弁護士・ハーディング裕子さんインタビュー

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弁護士・
ハーディング裕子さん

語学学校経営者・
横路由希子さん

Roto Migration Services、Vege-Box

いくつになっても、失敗を恐れずチャレンジすることが大切

ハーディング法律事務所代表
ハーディング裕子さん

 不動産やビジネス売買などを中心に活躍する弁護士のハーディング裕子さんは、ゴールドコーストを拠点に、シドニーや東京へ仕事やセミナーで定期的に訪れる多忙な弁護士だ。子どものころからピアニストを目指し、音楽を学んでいた彼女が本格的に法律を学び始めたのは30代になってから。そこには「いつでもやり直すことができるから、恐れることなくチャレンジする」という確固たる信念があった。

ハーディング裕子(Harding Yuko)プロフィル◎ハーディング法律事務所代表。弁護士として12年の実務経験を持ち、ゴールドコースト日本商工会議所第24期(2014/2015)会頭。シドニー日本商工会議所準会員。

ピアニストを目指した日本の学生時代

「音楽が好きで、子どものころからピアニストになるための勉強をしていました」というハーディング裕子さん。

実家では母親がお茶やお花の教室を開いていて、小さい時から茶道など伝統的な日本文化に親しみ、学生時代は音楽に打ち込む毎日だったという。中学校で英語を学び始めると、語学にも興味が湧き、英語クラブに所属。学校は音楽だけでなく英語教育にも力を入れていたため、英語への興味が失われることはなかった。

大学2年生の春休みに1カ月、単身でアメリカのサンフランシスコへ語学留学をすることになる。「帰国1週間前に1人でニューヨーク行きを決心し、チケットからホテルの予約まで全部自分で手配したのが良い経験になりました」と言う。この経験が英語への興味をさらに深めていくことになる。

その後、オーストラリアへ渡り、20代後半にボンド大学で「応用言語学」を学んだ。これは日本語の教師になるための専門的なコース。ある時、教授からボンド大学の日本語科で非常勤講師をしてみないかと勧められる。応用言語学のコースで学びながら、同時に別のクラスで講師を勤めるという、学生と講師の二重生活が続いたハーディングさん。当時は日本人旅行者が盛んにオーストラリアへ訪れた時期でもあり、ツアー・ガイドなどのアルバイトもしていた。多忙な毎日を過ごす中で、日本とオーストラリアの交流について考えるようになったという。

法学部への進学

弁護士への足掛かりとなったクイーンズランド工科大学の卒業式にて
弁護士への足掛かりとなったクイーンズランド工科大学の卒業式にて

ボンド大学で非常勤講師をしていた時のクラスには法学部の学生が多く、彼らの影響で、法律を通して暮らし方や考え方などに対して興味を深めていき、30代前半でクイーンズランド工科大学の法学部へ進学することを決心した。「法律の勉強は自分自身へのチャレンジで、当初は弁護士になる気持ちもなく、卒業できるのかさえ不安でした」と当時を振り返る。

英語で書かれた膨大な量の判例をとにかく読み、1日10時間以上を勉強に費やす毎日が続き、このころはひたすら勉強をしていた思い出しかなく「人生で一番勉強した時期」だったそうだ。600人いた同級生も卒業時には半分程度になるという難関を、持ち前のチャレンジ精神と努力で乗り切り、卒業と同時に弁護士として活動することになる。

当時の友人たちも弁護士になり、現在でも助け合ったり、励まし合うなどして交流が続いている。この時のさまざまな経験が、後々の財産や自信につながっているそうだ。「30代前半から法律の勉強を始めたのですが、オーストラリアではマチュアー・スチューデントといって、社会人になってからも勉強する人が多く、大学や学生たちも当たり前のように受け入れている環境があります。分け隔てなくお互い切磋琢磨して学べる点が素晴らしいです」。新しいことにチャレンジし、努力することには年齢は関係なく、いくつになってもできることと痛感したそうだ。

また「平等」についても深く考えさせられた。大学のテストの時、外国人は事前に申請すれば辞書の持ち込みが許可され、また試験時間も15~20分程度の延長が認められるため、ハーディングさんもこの制度を利用していた。しかし一部の学生から「この制度はアン・フェアでないか?」と指摘され、以後は利用しなくなった。「自分は外国人でしたが、ローカルと対等な扱いを受けることを希望しました」とチャレンジすることに妥協しなかった。外国人や女性だからという理由で区別されることなく、対等な立場だからこそ認められると気がついた。

