日系コミュニティーで活躍ローカル人・インタビュー

Interview ローカル人インタビュー

オーストラリアの日系コミュニティーで活躍するローカル人に話を伺った。

第4回 サラ・ティオンさん
Sarah Tiong

ジャパン・ウィーク時の富士山をバックにした1枚
ジャパン・ウィーク時の富士山をバックにした1枚

料理を通して喜びを分かち合いたい

アマチュア料理人の頂点を競うリアリティー番組「マスターシェフ・オーストラリア」。2017年放映のシーズン9でファイナリスト数人の1人まで勝ち進み、日本で撮影された同番組の「ジャパン・ウィーク」(17年7月放映)のクライマックスで大活躍した。日本での体験や将来の夢について話を聞いた。(聞き手:守屋太郎)

――初めて料理を作ったのはいつ?

母はマレーシア東部の小さな町の出身で、10代の時にオーストラリアにやって来ました。母は非常に働き者で、週7日間仕事をしながら、毎日家族のために家で料理を欠かしませんでした。

私はそんな母の背中を見て育ち、幼いころから母と一緒に料理を作るようになりました。母が作るのは伝統的な中国系マレーシア料理で、私は調理だけではなく食べ物への尊敬の念も学びました。本格的に料理に打ち込むようになったのは14、15歳のころでしょうか。一番影響を受けた料理人は、間違いなく母です。

――マスターシェフに出演するまで、どのような仕事をしていたのですか?

インタビュー時のサラさん
インタビュー時のサラさん

大学では法学と保険経理学を専攻しました。卒業後は、大手会計事務所で保険のリスク管理などを手掛けてきました。

素人の料理人でなければ、マスターシェフには応募できません。レストランの厨房で働いた経験はもちろん、飲食店でウェイター・ウェイトレスとして働いたこともありませんでした。家のキッチンで母と一緒に料理を作り、家族や友人に振る舞った経験だけでした。

――企業弁護士として成功の階段を登っていたにもかかわらず、料理の世界に飛び込んだのはなぜ?

チャレンジすることが大好きだからです。「私には食べ物に対する愛情がある。どこまで行けるかやってみようじゃないか」と思って決断しました。周りの友だちもエールを送ってくれました。会社の上司も「やりたいことがあるならトライしろ。ダメでもまた戻ってくれば良い」と背中を押してくれました。

書類選考の後、本番と同じように料理を作る実技試験やオーディションを経て、出演者の1人に選ばれました。シドニーを離れ、スタジオがあるメルボルンで8カ月間過ごしました。母親は保守的な人なので最初は反対していましたが、放映が始まると「人生に一度しかないチャンスだから」と応援してくれました。

マスターシェフは毎回、食材の種類などさまざまな制約の下で、出演者が調理の腕とアイデアを競う。エピソードが進むごとに、評価の低い出演者が1人ずつ脱落していき、最後に残った1人が栄冠を勝ち取るという無慈悲なルールだ。サラさんは「トップ9」(最後の9人)まで勝ち残り、シーズン終盤のジャパン・ウィークに挑んだ。

――日本で一番印象に残った経験は?

それまで日本に行ったのは一度だけ。撮影が始まる数カ月前に2週間、休暇で東京と大阪を旅行したことがありました。その時も食べてばかりいましたね(笑)。

ロケは17日間続いたのですが、撮影の合間に他の出演者と一緒においしい物をたくさん食べることができました。それまで訪日経験がない出演者も多かったので、皆非常に感動していました。

中でも強烈に印象に残っているのは、東京にあった天ぷらのお店です。皆と歩いていた時にたまたま入ったのですが、カウンターに座っておまかせで出てくる天ぷらが絶品でした。口に入れた瞬間、カリッと揚がった衣に包まれた魚介類からうまみがほとばしり、全員が言葉を失いました。それまでオーストラリアで食べていた天ぷらとは、全く別物でした。

