オーストラリアン・バレエ団初の日本人プリンシパル「近藤亜香」さん

オーストラリアン・バレエ団初の日本人プリンシパル

近藤亜香さん インタビュー

2010年にオーストラリアン・バレエ団に入団して以降着実にキャリアを重ね、今年4月には24歳の若さでバレエ・ダンサーとしては最高位となるプリンシパル・ダンサーへ昇格した近藤亜香さん。同バレエ団史上で日本人がプリンシパルに選ばれたのは初めてのことで、我々日系コミュニティーにとっても嬉しいニュースとなった。そんな彼女に、バレエを始めた当初を振り返りながら、舞台上や舞台裏での思い出、プロとしての決意までを、たっぷりと話してもらった。取材・文=荒川佳子

日本人初、プリンシパル・ダンサーの誕生

――まずはプリンシパルへの昇格、おめでとうございます。

ありがとうございます。

――発表の瞬間はどのようなお気持ちでしたか?

全く予想してなかったので、とても驚いたのと同時にしばらくは信じられませんでした。でも次の日の朝起きて、みんなから寄せられたお祝いのメッセージを読み返しているうちに、だんだん実感がわいてきました。

――その瞬間はお母様も会場にいらっしゃったそうですね。

発表があったのは『ジゼル』の公演後でしたが、実は母からはずっとこのジゼル役を踊ってほしいと言われていたんです。しかし私はキトリ(編注:作品『ドン・キホーテ』内の登場人物)やガムザッティ(編注:作品『ラ・バヤデール』内の登場人物)といったエネルギッシュな役が得意で、実際にもそうした役に当てられることが多かったので、今回のジゼルのような柔らかな役柄へのキャスティングは驚くべき出来事でした。母もこれを聞いてやはりびっくりして、「これは見なくては」と慌てて飛んできてくれて、それでたまたまその場にいたのです。そんな中でプリンシパルのアナウンスがあり、大変特別な夜になりました。


ジゼルを演じる近藤さん

 

――全くのサプライズということでしたが、それでも実際には近いうちに昇格するかもしれないという兆候がどこかであったのではないですか。

発表があったのは『ジゼル』の公演のフィナーレでしたが、私はそのころにはもう出番も終わっていましたし、舞台からも既にはけていたんです。そこへ突然、舞台監督のデヴィッド・マッカリスター氏がやって来て、「前で見てた方がいいよ」とチケットを渡されたので不思議には思っていましたね。
その後、公演が終わったのに幕が下りず、そしてデヴィッドが大きな花とマイクを持って現れた時に、ようやく「あれ、やっぱりこれは本当にもしかすると…」と思い始めました。というのも、これまでに誰かがプリンシパルに昇進する時には、必ずデヴィッドが大きなお花とマイクを持って現れるというのがこのバレエ団の伝統のようになっていて、私も何名かのダンサーがそうしてプリンシパルへ昇格していく瞬間を見ていたので。

幼少からバレエに魅せられて

――バレエを始めたのは何歳のころで、どのようなきっかけからだったのですか?

踊り始めたのは3歳の時です。母いわく私はすごく元気な子だったそうで、いつもテレビの前でハロー・キティのカラオケ・マシーンで曲をかけてマイクを片手にずっと歌って踊っていたのだとか…。そんなエネルギーのあり余る私を見かねてバレエ・レッスンに入れてみたと言っていました。

――その後、全国ジュニア・バレエ・コンクールで第2位に選ばれ、イギリス、ロイヤル・バレエ団のインターナショナル・サマー・スクールに行かれていますね。

これは私にとって初めての全国区のバレエ・コンクールで、親友と一緒に出場していました。彼女は私よりも1つ年上。10歳の時に新たに通い始めたバレエ教室で知り合ったのですが、そのころには彼女は既に“将来はプロのバレリーナになる”という夢を確立していました。仲良くなってからは、「一緒にプロになって、世界の舞台で2人で踊ろう」という約束をしたんですが、この大会で彼女が優勝し、奨学金が下りたので、そのままアメリカへバレエ留学に旅立ってしまいました。2位だった私は、サマー・スクールから帰ってからは1人で日本で頑張らなくてはいけない状況。ずっと一緒にがんばってきただけに、先に留学に行かれて当時はやっぱり悔しかったかもしれませんね。でも、それが良いバネとなって一層がんばったのをよく覚えています。

