストラリア代表はこれまで団体でオリンピックに出場したことがないので、僕が現役のうちに出られれば最高ですね」
 
────年齢を重ねても、依然大きな目標に向かって頑張っている姿には本当に勇気をもらいます。
「そう言っていただけると嬉しいです。もちろん、年齢的なこともあり、トップでやり続けるのは難しいので種目も吊り輪に絞ったりなど、そういう工夫をしていきたいです。将来的にはやはり指導の道に進みたいので、今自分自身が行っている工夫を今後のコーチングに役立てるように考えながらやっています」 
 
 インタビューの翌日に当たる全豪体操選手権最終日、塚原選手は男子種目別の競技で吊り輪、平行棒、鞍馬に出場。鞍馬こそ失敗し4位に沈んでしまったが、ほか2種目はダントツのトップの成績を収めた。「良い挑戦ができて良かったと思います」
 
 試合後、塚原選手はすがすがしい笑顔でそう答えてくれた。
 
(7月18日、オリンピック・パークで)
 

<プロフィル>
つかはら なおや 
1977年生まれ。鉄棒競技の「月面宙返り」の生みの親であり、メキシコ、ミュンヘン、モントリオールの3つの大会の体操競技で計5つの金メダルを獲得した光男さんを父に、メキシコ・オリンピック、女子体操競技の選手だった千恵子さんを母に持つ。高校2年時にはインターハイで2連覇達成。アトランタ、シドニー、アテネと3度オリンピックに出場し、アテネでは団体総合で金メダルを獲得。日本五輪史上初の父子金メダリストとなった。13年4月、オーストラリア国籍を獲得。後進の指導をするかたわら、選手としても国際大会の出場を目指している。朝日生命所属。

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