豪州徒歩横断に挑む、若き冒険家・鈴木淳平の物語

取材・文:植松久隆(ライター/本誌特約記者)写真:本人提供 豪州徒歩横断に挑む、若き冒険家・鈴木淳平の物語
取材・文:植松久隆(ライター/本誌特約記者)
写真:本人提供

手渡されたその名刺には「Walking Traveller of Desert」という肩書が刻まれている。その肩書の人物は、リヤカーを引き砂漠を踏破することのみに挑み続ける冒険家・鈴木淳平。中学校のころから始まった彼の冒険人生は、社会人になった今もなお続き、ある偉大な冒険家との出会いをきっかけに現在のスタイルへと至っている。2014年、豪州徒歩横断に挑んだ彼だったが、道半ばで挑戦の断念に追い込まれた。そんな4年前の蹉跌を経て、今年8月、豪州大陸に再び挑もうとしている。その冒険人生、そして二度目の豪州横断の挑戦について語ってもらった(文中敬称略)

衝撃的な「冒険」との出合い

「冒険家」と聞いて想像するのは、ある種ステレオタイプ化されたイメージ。日焼けした肌、無精ひげの豪快なキャラクターといったところだろうか。ところが、6月某日、都内某所の貸会議室でのインタビューに姿を現したのは、そんなイメージとはかけ離れた律義な人間性が表われた痩身の好青年。一見すれば研究者と言っても通用しそうな佇(たたず)まいと物腰の柔らかい話しぶりが印象的なその男こそ、リヤカーを引きつつ世界の砂漠を徒歩で旅する気鋭の若手冒険家・鈴木淳平(27)だ。

出生直後に札幌市に移って以来、大学卒業までずっと道内で暮らす“道産子”は、アウトドアやサイクリングをこよなく愛する家族の3兄弟の3男として育った。中学卒業時まで中学校の数学教師になることを夢見ていた少年の冒険人生の原点は、「鈴木家の通過儀礼」である父親との北海道横断400キロの自転車旅行という中学校2年時の経験までさかのぼる。アウトドア好きの家庭で自然に育まれた冒険的気質が、この経験ではっきり種火として灯った。

そんな純朴な少年と「冒険」の本格的な出合いは突然やってきた。高校2年生、17歳の時、偶然、母が録画したテレビのドキュメンタリー番組に映った“リヤカー・マン”と呼ばれる1人の日本人冒険家に目を奪われた。番組内で、リヤカーを引きながらチリのアタカマ砂漠の踏破を試みていたのは、さまざまな徒歩冒険旅行を成し遂げてきた永瀬忠志だった。

番組を見終えた時には完全に心も奪われていた少年は、母親に「高校を辞めて冒険家になる」と漏らすほどの衝撃を受けた。心の奥底にあった冒険の思いの種火がはっきり燃え上がった瞬間だった。

栄養バランスにも配慮が足りなかった前回挑戦時に携行の食事。ハエは外での食事の際にはよくたかった
栄養バランスにも配慮が足りなかった前回挑戦時に携行の食事。ハエは外での食事の際にはよくたかった
手書きのメモや訪れた街のステッカーで埋まった計画表。前回の失敗の教訓が見えてくるようだ
手書きのメモや訪れた街のステッカーで埋まった計画表。前回の失敗の教訓が見えてくるようだ

それを機に冒険家への夢を追い始めた息子を、両親は「そんなに焦ることはない。まずは大学に入って、その4年間でやりたいことを見極めれば良い。冒険家になるかどうかはそれからでも遅くはない」と諭した。そんな両親の説得を受け入れた淳平少年は高校卒業後、北海道教育大学旭川校に進んだ。「教師になるためというよりは自分の人生の進路を見つけるための進学」と本人が振り返るように、在学中は学業同等にアルバイトに精を出し、長期の休みには冒険旅行に出る学生生活の中で冒険への思いは更に燃え盛っていく。

「最初から砂漠に行き、本格的な冒険をしたかったのですが自信がなく、まずは日本からということで、大学1年の夏、旭川から九州の佐賀まで56日間掛けた自転車縦断旅行をしたのが、僕の冒険デビューでした」

日本縦断自転車旅行から始まったその冒険の実績は、学生時代の4年間で少しずつ積み上がっていく。2010年、大学1年の春休みには沖縄・宮古・石垣の3島を徒歩一周旅行。この時の旅の相棒は、当初はキャリー・ケースだったが、その破損に伴い、急遽、途中からホームセンターで購入した台車へと代わった。続く、大学2年生の冬は、今となれば「無謀の極み」と振り返る海外初挑戦にして、リヤカー・デビューとなったモンゴル・ゴビ砂漠徒歩縦断。これは準備不足がたたり10日で断念するも、2年後の大学4年の夏に装備や計画を練り直してリベンジを果たした。冒険に明け暮れた4年の大学生活を終えた鈴木の手には、卒業証書と共に小中高の教員免許がしっかりと握られていた。