弁護士として活躍

クイーンズランド工科大学の卒業と同時に、ボンド大学の修士ディプロマ・リーガル・プラクティス・コースを終了し、2003年9月にクイーンズランド州高等裁判所から任官を受け弁護士として活動をスタート。地元の法律事務所をいくつか経て、12年7月に独立開業し、現在に至っている。

社名の「HARDING LEGAL」には、特に日本人として意識することなく地元ローカルと対等でありたい、という願いが込められている。

現在は不動産売買、オフィス賃貸契約、一般商業案件、遺言書や相続手続きなどを中心に活躍し、QLD州だけでなくNSW州やVIC州からも依頼がある。「シドニーと東京にもオフィスがあり、シドニーへ月1回、日本へも2~3カ月に一度、仕事やセミナーで出かけています」と話すハーディングさんは、忙しくも充実した毎日を送っている。「独立して4年目を迎え、成功する経営者になれるように仕事に集中しています」。成功する経営者になるためには何が大切かと尋ねると「社会に貢献し喜んでもらえること」と話してくれた。

在豪日本人として思うこと

日本の大学で音楽と英語を学び、オーストラリアの大学では英語をツールとして使いながら、応用言語学や法律を学んだ経験から、日本とオーストラリアの違いについて聞いてみた。

「オーストラリアでは自分の意見をはっきりと言わなければならないし、他人の考えに対して意見を求められる機会が多い。通り一遍の当たり障りのない意見では評価されないことが厳しいと感じました」。

例えば、法律の授業での模擬裁判では、はっきりと自分の意見を主張しなければならず、その中に自分の人生から得られた経験を織り交ぜるなど、ほかの人とは異なる視点や考えも必要になる。「他人と同じ意見ではなく自分ならこう考える、と主張する大切さを学びました」。

また、日本の社会ではなかなか女性は受け入れられないが、オーストラリアでは女性や外国人でもきちんと社会に認められている。法曹界となるとオーストラリアでも未だに男性中心だが、それでも女性弁護士もきちんと受け入れられているという。

移民たちによって作られた国だからこそ、平等にこだわり、地元に溶け込もうとしている人たちを受け入れる精神が培われている――。そんなオーストラリアで暮らしているからこそ、1人の日本人として、女性としてまた弁護士として、在豪日本人コミュニティーに何か貢献できないかと考え始めるようになったという。

これから挑戦してみたいこと

日本での学生時代はピアニストを目指していた
日本での学生時代はピアニストを目指していた

趣味の1つである琴をイベントで演奏するハーディングさん
趣味の1つである琴をイベントで演奏するハーディングさん

ピアニストを目指し音楽に打ち込んでいた幼少期をはじめ、英語に興味を持ち語学留学した学生時代、法律の勉強を始めた30代での経験などから、自分のやりたいことは恐れることなく取り組んでみることが大事だと話す彼女。「思うように時間が取れず休みがちですが・・・」と前置きしながらも、数年前からゴールドコースト(GC)にある琴のサークル「和(Nagomi)」に参加し、さまざまなイベントで演奏をし、日本人と地元オージーとの交流に積極的に加わっている。

そんなハーディングさんは現在、日本人弁護士として日系社会の役に立ちたいと願い活動する傍ら、GC日本商工会議所の一員として「GCの魅力をもっと多くの日本人へ伝えたい、より多くの人に来豪してほしい」と活動に取り組んでいる。

さらに一個人として、日本人を対象に家庭内暴力で困っている人を支援するグループにも参加している。QLD州警察の多文化を担当する課内(Gold Coast Cross Cultural Liaison Unit)で結成され、さまざまな文化の代表者が参加し、あらゆるトラブルに対してサポートを行うグループ「Advisory Leadership Group」だ。今後も、日本人コミュニティーで何か役に立てることがあれば積極的に参加していきたいという。

今まで歩んできた道を振り返ると、その時、その時でやりたいことや、興味を持ったものは違うかもしれない。しかしハーディングさんは「やりたいと思って始める時に『遅い』と考えることはありませんでした」と言う。

「いつでもやり直すことはできるし、恐れてはいけない。ここオーストラリアでは、『外国人だからとか、女性だから』とは言われません。チャレンジしている人は必ず受け入れられるはずです。決して楽な道ではありませんが、自分自身の人生だから、年齢などを理由にして諦めてはいけないと思います」。

30歳を過ぎてから、人生の進む道を大きく変更し、現在オーストラリアで活躍するハーディングさん。いくつになっても失敗を恐れず、チャレンジし続けることの大切さを私たちに教えてくれた。

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