本来無一物/福島先生の人生日々勉強

福島先生の人生日々勉強
本来無一物

すっきりしたい、先に進みたいというときに、まずは身の回りから片付けようとすることがあります。物を整理するに当たり、興味のない広告や不要になった資料などは処分しやすいのですが、思い出の詰まった物などは手放しづらいですね。その時の大切な気持ちを捨ててしまうような気がしたり、物によっては人生を削り取るような痛みを伴う作業であるかもしれないからです。

こうした「形ある物」ならまだなんとか片付けられるという人も、自分の「信念」を捨てるというようなことになれば、頑として動かなかったりします。信念を持つに至った自分なりの歴史を踏まえて、その信念を手放すということは、自分自身でなくなること、今まで生きてきた意味がなくなることのように感じるからです。信念は自我そのものと言っても良い存在。必死にしがみつこうとするのは、保身という本能のせいでもあるのです。

しかし、よく考えてみれば、まるで生まれた時から持っていたかのように信じ込んでいる信念というものも、自分が人生のどこかで拾ってきたものに過ぎません。新しい考えを知って取り換えるという機会もあるでしょうし、以前の信念に勝ると思った途端に今までの信念を批判し始めるというようなことも起こります。こうしたことから、信念と言ってもいかに頼りないものであるかということが分かりますし、手放した信念を疎んじるのは、それが少なからず自分にとって厄介なものであったことを物語っています。

むしろ、同じものを同じ状態のまま抱え込んで維持しようとすることは、不自然なことだと考えたほうが良いのです。人間の体は絶えず新陳代謝を繰り返して、古い細胞や組織は新しい組織に置き換えられます。同じ人間が瞬間瞬間を生き続けているのは、この新陳代謝によって状態を維持しているということ。心も同様に新陳代謝なくして人は生き続けていられない、と考えるほうが健全なのです。

現実に物事をややこしくするのは、決まって「変えたくない」と言い張る心の働きです。頑固な自分が、本当は手放せば楽になることを知っていながら、怖くて今までの自分を捨てられないだけだったりします。人生は積み重ねだと言いますが、その一方で、財産も知識も積み重ねていけばいくほど、身動きが取れなくなっていくのが人生だとも言えるでしょう。人間は本来無一物。本来無一物とは、何も持たずに生まれてきた、それが人間本来の姿であるということ。初めから持っているものは何もなく、生活をしているうちにだんだん付いてきてしまうだけ、ですからそれを手放してもただ元に戻っただけ。このことを覚えておけば、過去の古びた信念を手放す勇気がわいてきませんか。豊かな人生を生きるには、過去の蓄積を手放して、心身ともに無一物、いつも純粋で真新しい自分であることが必要なのです。


福島先生の教育指導

教育専門家:福島 摂子
大阪府出身。31年間、教育に携わり、教育カウンセリング・海外帰国子女指導を主に手がける。1992年に来豪。シドニーに私塾『福島塾』を開き、社会に奉仕する創造的な人間を育てることを使命として、幼児から大学生までの指導を行う。2005年10月より拠点を日本へ移し、日々活動の幅を広げていく一方で、オーストラリア在住者に対する情報提供やカウンセリング指導も継続中である。

新着記事

新着記事をもっと見る

NICHIGO CHANNEL

新着イベント情報

新着イベントをもっと見る