「失敗」から学ぶ冒険人生

大学卒業後は定職に就かず、本格的な冒険家としてのキャリアを歩み始めた。そして、モンゴルの次の目標と定めたのが南半球の大陸国家・豪州だった。既に14年に、ブリスベンからパースに向かう行程で豪州徒歩横断に挑んでいるが、自らが「準備不足」と断じる一度目の挑戦は、リヤカーを引きながら1,840キロを歩いた地点で断念に追い込まれた。

モンゴル、豪州と2つの失敗から学んだのが、とにかく周到な準備をするということ。その考えに基づいて行った今年8月に迫る2度目の豪州挑戦に向けての準備は「万全で抜かりない」と本人。例えば、砂漠で遭遇し得る毒ヘビについて学ぶために専門家を訪ね、その推薦文献から専門的な知識を得た。食料や水の補給態勢も万全に整えるべく、車でコースの下見を実施し、実際に補給拠点となる内陸の街の住民に直接会いサポートの約束も取り付けている。

「失敗から学ぶことで、自分が少しずつ成長していくのが分かり、これが本当に面白い」と、その準備過程を本人は楽しんでいる。「目立ちたくなく、自分が成長するために歩いているので、周りにアピールすることは考えてきませんでした」と言うが、その表情は自信に満ちている。それでも、ただ謙虚に見えるその振る舞いが静かに燃える。これが鈴木淳平の流儀だ。

4年を掛け練ってきた綿密なプランの下、今回の挑戦に要する費用は約500万円に上る。そんな大きな負担にもかかわらず、その全額を4年掛けて自動車工場勤めなどで蓄えた自己資金のみで賄う。もちろん、スポンサーを集めるという術があるのは分かっている。実際、前回の挑戦ではスポンサーを募り、リヤカーの横に幾つもの企業のロゴ・シールを貼った。今後、スポンサーを募る可能性だって否定はしない。それでも今回だけは譲れないという。

「とにかく、今回は『成功』にコミットしたいんです。前回は多くのスポンサーから賛同頂き、その思いと責任を背負って歩く挑戦でした。それは非常に良い経験でしたが、今回は、とにかく自分と向き合いながら自分らしい旅で歩きに集中したいんです。そのような思いから、資金面での支援を呼び掛けないと決めました」と、スポンサー支援ゼロでの挑戦の気持ちにブレはない。

4年前の挑戦で断念した1,840キロ地点
4年前の挑戦で断念した1,840キロ地点

「冒険家」として会いたい憧れの人

実は、まだ偉大な冒険界の先達である永瀬とは直接的な面識はない。会いたい気持ちはあるが、豪州徒歩横断を成功させてから会いに行ければと思っている。

「今、お会いしてしまうと、豪州横断のやり方を知ってしまう気がするんです。経験豊富な永瀬さんと話して、そのことを(挑戦前に)感じてしまうのではつまらない」

その永瀬は既に78年から79年に掛けて、パース・シドニー間4,200キロを踏破、豪州横断を達成している。

「今回の僕のルートは、かつて永瀬さんが挑まれたルートより難易度が高いものです。それをやり遂げてから胸を張って会いに行くつもりです」という言葉には、相手が植村直己冒険賞を受賞するような大物であっても、冒険家として同じフィールドに立つ以上はと同じプロの意地が覗く。

「これまで日本人数人が豪州横断に成功していますが、それは全て舗装路だけで踏破できるもう少し南のルートでの話。僕は誰も成し遂げていないコースを歩き切りたいし、リヤカーを引けるならどこでも良いのではなく、砂漠しか興味がありません」との思いが、必然的に豪州ではインド洋に面したパースから南太平洋に臨むブリスベンを結ぶ5,130キロの横断ルートを選ばせた。

今回のコースは、豪州大陸のど真ん中のアウトバックの殺伐とした赤土の大地を踏みしめなければならない。しかも、そのかなりの部分は舗装されていない。しかし、今回はその赤い荒野の先に待つ「成功」だけをしっかりと見据えて、歩を進める。

少し気が早いが、豪州の次をどのように見据えているのかを最後に聞いた。

「もし、冒険を続けるのであれば、次も豪州です。今回は舗装されているかどうかの違いはあっても全行程で車道、だから、次は、道なき道をGPSを頼りに踏破したい。アボリジニーの文化にもとても興味があるので、しばらくは豪州と縁がありそうです」

少し意外なその答えを聞けば、在豪邦人社会としては応援しないわけにはいかない。まずは、8月にスタートし半年近く豪州の地を踏みしめ歩く、若き冒険家の挑戦の過程をしっかりと追っていきたい。

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