富士山の麓の茶畑で撮影されたジャパン・ウィーク3話目(エピソード48)。食材に茶を使うという難しい競争で、サラさんはマレーシアの伝統的なスープ料理「バクテー」にほうじ茶を使い、現代風にアレンジしたメニューで勝利。一度だけ脱落を回避することができる権利「イミュニティー・ピン」を獲得する。だが、次のエピソードで転落の危機に。日本撮影のクライマックスとなったエピソード50では、あえてこの権利を行使せず、マレーシアの鍋料理「スチームボート」の現代版メニューで一発勝負を挑んだ。サラさんは審査員から高い評価を得て、崖っぷちから這い上がった。

――ジャパン・ウィークでは、母親から受け継いだ伝統的なマレーシア料理を新しい現代料理として再発明して見せました。イミュニティー・ピンを行使しなかったのは、強い自信があったからですか?

先祖伝来のマレーシア料理をヒントに、ほうじ茶を使って創作した「豚バラ肉の蒸し煮」(Tea Braised Pork Belly with Mushrooms, Daikon and Bean Curd)
先祖伝来のマレーシア料理をヒントに、ほうじ茶を使って創作した「豚バラ肉の蒸し煮」(Tea Braised Pork Belly with Mushrooms, Daikon and Bean Curd)

日本滞在中、私の料理のレベルが一段上がったと感じていました。自分の経験が最高の水準に達していたので、脱落を防ぐために逃げるのではなく、勝負に出るべきだと思ったんです。

バクテーとスチームボートでは豚のバラ肉を使いました。母が先祖から代々受け継いできた伝統的な調理法をベースに、新しい形に挑戦しました。豚のバラ肉は柔らかくできる時間の幅が狭くて、難しいんです。火を加える時間が短いと固いままだし、煮込み過ぎても固くなります。更に時間が経つとボロボロになります。

母はちょうど良い時間を熟知しています。私はそのタイミングを覚えていなくて。一かばちかの賭けに出ましたが、何とかうまくいきました。

――ソース主体のフランス料理をルーツに各国料理のエッセンスを採り入れた「モダン・オーストラリアン料理」あるいは「コンテンポラリー料理」と呼ばれるものは、シンプルな和食とは対極的な位置にあります。日本での経験からどんな影響を受けましたか?

フレンチをベースにした、そうした創作料理はビジュアル的にテレビ映えはしますが、要素が多すぎて複雑になる可能性があります。一方、和食は、四季の移り変わりや自然の育み、食材本来のおいしさをいかに高い次元で昇華させるか、が問われるのだと思います。

日本では、美しい、おいしい料理にたくさん出合い、日本料理をリスペクトするようになりました。私も自分の料理に和食のシンプルな要素を採り入れるようにしています。

――サラさんにとって料理の魅力とは?

自分が作った料理を人に喜んでもらえることによって、自分も喜べることだと思います。食べることは、人と人をつなぐ架け橋になります。うれしい時も悲しい時も、人は食事を共にすることで絆を深めることができます。互いの垣根を取り払い、愛情や楽しみを分かち合えるのです。

――現在の活動と将来の夢について教えてください。

豚肉をメインにした期間限定の屋台をマーケットに出店している他、ウエストフィールド(ショッピング・センター大手)やサイモン・ジョンソン(高級食材店)、オーストラリア・ポーク(豚肉生産者団体)といった企業や団体のプロモーションをお手伝いしています。

私の公式ウェブサイトでは、料理のレシピや食材の動画を公開しています。今もパートタイムで弁護士を続けながら、料理の仕事も手掛けていますので休日はありません(笑)。

いつかは、豚肉専門のレストランをオープンしたいですね。世界中を旅しながら、各地の食材で料理を作って発信するような、食と旅行をテーマにした番組も制作できればと考えています。究極的には自分のブランドを広めて、例えばジェイミー・オリバーさん(英国のセレブ・シェフ)のように、国境を超えて文化をシェアできるような存在になりたいですね。

マスターシェフ・オーストラリア、「ジャパン・ウィーク」全編は下記ウェブサイトから視聴できる
Web: www.tenplay.com.au/channel-ten/masterchef

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