善行を積む

福島先生の人生日々勉強
善行を積む

あらゆる行いには相応の結果が伴います。善行であろうと悪行であろうと、世の中は、原因によって実りがもたらされる「因縁果報」で成り立っています。明治時代の作家・芥川龍之介の『蜘蛛の糸』は、「因縁果報」を知る上で大変参考になるお話です。

“お釈迦様はある日、極楽の蓮池を通してはるか下の地獄をご覧になり、幾多の罪人たちの中にカンダタという男の姿を見つけます。極悪人のカンダタは生前一度だけ善行を成したことがありました。歩いていて小さな蜘蛛を踏み殺そうとした時、思い直してその命を助けてやったのです。お釈迦様はその善行を思い出し、報いとしてカンダタを救おうと、地獄に1本の蜘蛛の糸を垂らします。

極楽から下がる蜘蛛の糸を見たカンダタは、糸を伝って何万里も離れた極楽を目指して登り始めます。ところが、ひと休みにふと下を見下ろすと、数限りもない罪人たちが自分の後をつけて登って来るのが見えました。これでは糸が重さに堪え切れず、切れてしまうだろうと思ったカンダタは、「この蜘蛛の糸は己のものだ。下りろ。下りろ」と喚きます。ところが、その途端に糸は切れ、カンダタは真っ逆さまに地獄へと落ちてしまうのでした。お釈迦様はその一部始終をご覧になって、カンダタの無慈悲な心が相応の罰を受けた姿を浅ましく思われたのか、悲しげなお顔で歩いて行かれました。”

『蜘蛛の糸』は、人の本性と善行を積むことの大切さについて考えさせてくれる大変深い意味を持つ物語です。カンダタは切羽詰まった場面に直面し、我欲を出してしまいました。良い性質を身に付けたくても、一度や二度の善行では身に付きません。何度も何度も積み重ねて、やっとのことで身に付くのです。

善行はまた、積むことで幸運を呼び寄せたいといった我欲であってはなりません。「やってあげる」というのも少し違いますね。例えば、電車でどなたかに席を譲ったときの心は「譲ってあげた」と「座って頂けた」のどちらでしょうか。善行とは、「座って頂けた」という感謝の心で行うことです。善いことをさせて頂ける喜びは、生きる喜びであり、その思いは、言わず語らずとも、目に見えなくとも、広く世界に放出されていきます。美しい想念は、力となって現象化するのです。もちろん、無慈悲で醜い想念も力ですから現実となります。我欲はよくよく戒めなければなりません。

今ある命は偶然にそこにあるのではありません。自然の恩恵と数え切れない美しい行いの積み重ねによって生かされているのです。毎日の善行で恩返ししていけたら幸せですね。そうすれば、命は、より一層の輝きを放つでしょう。


福島先生の教育指導

教育専門家:福島 摂子
大阪府出身。30年間、教育に携わり、教育カウンセリング・海外帰国子女指導を主に手がける。1992年に来豪。シドニーに私塾『福島塾』を開き、社会に奉仕する創造的な人間を育てることを使命として、幼児から大学生までの指導を行う。2005年10月より拠点を日本へ移し、日々活動の幅を広げていく一方で、オーストラリア在住者に対する情報提供やカウンセリング指導も継続中である。

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