――その2年後には、アメリカのバレエ・コンクール、ユース・アメリカ・グランプリで奨学金を得、オーストラリア・バレエ学校にいらっしゃいました。

これはニューヨークで本選があるコンペティションで、日本で行われた予選に出場したのですが、ここで奨学金をいただくことができ、オーストラリア・バレエ学校に行けることになりました。実は私、コンペティションが苦手なんです。バレエは芸術なので、観客が良いと感じれば良いし、悪いと感じれば悪い、それ以上もそれ以下もないんじゃないかと思っていて…。そのため、競うことや順位を付けられることには違和感を感じていたのですが、それでもやっぱりこのコンペティションに参加した理由は、奨学金を得て、海外留学をして、本格的なトレーニングを受けたかったから。本当はこの後、そのままアメリカで行われる本選まで行けたんですけど、奨学金を得て留学を決める、という目的は予選の時点で達成できてしまったし、バレエで競いたくなかったので辞退しました。

――先にアメリカへ旅立った親友の方は良きライバルだったいうことになりますね。

そうですね。バレエをしている中でたくさんの良き巡り合わせやサポートがあって、それには本当に感謝していますが、彼女もその1人。出会ってからずっと、刺激を与え合う良い関係だと思っています。彼女は今サンフランシスコ・バレエ団のソリスト(編注:ダンサーの階級の1つ、この分け方は世界のバレエ・カンパニーごとに異なる)として活躍していますが、去年は8年ぶりに再会いました。とっても嬉しかったし話が尽きなかった!共演の夢はまだ果たせていないのでお互い「いつか必ず!」と言っています。

――若いころからとても優秀で、輝かしくダンサーの道を歩まれていますが、何か苦労された点などはありますか?

オーストラリアに来た当初に立ちはだかった、言葉の壁です。私はおしゃべりが好きなのに、「イエス」か「ノー」しか言えないことが悔しかったし、とても悲しかったです。
 また、足が短かったり、足の開きが少ないという理由から、アジア人はよく「バレエに向いてない」と言われてしまうのですが、私もオーストラリアにきてその体格の違いを痛感し、鏡で自分の姿を見るのが嫌な時期さえありました。でもそんなある日、吉田都さん(編注:20年以上にわたってイギリスの2つのロイヤル・バレエ団でプリンシパルを務めた日本人ダンサー)のドキュメンタリーを見た時に、彼女が「私は足が短いけど、その分誰よりも早く動ける。それが私の武器」と言っているのを聞いて、ネガティブなことをポジティブに変えられる才能ってすごいなと感じたんです。それからは嫌なことはすべてポジティブに考えるようになり、バレエもまた順調に進んでいったように思います。

オーストラリアン・バレエ団での日々

――これまでのオーストラリアン・バレエ団での5年間はどんな日々でしたか?

長いようで短い5年でした。苦労もありましたが、それ以上に自分が成長していくのがすごく楽しかったです。ランクが上がっていくたびに新しい発見があって、自信もどんどんついて。

――オーストラリアン・バレエ団は、ほかの国のバレエ団と比べると歴史は浅いですが、新しいことにオープンで、さまざまな試みをしてきた結果、現在では世界から高く評価されています。そのようなバレエ団に所属されていて、現場で肌で感じることはありますか?

