煙の中をさまよった6時間

特別対談
中田さんが現在滞在しているウィトルシーの妹さんの家の庭で。後ろの山向こうには大被害となったキング・レイクの街がある

独占ロング・インタビュー
九死に一生を得たワーホリ・メーカー
中田未来さん

VIC州ブッシュ・ファイアーで被災

取材・文=田部井紀子(本紙メルボルン駐在記者)
 2月23日現在の死者数209人、東京都の総面積を軽く超える30万ヘクタール以上を焼き尽くしたVIC州東部のブッシュ・ファイアー。1939年のブラック・フライデー、83年のアッシュ・ウェンズデーを超える豪州史上最悪の被害となった2月7日「ブラック・サタデー」で被災した日本人が数名いる。そのうちの1人が兵庫県神戸市出身のワーキング・ホリデー・メーカー中田未来さん(27歳)だ。すべてが焼け落ちた町として全国に知られたマリーズビルで被災した中田さんに、火事発生当時と避難する間の様子、そして現在行っている募金活動について話を聞いた。


煙の中をさまよった6時間
3時44分に中田さんが携帯で撮った空の様子

■一瞬で辺りが暗褐色に
 日中の最高気温が46度、強風の吹き荒れる2月7日土曜日。前週4日続いた40度以上の猛暑が続き、やっと涼しくなったと思った矢先の酷暑だった。仕事が休みだった中田さんは、同僚の平良真生さん(22歳)と一緒にクーラーの利いた部屋でビデオを見るなどして朝からのんびり過ごしていた。
 ワーホリの2人は農場などで労働し、その代償として食事とアコモデーションを得る「WWOOFプログラム」を利用して、マリーズビルの宿泊施設でガーデニングなどの仕事に従事していた。
 午後3時44分のことだ。何気なく外に出た平良さんが、「雲が普通の様子ではない」と言う。前日の金曜、宿泊予定だった客から「明日は山火事の危険があるらしいから」とキャンセルの連絡があったのを知っていた中田さんは、不安を感じた。
 ホスト・ファーザーのブルース・モローさんに「逃げなくてもいいのか」と尋ねたが、「車で1時間以上離れた所らしいから心配ない」と言う。だが、心配だった中田さんは念のため荷物をまとめておいた。
 午後5時ごろ、辺り一帯が停電に。電気もないし暗くなる前に食べてしまおうと、6時ごろから夕食を取ることになった。中田さんは平良さんとコテージを離れ、携帯電話とタバコだけを手に食堂へ向かった。メニューはチキンのスペアリブ。食卓ではブルースさんと奥さんが「ブッシュ・ファイアー対象の保険にも入っていないし家が燃えたら破産だ」、「そうよ、絶対入っておくべきよ」などという会話を交わしていたという。
 ブルースさんは皆よりひと足早く食事を終え、風で吹き飛ばされないよう庭に置いてある物を片付けるため、外に出た。その時だ。パチパチと火が弾ける音がし、灰が降ってきた。
 それを聞いて皆も外に出た。火の粉が降ってきた。中田さんは「逃げなきゃ ! 」と荷物を取りに建物の中へ入った瞬間、辺り一面がオレンジがかった暗黒になった。皆がパニックに陥った。
 中田さんは、スペアリブで汚れていた手を洗おうと水道に走った。奥さんは100ドル札がたったの2枚しか入っていないバックパックをつかんだ。ブルースさんは携帯電話といつも持ち歩いていた宿泊の予約台帳を手にした。6歳になるブルースさんの娘はスペアリブを握りしめたままだった。これらはほんの1、2分の出来事だった。
 車に乗ろうと皆が外に駆け出すと、家の裏手、たった20メートルほどの所にある木が、燃え盛る火に包まれていた。中田さんは「それを見た時が、一番恐怖を感じた」と言う。燃える木を背に5人は車を出した。

