語学学校経営者・横路由希子さんインタビュー

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弁護士・
ハーディング裕子さん

語学学校経営者・
横路由希子さん

Roto Migration Services、Vege-Box

「起業」を夢で終わらせず、必ず達成できる目標にすること

横路由希子さん

 渡豪し旅行会社勤務を経た横路由希子さんは、大学院在学中に、語学学校を経営することを目標として行動を開始。設立した学校はカナダやニュージーランドへも進出し、30カ国以上から1万1,000人を超える生徒を受け入れ、ビジネスは年商300万ドルを超えるまでに成長した。「若くて、怖いもの知らずだった」「周りの人やスタッフに恵まれた」と話し、自身の経験を次世代へと伝えることを使命と考える彼女が、起業の経緯や成功のカギについて語ってくれた。

横路由希子(Yukiko Yokomichi)プロフィル◎1998年に渡豪し、2003年にシドニーで英語学校「Language Education Tertiary School(LETS)」をスタート。05年にカナダ、06年にはニュージランドへ進出。また06年、政府認可の英語学校「Step One College」設立。14年、事業を売却し、現在は次のビジネスを模索中。

英語に夢中だった学生時代

「母が英語に関心が強く、小さいころから自然と英語になじむ環境でした」と話す横路由希子さん。中学1年生の夏、自宅に3カ月間ホームステイしたアメリカ人高校生の影響で異文化に興味を持ち、高校卒業後にサウス・イースト・ミズーリ州立大学へ進学。アメリカの大学間で単位が簡単に交換できる制度を利用し、ボストン大学、アラスカ州立大学、ハワイ州立大学の4校で学業に打ち込んだ。大学入学は簡単だが卒業は難しいといわれるアメリカで、留学先の大学の卒業率は30パーセント前後という低さだった。

「とにかく早く卒業したいと思い、毎日深夜3時まで必死で勉強し、2年10カ月で全単位を修得し卒業することができました。この時の“やり抜いた”という達成感が、今の自分の人生の基本的な自信になっています」

渡豪のきっかけと永住権の取得

大学を卒業後日本へ帰国し、旅行会社の国際旅行事業部に勤務した横路さんは、中南米オセアニアから日本への観光客招致のためのセールスを5年間担当した。その間、ブラジル副大統領の訪日や、サッカーのトヨタ・カップ観戦ツアーなどを手がけたという。

元々は海外勤務を希望していたが、なかなか機会に恵まれない中で転機となったのは自身の行動だった。当時担当していたシドニー地域のセールス人材が充実していないことにしびれを切らし、自分の有給休暇を使ってシドニーでセールス業務にあたることにしたのだ。シドニー支店へ「絶対に数字を上げるから私を雇ってください」とアピールし現地採用で雇われることになり、ビジネス・ビザを得て渡豪する運びとなった。

こうしてシドニーへ来た横路さんだったが、勤務先の部署が入社1年で閉鎖決定となり、途方に暮れていたところ、ほかの旅行会社から採用の話が舞い込む。しかし入社後、この会社も倒産が近い末期状態だったことが発覚。続けて逆境に見舞われた横路さんだったが、くじけるどころか「残っていた社員はガッツのある前向きな人たちばかりで、この末期的な状況がなかなか楽しかったんです。彼らと一緒に『どうやったら会社を立て直せるのか、健全な経営ができるのか』と話し合いを重ねるうちに、自分で会社をやってみたい、起業したい思うようになりました」と当時を振り返る。

UTS(シドニー工科大学)卒業式にて
UTS(シドニー工科大学)卒業式にて

結局この会社は1年後に倒産、彼女はその後ほかの旅行会社で再びビジネス・ビザを取得し働くが、2001年9月にアンセット・オーストラリア航空が倒産。そして同週にアメリカで9.11テロが発生し、旅行業界全体が先行きが怪しくなってしまう。

こうした状況を踏まえ自力で永住権を取ろうと決意した横路さんは、日本語教師が最も自分にとって得やすい資格と考え、シドニー工科大学の大学院に通い、得た資格を基に無事に永住権を取得することとなった。

起業へのチャレンジ

大学院で学びながら起業のアイデアを練る中、友人が経営する留学エージェントで冬休みにアルバイトをすることに。その勤務経験から、語学学校という存在に興味を持ち始めた。

「起業するからには不況にも強いビジネスをやりたいと考え、その中からさらに自分の可能性を考慮し教育関係に的を絞りました。手数料を利益とする商売ではなくきちんと収益を上げられることも決め手となり、英語学校を始めようと決意しました」

目標は決まったが、この時点で横路さんは教育関連の就労経験が皆無だった。まず学校で働くことを最初のステップとし、シドニーにある約70の学校へ履歴書を送付し、その内の1校へ就職する。その学校でマーケティング・スタッフとして1年間働きながら、生徒を集める方法を学んだり、学生ビザについての基本的な知識を得たのだという。

そして1年後の03年10月、ついに自身で「Language Education Tertiary School(LETS)」という英語学校をシドニーに開校する。「開校前は緊張の連続で毎朝4時に目が覚めてしまい、早朝から仕事をしました。果たして本当に生徒が集まるのか、不安でいっぱいでした」と横路さんは当時を振り返る。