たしかにほかのバレエ団と比べると歴史は浅いですが、その分、現代を生き抜くバレエ団であるということはひしひしと感じますね。新しいことや斬新なアイディアに挑戦する意欲や意識が高いですし、団員同士やスタッフたちもとても仲良し。今、日本人ダンサーがほかにも何名かいるのですが、このグループ内の話だけを取っても、先輩方も本当に優しく、和気あいあいとやっています。もちろんいつもかたまってずっと一緒にいるということはないですし、また、どこかで「日本人ダンサーというだけでひとくくりに見られたら嫌かも…」というのもそれぞれ思っているかもしれないのですが(笑)、オーストラリアというお国柄か、周りの皆も人種にこだわらず個性を尊重してくれる国民性。私たち自身も皆、キャラクターは本当にばらばらで、良い意味でかぶらないですし、それが仲の良い秘訣なのかもしれません。
 実は、ユース・アメリカ・グランプリで奨学金が決まった時、オーストラリアのほかにも、チューリッヒやミュンヘンからもオファーがあって、その3つから選ぶことができたんです。迷っていたところ、このコンペティションの奨学金制度の管理を担当していた方が、学校のシステムがしっかりしているなどの理由からオーストラリアン・バレエ学校を薦めてくれました。あとは、英語圏であることも決め手でしたね。結果、オーストラリアへ来て本当に良かったと感謝しています。スクールも良かったですし、そしてそのままカンパニーに入団することまでできたのですから。ディレクターからスタッフまで皆フランクだし、雰囲気が良くて結束も固い、良いバレエ団です。

――プリンシパルになってからは、普段のトレーニング・スケジュールなどにも変化がありましたか?

責任が増え、周りの皆からの期待も高くなるし、普段のクラスをより気を引き締めてがんばるようになりました。リハーサル後も少し残って練習したりと、小さな努力を心がけるようにしています。プリンシパルになったからといって怠けて下手になったらデヴィッドも悲しむだろうし、ほかのダンサーもそんな私のサポートはしたくないと思うので。

――普段のレッスンで特に気を付けていることを教えていただけますか?

バレエはいつでも音楽に合わせてストーリーやムーブメントの意味を伝えるものなので、私はこの音楽性を重視しています。リハーサルだけでなく、普段のクラスからそれはいつも気にかけてやるようにしています。

――同バレエ団で同じくプリンシパル・ダンサーとしてご活躍中のチェンウ・グオ(Chengwu Guo)さんは、近藤さんのパートナーとしても知られていますね。公私をともにされる彼からは、同じダンサーとしてどのような影響を受けられていますか?

彼は良い意味でとても自信家で、そういった部分でずいぶんと助けられています。入団したばかりのころの私は、まわりに遠慮してなかなか自分の意見を言えなかったんです。それで「もっと踊りたいのに役がもらえない」と彼に愚痴をこぼしていたら、「なんで僕に言うんだ。僕はディレクターじゃないから何もできない。そのままの気持ちをデヴィッドに話に行けばいいんだよ」って…。自分ではそんな大胆な発想及びもしなかったのですが、この件で背中を押され、思い切ってデヴィッドに話しに行ったら、きちんと私の意見を受け止めてくれて、最後には「言ってくれてありがとう」と言ってくれたんです!そこからは、デヴィッドも実際に以前よりも具体的なアドバイスをくれるなど、私の意思表示を尊重してくれていたと思います。


パートナーのチェンウさんと

 

――チェンさんは24歳の時にプリンシパルに昇格されましたね。そして今回、近藤さんも奇しくも同じ、弱冠24歳という歳でこの最高位につきました。ともにプリンシパルには大変若く偉業と言えそうですが、これは偶然なのでしょうか。それともチェンさんが昇格された時から「私も…」と何か具体的なビジョンを掲げられていましたか?

チェンは私より3つ年上で、いつも少し先をパワフルに走っているといういう感じなのですが、彼がプリンシパルになった時、“それなら私も24歳までには!”と、漠然とは思っていましたね。でも、まさか本当に実現するとは思っていませんでした(笑)。

――ご自身のバレエ・ダンサーとしての強み、また逆に弱みはどこにあると思いますか?

