「この指止まれ」で被災地支援─原発問題を考える㉒

ルポ:シリーズ・原発問題を考える㉒

「この指止まれ」で被災地支援

──ちょんまげ隊・ツン隊長インタビュー

 世界有数のウラン輸出国として原発産業を支えつつ、自国内には原子力発電所を持たない国オーストラリア。被ばく国であるにもかかわらず、狭い国土に世界第3位の原発数を誇る原発大国・日本。原発を巡る両国のねじれた構造を、オーストラリアに根を張る日系媒体が取り上げないのはそれこそいびつだ。ルポ・シリーズ「原発問題を考える」では、原発を取り巻くさまざまな状況を記者の視点からまとめていく。 取材・文=馬場一哉(編集部)

東日本大震災の発生からいよいよ丸4年が経とうとしている──。4度目の3.11を目前に控えたこのタイミングでまるで条件反射のようにそう書き始めてしまったが、その字面にちょっとした既視感のようなものを感じた。たしか昨年も同じようなことを書いてはいないか。バック・ナンバーを広げてみると14年4月掲載の連載第16回でこう記していた。「東日本大震災の発生からいよいよ3年が経った。事態はゆるやかに推移しているが、大勢としては結局、何も解決していないというのが実情だ」。

この1年、事態は何か大きく解決に向けて動いただろうか。東京電力(東電)は、すでに2015年3月末までに完了を予定していた福島第一原発構内の高濃度汚染水の浄化処理を断念。放射性物質を除去する「多核種除去設備(ALPS)」に不具合が頻発したことがその大きな原因だが、ほかにも14年11月には凍土壁の造成を断念するなど、相変わらず一進一退を繰り返しているような状況だ。

そんな中、2月24日に行われた東電の会見が物議を醸している。2号機建屋の屋上に溜まった放射線濃度の高い雨水が排水路を通じて港湾外の外洋に流れ出ていたという発表があり、それ自体まずい状況なのだが、さらに問題視されているのは東電がこの事実を昨年の春には知っていたということだ。

東電は、降雨のたび排水路の濃度が上昇することを昨年4月の時点で把握。しかし、「排水路を清掃することで数値が下がると考え、公表しなかった」と説明している。これに対し、相馬双葉漁協の佐藤弘行組合長は「外洋流出を隠していた。信頼関係は崩れた」などと怒りのコメント。東電に情報隠しの意図はなかったというが、事態の収束に向けて協力体制を築かねばならぬ漁業関係者との信頼関係を揺るがすこの対応は非難されてしかるべきだ。

さて、当連載も前回の菅直人元首相のインタビューから4カ月穴が空いてしまった。会社内での立場が変わったことで記者業が片手間となり取材時間の確保ができなくなったことが直接の原因だが、それをぽろっと口にするとある人に「できることをできる範囲で無理せずやることが継続の近道。だから僕も続いているんです」と言われた。その人は被災地支援活動を行っているツノダヒロカズさん。記者は彼とサッカー・アジア・カップ決勝トーナメント第1戦日本 VS UAEの試合会場で出会った。

「子どもたちは本当に我慢している」


ちょんまげ&甲冑姿で応援に駆け付けたちょんまげ隊のツンさんことツノダヒロカズさん

 被災地支援を行っているちょんまげ隊のツノダヒロカズさん、通称ツンさんがシドニーに来るという話を聞きつけ急きょコンタクトを取らせていただくことに成功した。ツンさんはちょんまげ姿で被災地を訪れ、さまざまな形で人々を励ます活動をしており、これまで70回ほどの被災地支援活動、そして200回以上の海外での被災地報告会を行ってきた。そして同時に熱狂的なサッカー日本代表サポーターでもある。

 

──シドニーまでよくお越しくださいました。まず、ツンさんがこれまでどのような活動をされてきたか、ご紹介いただけませんでしょうか。
「僕は今年で52歳なんですけど、元々ボランティアなどには全く興味がなく、そういうのは好きな人がやるんだろうなと対岸の火事として見ているタイプでした。しかしあの日、仙台平野が黒い波にのまれていく映像に衝撃を受け、さすがに僕みたいな人間でも気になっていろいろ調べたところ、被災地で家を流された人は着るものも足りないような状況だと知った。実は僕、千葉の松戸で靴屋を経営していて、靴をたくさん持っているんです。それで被災地に持って行ったら喜ぶかなと思ったのが最初のきっかけでした。震災から1週間後、被災地に行ったんです。するとうちの子どもと同じくらいの小学生たちが体育館や教室の床で寝ているのを見て涙が止まらなくなってしまったんです。大変な災害だったとはいえ、震災1週間後には関東では普通の生活が行われて、電車も携帯もつながっていた。その違いにショックを受けました。それ以来、継続的に支援をしてきました」

