【独占インタビュー】大橋 巨泉


写真提供:オーケーエンタープライズ

 

 

「クイズダービー」や「世界まるごとHOWマッチ」などの名司会で一世を風靡した昭和を代表するタレント、大橋巨泉さん。バラエティ番組で活躍する傍ら、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドに日本人が日本語で買い物できる土産物店「OKギフト・ショップ」を開店させ、実業家としての手腕も発揮した。1990年代初めにセミ・リタイアした後は、海外に拠点を移し、今もなお日本と海外を行き来する生活を送っている。2005年には胃がんの摘出手術を受け、13年には中咽頭がんの発見を告白、さらに昨年末にはリンパ節への転移を発表した。また、今年4月19日に放送されたラジオ番組では4度目のがんが見つかったことを公表、5月後半には手術を予定しているという。幾多の苦しみを乗り越え、今もなお病魔と闘い続ける巨泉さんに、本紙発行人のアイク池口が4月3日、東京の新橋で話を伺った。

 

――昭和のテレビ界を支えてこられた巨泉さんですが、早稲田大学を中退してメディアの世界に入られたきっかけは何だったのでしょうか?
「単位が取れずに卒業できないから中退しただけです。父親とは4年間だけという約束でしたから、4年で単位が取れないことが分かり辞めたのです」

 

――巨泉さんといえば真っ先に思い浮かぶのが「はらたいらさんに全部!」のフレーズなどでおなじみのTBSの人気番組「クイズダービー」です。同番組をはじめ、多くのバラエティ番組で司会を努められてきましたが、番組に出演する上で苦労されたことはありますか。
「僕は何でも自然体でやる方でしたし、役者さんではないので台本を覚えなくてもいい。すべてアドリブでやっていたので苦労したことはないですね。ただ番組を制作していく上で苦心したことはあります。クイズダービーのオンエア当初、なかなか視聴率が取れなくて困っている時に、6人いた回答者を5人にするとか、10問あった問題を8問にするとか、3択問題を増やすとか、そういった面で工夫を重ねました。しかし、自分が喋ることに関しては苦労しませんでしたね」

 

――なるほど。巨泉さんは2001年、政界進出も果たされましたね。民主党の参議院議員になられた後、半年ほどで辞職されましたが、それも「自然体ゆえ」なのでしょうか。
「一生政治家にだけはならないという覚悟を決めていたのに、菅直人さんに口説かれて入ったんですよ。当時、菅さんは幹事長、鳩山由紀夫さんが民主党代表だったのですが、いざ入党してみると、党の政策と自分の信条が合わない。これ以上ここにいても、民主党のためにも僕のためにもならないと思ったのです。僕は比例代表で当選したのですが、比例代表で1人当選するには100万票必要なんです。僕個人に42万票を入れて頂いて、あとの58万票は民主党と書いた人の票です。ですから、議員を辞職して次に待っていたツルネン・マルティさん(※編注:フィンランド生まれの日本の政治家)に譲るのが正しいと思って辞めました」

 

――その時、別の党を作ろうとお考えにはならなかったのですか?
「当時、参議院議員だった中村敦夫さんが一緒にやりませんかと声をかけてくれたのだけど、もう僕のポケットには辞表が入ってましたので、ちょっと遅かったんですよね」

 

――そうだったんですね。では、今までの人生を振り返って最も苦しかった時のエピソードがあれば教えていただけますか。
「最初の結婚に失敗して離婚をする時、まだタレントになっていませんでしたから収入が限られてました。その時に所属していたプロダクションの社長が、もし僕が慰謝料と養育費を支払えない場合は代わりにそれを支払ってくれると言って、その条件で離婚が成立したんです。僕はその社長に『全収入を事務所に入れますから、子どもの養育費が滞らないようにしてください』と言って、丸2年くらいは、テレビの台本を書いたり、雑誌にジャズ評論を書いて、正規の収入は全部事務所に入れていたんです。その期間はギャンブルで食べていたんですよ。競馬はたいして儲からなかったけど、麻雀やポーカーで食べていました」

4度目のがんを告白、手術を控えて

――ところで巨泉さんは、14年12月に週刊現代に連載中のコラム「今週の遺言」の中で、3度目のがんを告白していますね。また、今年4月にはラジオ番組で4度目のがんが見つかったことを公表しています。過去にもがんを発症し、がんと闘う決意を見せていますが、日々の生活では病気とどう向き合っているのですか?
「僕の作った言葉なんですけど、『がんは闘うか死ぬか』です。その中間はないんです。ほかの病気と違ってがんは転移しますので、そのたびにどこかで止めなきゃいけない。今、『日本人の2人に1人はがん』と言われているぐらいがん患者は増えていますが、これからもっと増えると思いますよ。がんは今後、今よりも簡単に発見できると言われていますからね」

 

――ご自身の著書『巨泉の遺言撤回 今回の人生では○○しない』(講談社)では、「5年ごとの新しい人生」というものを提唱されていますが、81歳になられた今、目指しているものはありますか。
「ゴルフのエイジ・シュートという、自分の年と同じ、もしくはそれよりも下のスコアで回るというのを僕は73歳から14回やっているんです。あと3回か4回はやりたいですね。それにはやっぱりがんに勝って体力をつけないとですね」

