ちょんまげ隊・ツン隊長インタビュー(2)─原発問題を考える㉔

ルポ:シリーズ・原発問題を考える㉔

「継続の近道は頑張りすぎないこと」

──ちょんまげ隊・ツン隊長インタビュー(2)

 世界有数のウラン輸出国として原発産業を支えつつ、自国内には原子力発電所を持たない国オーストラリア。被ばく国であるにもかかわらず、狭い国土に世界第3位の原発数を誇る原発大国・日本。原発を巡る両国のねじれた構造を、オーストラリアに根を張る日系媒体が取り上げないのはそれこそいびつだ。ルポ・シリーズ「原発問題を考える」では、原発を取り巻くさまざまな状況を記者の視点からまとめていく。 取材・文=馬場一哉(編集部)

サッカーJ2の「FC町田ゼルビア」は今でも東北支援募金を募っているという(写真一番右がツン隊長ことツノダヒロカズさん、写真提供=ツン隊長)

震災後5年目に突入し、これまで徐々に複雑化してきた数々の事象がいよいよつかみやすい問題として顕在化してきた気がする。震災後という状況がある程度常態化したことで、当面のこと以外の問題にも目を向ける余裕が人々の間に芽生えてきたのではなかろうか。もちろん未だ避難生活を余儀なくされる数多くの人々がいて、復興・復旧が遅々として進まぬ状況に変わりはない。だが、例えば被災者間の軋轢、支援する人々との温度差、メディアでの扱い、保養旅行の公平性など、これまで漠然としていた問題がそれぞれ熟成してきたことで形を持ったものとして現出してきた感があるのだ。

震災直後、例えば原発問題に関して言えば、賛成派、反対派といった切り分け方で論じられることがほとんどだったが、実際には問題の糸は複雑に絡み合っており単純に片方の立場を選んでしまうことは自らを縛る枷になりかねなかった。しかし、4年という歳月が人々の知識を増やし、視野を広げ、結果として議論は1段階昇華し、賛成、反対を論じる以上に何が本当の問題なのかということに目が向けられ始めている気がする。

オイルショック以降、原発が新たなエネルギー政策として推進されてきたこと自体は時代の流れだったのだとして受け入れねばならないことかもしれない。地域経済振興への有益性が説かれ、また同時に安全神話も説かれ、その目の前にぶら下げられた魅力的なものに飛びついてしまったのも致し方のないことだったかもしれない。それらを反省するとともに、さて、これから原発をどうするのか、というのがこれまで引き続きなされてきた議論であった。再稼働か、あるいは全廃炉か。後者の場合、代替エネルギーをどうするか。この議論に関しては多くのマスメディアが報じているところなのでここであえて論を展開する必要性はなかろう。

それよりも記者が言いたいのは、そもそもかつての日本社会がメイン・ストリームへの帰属が当たり前という未成熟なものであったことに多くの人が目を向け始めたのではなかろうかということだ。知識のない未熟な状態で推進されるものをさほど疑問も持たず受け入れてしまった結果が今の状態であり、その姿勢が変わらぬ限り原発問題に限らず、新たな問題もまた生み出しかねないことに少しずつ感付いているように思える。

インターネットの普及・発展を皮切りに個人が情報を発信できる時代となり、メディアのありようは大きく変わってきている。各々が数多くの情報を取捨選択しながら自身の立場を選ぶことができる。今もまだ日本人は強いリーダー像を求める傾向が強く、つまり誰かに引っ張って行ってもらいたいという帰属意識が相変わらず高い。多数が少数を叩く傾向もまだ変わらずあるような気がするが、少なからずそこに違和感を持つ人は増えてきている(と感じる)。それらの違和感を個人がそれぞれ発信し、それが無視できぬ大きさになった時にはおそらく大きな構造自体の見直しが検討されるのではないか。そう感じている。

さて、これ以上続けるときりがなくなりそうなので机上の論はいったん納めるとしよう。前回、3.11に絡んだ鮮度の高い情報を優先したため、間を空けてしまうことになったが、今回、再び被災地支援活動を行っているちょんまげ隊のツノダヒロカズ(ツン隊長)さんのインタビュー後編をお届けする。