日本にいたころから技術面では十分にトレーニングを積んできたので、こちらでもその点で苦労するということはあまりなかったです。でも、苦手だったというか、ここで育んだことといえば芸術性。何者でもないところから突然の意思表明をして以来、冷静に私の成長を見守ってくれていたデヴィッドですが、彼からもソリスト(編注:ダンサーの階級の1つ。オーストラリアン・バレエ団では主役級の意)に昇格した時に改めて「芸術性をもっと上げてほしい」と言われていました。

――それはどのように克服されたのでしょうか。

その言葉を言われてからずっと、芸術面を磨くように心がけてリハーサルを重ねてきたのですが、これが今回ジゼルの役をやるにあたってぐっと強化される機会に恵まれたんです。というのも、ソリストになってから、リハーサルはずっとフィオナ・トンキン氏に指導についてもらっていたのですが、彼女が現役時代に特に得意としていた演目が『ジゼル』。彼女の踊りは観る者に訴えかけてくるような表現力がすごくて…。お手本を見せてもらった際に、あまりに感動して泣いてしまったこともありました。そんなこともあって、さらに表現力の大切さを痛感し、以来、リハーサルでは徹底的にがんばって、彼女からもみっちりしごいてもらえ、お陰で『ジゼル』の公演が始まるころにはデヴィッドにも「すごく成長したね」と褒めてもらえました。自分のテクニカルな面にずっと追いつけなかった芸術性がここへ来てようやく肩を並べ、両方兼ね備わったと認めてもらえたタイミングだったので、プリンシパルに上げてくれたのかな、と自分なりに理解しています。

――目標とされてきた憧れのダンサーはいらっしゃいますか?

ロシアのボリショイ・バレエ団のスヴェトラーナ・ザハロワ氏です。私が12歳の時、彼女が日本にきて、ドン・キホーテのパ・ド・ドゥ(編注:2人の踊りの意)を踊ったのですが、それを観た時、彼女のパフォーマンスにすっかり魅了されてしまいました。それがきっかけでずっと彼女に憧れていて、今でもお手本にしています。

今後のビジョン

――最後に、今後の目標やビジョンについてお聞かせください。

昨年の年末、バレエ団から奨学金を頂いてパリ・オペラ座バレエ団、ロイヤル・バレエ団、イングリッシュ・ナショナル・バレエ団、オランダ国立バレエ団と、世界のバレエ団を見てきました。その時、オーストラリアン・バレエ団はこれらの有名なバレエ団と名を連ねられるほどに良いバレエ団だなと改めて誇りに思うことができたんです。でも残念なことに、まだ世界的に見るとそこまで名前が知られていないので、このバレエ団の良さをもっと多くの人に広めていけたらと思っています。

次から次へと夢を叶え、人生を思う存分満喫しているように見える近藤さん。良きパートナーにも恵まれ、気品と美貌と愛らしさを兼ね備えた凛とした表情のその顔は、夢と幸福と希望でバラ色に輝いていた。晴れてプリンシパルとなって一層の精彩が加わった近藤さんの今後の活躍に期待したい。

<プロフィル>
1991年生まれで愛知県出身。3歳からバレエのレッスンをスタート。「全国ジュニア・バレエ・コンクール」で第2位に選ばれ、イギリス、ロイヤルバレエ団のインターナショナル・サマース・クールへ通う。その翌年には毎年ニューヨークで開催されるプロ・ダンサーへの登竜門の1つであるバレエの国際コンクール「ユース・アメリカ・グランプリ」でオーストラリア・バレエ学校の奨学金を獲得。10年にオーストラリアン・バレエ団に入団し、昨年のシニア・アーティストへの昇格を経て今年4月、最高位のプリンシパル・ダンサーに昇格。

【お知らせ】
今月号P50の「シアター通信」では、近藤亜香さんも主演を務めた『ザ・ドリーム』のレビュー記事を掲載中。今号より不定期連載としてスタートしたこの「シアター通信」では、今後もバレエやオペラ、ミュージカルなどさまざまなパフォーミングアーツのレポートを掲載予定です。

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