OKギフト・ショップの成功

――巨泉さんは土産物店「OKギフト・ショップ」を世界に7店舗オープンされて成功を収めましたね。カナダに1号店をオープンして今年で42年、オーストラリアの6号店オープンから24年が経ちましたが、今もお店に立ち寄られることはあるのですか?
「僕はバンクーバー、オークランド、ゴールドコーストに家がありますから、住んでいる時は毎週のように顔を出してますよ。バンフ(カナダ)、ケアンズ、クイーンズタウン(ニュージーランド)店には年に2回ほど行って社員と食事をしたり、地元の人と情報交換をしたりしています。それが社長の最大の仕事ですからね」

 

――OKギフト・ショップは今後どのように展開していかれる予定でしょうか。
「元々は日本人観光客向けのお土産屋として1973年に始めたんです。ただ、10年ほど前から、不景気の影響で昔のように一般家庭でもツアーで海外に行ける日本人は減っていくだろうと読んでいました。『次に波が来るのは中国』と分かっていましたので、中国、韓国、台湾、東南アジア、インドから来る旅行客にも対応するものを考えなくてはと思って、これまでやってきました。最も力を入れて取り組んだのがニュージーランドのオークランド店とクイーンズタウン店なんです。今はどんなお客さんでも喜んでもらえるようになって、両店とも成功しています」


OKギフト・ショップ、ゴールドコースト店前で

巨泉さんが考えるオーストラリアの魅力

――巨泉さんは現在も年に数カ月ゴールドコーストに滞在していると伺いました。カナダやニュージーランドと比べ、巨泉さんが感じるオーストラリアの魅力とは何でしょうか。
「やはりサーフィンや水上スキーなどが盛んですから、マリーン・スポーツの好きな人にとってオーストラリアは天国ですよね。寿司などの日本の食文化も、オーストラリアではすでに浸透しています。この前、ゴールドコーストのジャパン・アンド・フレンズ・デーという毎年3月に開催されるフェスティバルに行ってきたんですが、現地の人と日本人が和気あいあいと交流するのを目にしました。焼き鳥、寿司などの屋台も外にたくさん出ていましたね。日本とオーストラリアは文化的にはとても上手くいっているのではないかと思います」


南太平洋上で寿々子夫人とともにクルージングを楽しむ巨泉さん


ゴールドコーストではゴルフも楽しむ


ニュージーランドで、釣り上げた鯛とともに

写真提供:オーケーエンタープライズ

 

 

――住んでいて「海外」という違和感はあまり感じないですよね。
「そうですね。ネクタイを締めて頑張るという雰囲気の国でもないし、市長でもラフなシャツにズボンですからね。そういった点ではオーストラリアは日本人にとって親しみやすい国なのではと思います」

 

――確かにオーストラリアは暮らしやすいですね。ただ、海外で生活をしている日本人の中には年齢的なことや家族の問題などで日本に戻ってしまった人もたくさんいます。それでも巨泉さんが海外に住み続ける理由はありますか。
「確かに僕の周りでも8割くらいは帰ってしまいましたね。ただ、僕の場合は生活の基準になっているのがゴルフですからね(笑)。シドニーでも帰る人は多いですか?」

 

――20代でシドニーに来て70代になって帰る人が周りには多いですね。やはり年齢を重ねると気持ちは母国に向くのでしょうか。
「日本人は内向きな人が多いんですよ。『大橋巨泉さんみたいな生き方が理想です』っておっしゃる人は多いんですけど、実際に実行する人は少ない。『人間至る処青山あり』が僕の座右の銘ですから、どこにいてもいいんです。どこかで人間死ぬんですから。気候が良くて食べ物が美味しくて、ゴルフができればそれでいいんです。でもそういう人って少ないですよね。僕の女房でさえ、僕が死んだら日本に帰ると思っていますよ」

 

――巨泉さんのように、日本と海外を行き来するような生き方に憧れる人は多いですが、夢を実現させるために一番大切なことは何でしょうか。
「夢を実現できる方法を探ってそれに邁進するしかないでしょう。僕の場合は、カナダ、アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドに行って、生活する上で困らないくらい英語力を身に付けるとか、年間、女房と2人で食べていけるだけの利子の入る定期預金を銀行に置いておくとか、そういうことも大事にしました」

 

――私も年齢を重ねるにつれ将来は日本に帰りたいという気持ちが少しずつ心のどこかに生まれてきているかもしれません。
「東京にいれば東京。オークランドにいればオークランド。バンクーバーにいればバンクーバーが家でいいじゃないですか」

 

――そうですね。オーストラリアには毎年、ワーキング・ホリデー制度を利用して日本人の若者がたくさんやって来ますが、彼らを含むオーストラリア在住の日本人に向けてメッセージがあればお願いします。
「うちの店もワーホリの皆さんに随分働いてもらっています。OKギフト・ショップが今日あるのはワーキング・ホリデー制度のおかげと言っても過言ではないですね。我々も制度を利用させていただいていますし、若い人たちも稼ぎながら英語を勉強したり、オーストラリアを満喫できたり、とても良いシステムだと思います。せっかくオーストラリアに来たのだから、頑張って残ってもらいたいですね。90年代のように日本人とオーストラリア人とでゴルフをする時代がまた戻ってくることを願っています」

 

――本日はありがとうございました。

(4月3日、東京・新橋で)

大橋巨泉(おおはしきょせん)プロフィル
1934年3月、東京・両国生まれ。早稲田大学新聞科中退後、ジャズ評論家・放送作家を経て65年にNTV「11PM」に出演。翌年には「11PM」の司会者となる。「クイズダービー」「世界まるごとHOWマッチ」など、多数の人気番組を世に送り出す。90年にセミ・リタイアを宣言し、以後は文筆活動に力を入れ、ベストセラー「人生の選択」など著作多数。また73年に開店したOKギフト・ショップは現在世界に7店舗展開中。

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