【原発】豪のウランとフクシマ

ルポ:シリーズ・原発問題を考える⑥

豪のウランとフクシマ


世界有数のウラン輸出国として原発産業を支えつつ、自国内には原子力発電所を持たない国オーストラリア。被ばく国であるにもかかわらず、狭い国土に世界第3位の原発数を誇る原発大国・日本。原発を巡る両国のねじれた構造を、オーストラリアに根を張る日系媒体が取り上げないのはそれこそいびつだ。シリーズ「原発問題を考える」では、原発を取り巻くさまざまな状況を記者の視点からまとめていく。
取材・文・写真=馬場一哉(編集部)


フランスの世界最大の原子力関連会社アレバ社から提示された50億ドルの巨額オファーを断り、先祖から受け継いだ土地を守ったジョック族のジェフリー・リーさん

「原発問題には電気料金の問題、経済の問題、枯渇燃料の問題、放射性廃棄物の処理問題、そして被曝の問題などいろいろな問題が載籍されています。しかし、原発の真の問題は『差別』だと思います」

当連載の開始から約半年が経った。その間、ありがたいことに何度か読者の方から応援の言葉をいただいたが、熱心な読者のSさんから上記のような意見を頂戴した。引き続き引用させていただく。

「原子力発電所は財政が破綻した力の弱い過疎地域に建てられています。そしていったんシビア・アクシデントが起こると放射能への感受性の高い子どもたちが一番の犠牲者になります。原発で一番危険な場所で働くのは下請けの日雇い労働者で彼らには危険に見合った賃金も支払われず、ろくな保障もありません。『このような人権侵害の上に立った経済発展などとうてい認めることができない』と、京都大学原子炉実験所・助教の小出裕章氏も発言しておりますが全くその通りだと思います」

過疎地域、子どもたち、危険な場所で働く下請けの日雇い労働者、いわば弱者の犠牲の上に成り立っているのが原発産業であり、それが日本の経済発展を支える構図であり続けてきたという見立てだ。「危険に見合った賃金」「保障がない」といった具体的な事例に関しては、記者自身が確かなソースを持っていないため意見できないが、人間社会はさまざまな立場の人が重層的に織り成される形で形成されているため「差別」は厳然としてどこにでもある。

特に日本社会において、その「差別」は顕著ではなかろうかと記者は思っている。会社組織では、いまだ終身雇用の意識が消えず、労働者は社会生活を保障されていると同時に人生の手綱を握られており、労働時間以外でも無給の残業などを求められれば奉仕することを余儀なくされかねない。断る権利はあってもそれをしないのは、いかに前向きな理由を付けたとしても、結局のところ立場が弱いからだ。「差別」という言葉が適切かは分からないが少なくともそのような不平等はどこにでもあるし、結局は程度の問題だ。

「空気」という見えないものを大事にする文化では「暗黙の了解」という名のルールを逸脱することは調和を乱すこととして歓迎されない。波風を立てることを嫌い、自分が犠牲になり我慢することで物ごとを乗り切ったり、帳尻合わせをする人も少なくないが、それがよりいっそう弱者を利用される側へと追い込む。しかし、個人の犠牲の上に成り立つ繁栄は、その繁栄自体が大きくなればなるほど、必要となる犠牲も大きくなる。だから個を犠牲にする社会に明るい未来はないと記者は思っている。

弱い立場のものから搾取し、その上にあぐらをかいている人々がいるという構図は社会では当たり前の構図でもあり、変えることは極めて困難だ。だが、程度の問題がある。払う犠牲の大きさいかんによっては大きな人権侵害問題になるだろうし、差別として糾弾されうる性格のものになる。そういう観点から、Sさんの意見には賛同できる。

これを受け、さしあたって記者は原発の立地の決め方について調べてみた。文部科学省のホームページをたどると、原子力委員会は今から48年前の昭和39年(1964年)5月27日に「原子炉立地審査指針」というものを定めていることが分かる。その内容を噛み砕いて説明すると以下のようなものになる。

「最悪の状況で重大な事故が発生した場合、周辺の公衆に放射線障害を与えない場所に原子炉を設置しなければならない。また、実際に起こることが考えられないレベルの事故も想定し、周辺の公衆に著しい放射線災害を与えないことを考える必要がある」

これを前提条件として、具体的には「周囲が非居住区域であり、その外側が低人口区域、さらに全体として人口密集地から離れている場所」が立地として適切とされている。

「非居住区域」とは、公衆が居住しない区域であり、人がそこにい続けると放射線障害を受ける可能性のある範囲。「低人口区域」とは、著しい放射線災害を与えないための適切な措置を講じうる環境にある人口密度の低い地帯。そして、「人口密集地から離れている場所」とは仮想事故(起こることが考えられないレベルの事故)の場合に、その地域集団の全身被曝線量の積算値が、十分受け入れられる程度に小さい値になる距離とされている。

この指針は重大な事故、さらにはそれ以上に大きな仮想事故が起こった際、被曝者などの犠牲を少なくすることを目指しているわけだが、少数に絞るとはいえ被曝の可能性が明示されている以上、そのエリアに住んでいる国民は法の下、平等には扱われていない。そして実際に、福島の人々が犠牲になったのだ。この犠牲は指針が想定していた範囲内のものなのだろうか。明らかにそうではないだろう。

この指針は初出の昭和39年のころより1度も変わることがなかったようだ。スリーマイル島、チェルノブイリの原発事故を経て、国際社会では規制がどんどん厳しくなった中、日本は50年近くにわたり、これを放置してきたのである。

この立地審査指針の見直しが取りざたされたのは震災から1年8カ月後の2012年11月。原子力規制委員会の田中俊一委員長が指針の見直しに言及した。13年7月までに国際基準並みの厳しさで、建設ずみの全原発にも適用するという。

オーストラリアとフクシマの因縁

4月24日、ジュネーブで開催された核拡散防止条約・再検討会議のための準備委員会で、南アフリカが「いかなる状況下でも核兵器を再び使用しない」と核の不使用をうたった共同声明を発表し74カ国が賛同した。しかし、アメリカとの安全保障上の理由、北朝鮮の核開発問題などの懸案事項から、日本は唯一の被爆国であるにもかかわらず賛同しなかったとして、一部で非難を浴びた。核の脅威に2度もさらされ、しかしアメリカの核の傘に守られているという国際的に見てもいびつな状況下にある日本だが、実はオーストラリアともまた切っても切り離せない深い関係にある。

ウラン埋蔵量世界第1位と言われ、生産国としては世界第3位を誇るオーストラリアから、日本は長きに渡りウランを調達してきた。そしてその一部は福島第1原発でもまた使われていたのである。オーストラリア政府がそれを公式に認めたのは2011年10月。緑の党の質問に対し、オーストラリア連邦政府の外務省の役人が、福島第1原発5基以上(全6基)の原子炉での使用を認めた。オーストラリアの豊富なウラン鉱床の多くは先住民の住む地にある。鉱山開発では土地権者である先住民の同意が必要となるが、実際には彼らの意に沿わない鉱山開発が行われ、深刻な環境汚染などが引き起こされた。先祖から受け継いだ土地を守るという鉄の意志を持ち、土地を守りきった者もいたが、ウラン採掘の歴史は先住民アボリジニは苦悩と悲しみとともにあるのが実情だ。次回、オーストラリアのウラン鉱山開発の問題について切り込んでいきたいと思う。

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