世界中で200回以上の被災地報告会

──ツン隊長は被災地の支援以外にも、世界中で被災地報告会を行うという活動も行っているようですね。
「はい。オーストラリアでもパースで行いました。被災地の被災当時の映像を流し、そこが今どうなっているかということを各地で報告しています。パースの人々から集まった募金では子どもたちのためにバスを1台借りてツアー行うことができました」

 

──これまで200回ほど報告会を行ったと聞いていますが、そもそも始められたきっかけは何なのでしょう。
「僕は元々サッカー日本代表のサポーターとして世界中を飛び回っていたのですが、その流れでやり始めました」

 

──サッカー観戦に行った土地で報告会を行っているわけですね。
「サッカーは世界共通でどこにでもあります。ブラジルのワールドカップでもブラジルとサンパウロとリオの日本人学校でやらせていただきましたし、ブラジル入りの前にはアルゼンチンの日本人学校でも行いました。これまで海外ではトータル100回以上やってます」

 

──いろいろな国で講演をされる中、特に印象に残った国は。
「台湾です。震災の時に20億円くらい募金してくれているだけあってやはり親日なんです。それに対して仮設住宅に住んでいる人たちが直接お礼を言えないということで、台湾に留学している日本人学生が『ありがとう台湾』というイベントをやっているんです。僕はそれに共感して毎年手伝いに行っています。一度台湾に津軽三味線の有名な兄弟を連れて行き、被災地報告会の後、1時間演奏をしてもらったのですがみんな涙を流して聴いていました。演奏が素晴らしく良いですし、東北人が皆様に感謝しているというメッセージが伝わったのだと思います」

 

──被災地の感謝の気持ちを彼らに代わり伝えているのですね。
「募金をしてもらって助けられるだけではなく、逆に感謝を伝えるイベントをやること。それがこれから取り組まねばならない次のステージだと思います。何かをしてもらったらお礼を言う。それをきちんとやることでまたお互いが助け合うことができると思うんです。世界を回っているとそういうことが大切なのだなと肌で感じます」

活動の終着点

──ツン隊長の活動の終着点はどこなのでしょう。
「被災地では、いじめの量がほかのエリアの10倍あるというデータを東北の新聞で見たことがあります。いじめってストレスのはけ口なんですよね。被災地には家をなくした子もいますし、親を亡くした子もたくさんいます。子どもたちはすごいストレスを抱えていて、それはもしかしたら10年続くかもしれません。またその状況には格差もあるんです。仙台では駅前に巨大な仮設住宅エリアがあるのですが、近くには家具屋のイケアもあります。その仮設から学校に通っている子もいれば、イケアでバンバン家具を買っている家族もいる。それはいじめの1つも起こりますよ。だから僕は仮設がなくなるまではちっぽけでもいいから活動を続けていって人々を無関心にしないように頑張っていこうと思います」

 

──なるほど。仮設住宅に子どもたちがいる限りは続けていくと。
「はい。一番大事なのは継続だと思うんです。そのためには頑張り過ぎない。頑張り過ぎて辞めちゃう人がボランティアには多いので。僕がなぜこんなに続けられるかというと無理をしていないからです。身銭を切っているわけでもないですし、子どもたちと遊びながらお茶を飲んだり、ヨガをしたり、楽しいことしかしていない。いろいろな国を回っていて思うのですが、欧米の人たちはボランティアも楽しんでやっていますよ。炊き出しとか例えば日本だと頑張って100人前やったりするけど、彼らはそうではない。『4人家族だから10人前作って余った6人前を持っていくだけだよ』と身の丈に合った支援をしています。ボランティアって崇高な理念を掲げて歯を食いしばって武士道のように頑張らなければならないというような風潮が日本にはあります。勝手に自分たちで敷居を高くしているけどそうじゃないんだよと。そういうことも含めて報告会で伝え続けていきたいと思います」(了)

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