メルボルン新総領事インタビュー

在メルボルン日本国総領事館 羽田恵子総領事着任インタビュー
「親日家を1人でも多く増やしたい」

メルボルン初の女性総領事が誕生した。4月10日に着任した羽田恵子新総領事に、日豪関係への思い、最も印象に残っている任務を伺った。(インタビュー=メルボルン支局・大木和香)

 

――赴任先がメルボルンに決まった時の心境はいかがでしたか。10年前はパース総領事館にいらっしゃいましたが、パースと比べメルボルンの印象はいかがですか。

メルボルンは日豪の良好な関係を結ぶ中心都市ですので、重要な役を果たさなくてはいけないという緊張がありました。その一方で、「世界で一番暮らしやすい都市」に何度も選ばれている街で仕事ができることをたいへん嬉しく思っています。パースはのんびりとしていて人が親切な街でしたが、メルボルンは大都市にもかかわらず、人がゆったりと生活をしているように見えます。そういったところはパースに似ているかもしれませんね。

 

――日本の女性総領事は世界にどれぐらいいらっしゃいますか。女性総領事として、今後取り上げられることが多いかと思いますが。

今年3月の時点でブリスベンとミラノの総領事、そして私を含めて3人です。4月以降増えているかもしれません。外務省はかなり前から女性職員を多く採用していて、やっと人数的に採用された女性職員が総領事になる年代になっています。たくさんの女性の後輩が、私の仕事ぶりを参考にするかもしれない、そういった意味では正しい仕事ぶりを示していかなければと思います。

 

――これまでの外務省での任務で最も印象に残っている仕事を教えてください。

外務省のアジア太洋州局大洋州課にいた時の任務です。

東日本大震災の直後、オーストラリアから70人以上の救援部隊が派遣され、部隊とともに南三陸町に参りました。南三陸町は津波で壊滅していて、オーストラリア部隊はその隣町の市役所の庭にテントを張り、まだ水も電気もない中で寝泊りをしましたが、夜は零下15度にもなる、たいへん寒い中であったのを覚えています。

そのような大変な状況の中、日本の消防や自衛隊と連携して毎日捜索活動をしていただきました。最後に現地で一緒に活動した消防隊の方が、「毎日捜索しているのに、なかなか生存者が見つからない」と号泣し、オーストラリア部隊の隊長も一緒に男泣きをした姿がたいへん印象に残っています。心のこもった捜索活動をしてもらい、本当にありがたいと思いましたし、今までの外務省生活の中で最も忘れられない仕事をさせていただいたと思います。

 

――日豪経済連携協定(EPA)交渉の大筋合意を受け、外務省は今後VIC州と日本間のビジネス関係をどのようにサポートしていきますか。メルボルン在任中の総領事として重要なミッション、抱負をお聞かせください。

現在の日本とVIC州の良好な関係は、長年ここで活動されてきた日系企業の方々の努力のおかげです。まずは、日系企業の活動をこれからも引き続きしっかりと支援します。基本的に日系企業は豪州側と深く良い関係を築いていますので、側面的に総領事館からサポートなど、何かご要望があればできる限りの仕事をしたいと思います。

また、領事関係の窓口業務、在住日本人のための証明書発給など、手続き業務もきっちりとしていきます。それから、私たち総領事館の最も重要な仕事は日本に興味を持ち理解してくださる人、親日家を1人でも増やしていくことです。そのために文化・人物交流、広報活動など、若者から政治家までいろいろなレベルの交流、相互訪問などにも力を入れていきます。

最近ユニクロもメルボルンに豪州1号店を出しましたね。メルボルンと東京間の直行便も就航し、人もさらに行き来して、今後はいろいろな分野で日本とVIC州の関係が広がっていくと思います。

 

――メルボルン任期中にプライベートで挑戦してみたいことはありますか。

パース時代にゴルフを始め、それ以来ゴルフを続けています。ぜひ、メルボルンのゴルフ・コースでプレーをしたいですね。そのほかにも、担当している南オーストラリア、タスマニアも含め、歴史、文化、自然を訪ね歩くのを楽しみにしています。

●PROFILE はねだけいこ
埼玉県出身。立教大学文学部英米文学科卒。1977年に外務省入省後、語学研修員としてイスラエルのヘブライ大学で2年間ヘブライ語を学ぶ。2005年から2年間、イスラエル日本国大使館一等書記官として勤務。近年は、アジア大洋州局大洋州課地域調整官(2010~12年)、大臣官房人事課企画官(2012~14)を歴任。14年4月に在メルボルン日本国総領事として着任。

 

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