 

──支援の形としては物資を届けるのがメインだったのですか。
「最初のうちは物資です。夏場になれば暑くて扇風機が足りないですし、虫が出るようになれば虫よけが必要になります。いろいろなものを持って行きました。しかし、ニーズというのは刻一刻と変わるんですね。ものが満たされてくると今度はほかの需要が出てきます。ある時気づいたのが現場には『楽しいことがない』ということです。そこで、1年を過ぎたころから子どもたちをどこかに連れて行って遊ばせるという活動や、仮設住宅に住んでいる老人たちが喜ぶような楽しいものを持っていくという支援をするようになりました」

 

──具体的には子どもだちにどのようなことを。
「家のない子どもたちは本当に我慢しているんです。それは4年経った今もそう。子どもだって馬鹿じゃないですから、家にローンがあって新しい家が買えないというくらいのことだって分かりますし、親にも何も言えない。そんな状況で夏休みを過ごしても思い出に残るような絵日記なんて書けないんです。それで夏の思い出に子どもたちを水族館に連れて行ったりしました。また、僕は今回応援に来ていることからもお分かりのとおり、サッカーが大好きなんです。そこで牡鹿半島というサッカー・スタジアムへのアクセスが悪い地域に住む子どもたちを仙台までバスに乗せてスタジアムに招待したりしました」

 

──それもすべてボランティアで実現しているのですか。
「大型バスをチャーターして子どもたちの入場料をすべて払うとざっと40〜50万かかるんですよ。その規模であれば普通ならNPO化するなどして支援を受けたりするのかもしれませんが、僕らはそれを全くやらず主にサッカー・サポーターのつながりで草の根だけでやっています。募金って使途が明確ではないものも多いじゃないですか。日本が大変な時にオーストラリアに在住の方々も赤十字社を通して募金活動などをしたと思うのですが、その使途が分からなかったという話も聞いたことがあります。そこで僕らの場合は、今度はこのバス・ツアーをやりますと告知し、100円でも結構ですからとお願いして、その後活動内容をアップしています。たとえ100円でも使途が明確なんです。その100円が実際に写真に写っている子どもたちの笑顔につながっていることが分かると次は1,000円支援してくれるようになるなど、支援の輪が広がっていきます」

 

──公共の場所での募金活動はしていない。
「はい、全部ソーシャル・ネットワークです。ちょんまげ支援隊も70回もやっているから大きい組織なんでしょ、と聞かれますが実は僕1人なんです。だから、基本的には『この指とまれ方式』でやっています。『これこれこういうイベントをやります。お金でもいいですし、参加でもいいので協力を』と言うと結構やってくれます。その日たまたま休みだったら、見学でもいいから一度行ってみようかなとなるわけです。ちょっと遊びに来ていただく、そんな感覚でも支援につながるのです」

 

──活動をちょんまげをかぶって行うようになったきっかけはどこにあるのですか。
「サッカーを観戦していると海外のサポーターっていろいろと面白い格好をしているんですよ。ノルウェーだとバイキングの角をかぶったり。でも僕がサポーター活動を始めたころ、日本人は青いユニフォームをみんなが着ているだけで、面白い格好をしている人がいなかった。そこで日本人らしいアイデンティティを持ったコスプレをしようと考えたのです。ちょんまげか柔道着か忍者かと考え、最終的に僕はドリフターズ世代なのでバカ殿ということでちょんまげを選んだ。それで震災から1週間後、被災地に行った時にもたまたまちょんまげが車の中にあったんですね。もちろん人がたくさん亡くなっている中さすがに躊躇して最初はかぶりませんでした。しかし、子どもたちがあまりに劣悪な環境の中にいたので、不謹慎かなと思いながらもかぶってみたら、『見せて見せて〜』って言いながらわーっと集まってきたんです。『ちょんまげ』って呼び捨てされて、ちょんまげを盗まれて隠されるようにもなりました。これは『帰らないで、もっと遊んで』というメッセージだなと思って、その子にまた来週来るからと言ってしまいました。1回のつもりがまた来週、また来週になって70回以上、そんな感じでずっとやってきているんです」(次号に続く)

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