煙の中をさまよった6時間
6時38分ごろ、逃げる車に乗った瞬間。前は黄色い煙でほとんど見えない

■煙でどこに進んでいるのか分からなかった
 マリーズビルからメルボルンのシティへ行くには、通常、南のヒールズビルを通る。しかし、中田さんらが出発した午後6時38分、南下する道路は既に火がまわり封鎖されていた。
 一行は北へ向かった。北に50キロ弱のアレクサンドラなら友人もいるし、そこに滞在できるかもしれない。だが、アレクサンドラに着いて間もなく、煙が追い付いてきた。「ここも危ない」と一行は西の町イェーへ。そこから南下しようとしたが、またしても道路封鎖で北西のシーモアへ行くしかなかった。
 シーモアに着くと、シティまで行ける道が1本あると聞いたが、その直後、車のラジオは、そこも封鎖されたことを伝えた。
 シーモアは火の手が追って来ておらず、夜が近付き既に気温がかなり下がっていた。着の身着のままで逃げ出した一行の出で立ちは皆、Tシャツに短パン。寒いし、とにかくどこかで休みたい。ポリス・ステーションで「避難所はないか」と聞いたが、火事発生後あまりにもすぐだったため、まだ被災者を受け入れる施設もない。近くのオート・キャンプ場に行くと1泊130ドル。所持金はたったの200ドルしかなく、そんな大金は使えない。
 再びポリス・ステーションでメルボルン・シティへの行き方を聞いた。どうやら裏道を使ってキルモアを通り、シティへ抜ける道があるらしい。ラジオでは絶え間なくキルモアの様子を伝えており、中田さんは危ないのではと思ったが、煙の中を抜けて一行は何とか無事にシティまでたどり着いた。クラウン・カジノの近くまで来た時、中田さんはようやく安心することができたと言う。
「煙に囲まれて周りが全く見えない黄灰色の中を進んでいた時は、火から逃げているのか火に向かっているのかも分からず、本当に怖かった。泣きそうになりながらブルースに『どこに行くの ? 』ばかり尋ねていた」。
 一行は深夜1時になってようやくその日の宿、ブルースさんの母親の家に着いた。中田さんは疲れ果て、すぐに寝入ってしまった。
 翌朝になって、隣のおじいさんが亡くなったと聞いた。ブルースさんの家も宿泊施設も全焼。中田さんのノート・パソコンもデジカメも、iPodもパスポートも燃えてしまった。

煙の中をさまよった6時間
後日、日本のテレビ局の取材班とともに逃げる際に通ったマリーズビル近くの道を訪れた。原型をとどめないほどに焼き尽くされたトラックが、猛火の勢いを物語る

■山火事の夢を見る
 煙の中を6時間逃げ惑い、九死に一生を得た中田さん。だが、壮絶な経験を語る彼女の口調は明るい。実は、中学生の時に阪神大震災に遭い、家の一部が倒壊しながらも家族は皆無事だったという経験をしているのだ。
 大規模な天災を2度も経験し、2度とも無傷だった人はそう多くはない。そんな強運の持ち主も、やはり「あれから山火事の夢はしょっちゅう見ます」と言う。
 中田さんは現在、メルボルンから北に車で1時間の街ウィトルシー近くに住む双子の妹の家に滞在しながら、インターネットを通じて被災者援助のための募金活動を行っている。被災の数日後、妹が「今回の火事で被災した人のために、何かやろう。日本の人に呼びかけて募金をしよう」と提案したのがきっかけだ。
 2人の熱意を汲んで、在日オーストラリア大使館が2月13日、募金を受け入れるための基金を設置した。この日のブログに、中田さんはこう綴った。
「こっちでは毎日、誰かが泣き、後悔し、落胆し、まだ消えてない火に怯え、寒さに凍え、行方不明の家族、友人を心配しています。本当にひどい惨劇です。ぜひ、ぜひ、募金にご協力ください」
 2度の天災を生き抜いた中田さんのタフな優しさは、募金活動を通じて日本の人々に伝わるだろう。



■「オーストラリア2009年  ビクトリア山火事支援基金」日本窓口

<送金先>
三菱東京UFJ銀行東京営業部 
当座預金口座 0300501
オーストラリアコモンウェルスギンコウトウキョウシテン
(送金依頼人名の前に数字104620を必ず明記する)
<現金書留郵送先>
〒108-8361 東京都港区三田2-1-14
オーストラリア大使館山火事担当

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