「失敗してもまだ若いからやり直しが利く。失うのは資本金の10万ドルだけ。お金は失ってもまた取り戻せるから大して重要な問題ではない、と自分に言い聞かせていました」

日本やオーストラリアで高校生や留学を考えている人を対象にセミナーを開催。また国際交流協会での講師を務めた
日本やオーストラリアで高校生や留学を考えている人を対象にセミナーを開催。また国際交流協会での講師を務めた

開校前に集まった生徒はわずか5人だったが、初日に30人以上が体験レッスンに訪れ、その日だけで20人の入学が決定。心配は杞憂に終わり、順調なスタートを切った。開校当時は一般英語、英会話、TOEIC試験対策、そして児童英語教師育成コースの4コースを開講していた。その後「J-Shine(日本の小学校で英語を教えることが可能になる資格)」の海外初の認定校にもなり、6教室から始まった小さなキャンパスは、シドニーの中心地で18教室にまで成長していった。

「あなたに出資します」

ビジネスが軌道に乗ったことから、横路さんはその次のステップとして、ほかの国での事業展開を模索し始めていた。しかし資金は限られている。そんなことを考えていたある日、学校スタッフの元勤務先の社長とシドニーで会食する機会があった。

「食事中に『今一番やりたいことは何ですか?』と尋ねられ、私は『今やっているビジネスをカナダにも広げたいです』と言い、成功の可能性を熱く語りました。話し終えた時、社長さんが『あなたに出資します。あなたの夢を応援します』と仰って私に右手を差し出してくださいました」

その後ほかにも出資者が現れ、05年に「LETSカナダ」をバンクーバーに、翌年に「LETSニュージーランド」をオークランドに開校。豪州のLETSは学生ビザ発行のための認可を受けていない学校だったが、同年、学生ビザ発行の政府認可を受けた「Step One College」もシドニーに開校した。

ビジネスの難しさと成功のカギ

スタッフと定期的に飲みに行ったり、ランチ会やお茶会を開くなどしてコミュニケーションを図るよう心がけた
スタッフと定期的に飲みに行ったり、ランチ会やお茶会を開くなどしてコミュニケーションを図るよう心がけた

オーストラリアで起業し、ビジネスを継続していくためにはさまざまな困難がある。日本人だけでなく多国籍の従業員を雇う場合、いかに気持ち良く働いてもらうか、という点に留意したという。

「小さなことでもしっかり褒め、感謝していると伝え続けることを心がけました。しかし、ある先生の退職パーティーのスピーチで『He was the best teacher at LETS』と述べたところ、ほかの先生が『Why not me?』と泣き出し大変驚いたことがあります」と、褒めるだけでなく周囲への配慮の必要性も考えさせられた。

そして時には経営者として毅然とした態度を取ることも必要だ。

「就業規則に従わない従業員を解雇するのも、大変な仕事の1つでした。雇った責任がある以上できるだけ雇用を続けるというのが私のポリシーでしたが、それでも生徒さんたちからあまりにクレームがくる先生は解雇せざるを得ず、法的にも円満に辞めてもらうのに苦労しました」

順調にビジネスを続けられた理由を、横路さんは次のように考えている。

「1つは若い時に始めたこと。起業には体力が必要で、起きている時間すべてをビジネスに捧げる覚悟と、それをできる体力があること、そしてビジネスを最優先にできる環境にいること。年を取ると経験に基づき頭で考える分、行動が鈍ります。事業の成功には『若く、怖いもの知らず』が1つの要素であり武器であると思います。2つ目は自分を支えてくれるプロフェッショナルなチームが周りにいたこと。会計士や弁護士など、どれだけ信頼できる人がチームになってくれるかが大きなカギです。また経営者仲間からは貴重なアドバイスを多くもらいました。3つ目に、従業員に恵まれていたこと。私はそんなに高い給料を払えていたわけではないですが、それでも『LETSが好き、ユキさんと一緒にやりたい』と言ってくれた仲間たちがたくさんいたからこそ、大きな失敗なくやれたのだと思います」

起業を目指す人へのメッセージ

「オーストラリアは起業に対して開かれた環境です」と横路さんは言う。

「ビジネスに対して半歩進んだ眼差しがあれば平等な起業のチャンスがあり、成功する可能性が高いと感じます。また人種は関係なく、日本人でも十分成功できます。男女の性差別も日本と比べると格段に少ないです」

そして起業を夢だけで終わらせず、必ず達成できる“目標”として設定してほしいという。「まず自分の夢を人に語ること。賛同する人も、意見してくれる人もいます。ビジネスを通して何を自分がしたいのかを明確に決めることが大切です」と強く訴えた。

最後に「何か経験を得たら最終的には社会貢献を考えてみてください。自分の経験を伝えることが私の今後の義務であり社会貢献であると考えています。もしほかの起業家がこの記事を読んでくださったなら、私と同じように自分の経験を若い世代に語ってほしいと願います。夢や目標を持ってがんばる皆さん、絶対に諦めないでください」と語ってくれた横路さん。その言葉には、経験に基づく力強さと温かさが感じられた。

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