悲心/福島先生の人生日々勉強

福島先生の人生日々勉強

悲心

学生時代に合唱部で学び、大好きだった組曲の1つに、湯山昭作曲・中村千栄子作詞、女性合唱のためのファンタジー『越後の恋歌』があります。みずみずしい叙情性と、人や自然への優しさに満ち溢れたすばらしい楽曲の中に、越後に生まれた良寛が登場します。その当時の私にとっての良寛は、この楽曲のまとっている慈愛そのもののような存在でした。良寛については、いろいろな本にも書かれていますので、知っている人も多いかと思います。

「裏を見せ、表を見せて散る紅葉」

私は、良寛の最期の言葉だとされているこの句が好きです。そこはかとない悲しさと、ほのぼのとした優しさ、良寛の飾り気のない人柄がよく出ているように感じます。諸説ありますが、病に倒れ、晩年、大変苦しんだとされる良寛を最期まで看病していた貞心尼(ていしんに)という尼僧に向けて詠んだと伝えられています。

この句は、自分の心の中の弱い部分も含めて全てを見せてきた人に対して、深い愛情と感謝の念、そして何か肩の荷を下ろすような、そんな気持ちを持って作られたものなのでしょう。

良寛にまつわるエピソードはたくさんありますが、いずれも共通して、温もり、癒し、思わず顔がほころんでしまうようなユーモアと同時に、優しさを感じさせる逸話が多いように思います。良寛の持つ優しさ、人を癒す力は一体どこから来るのでしょうか。私は、良寛の心の背景には、いつも慈しみがあるように感じます。

名主の長男として生まれながら、生来の不器用な性分から仕事をうまくこなすことができず、僧侶への道を歩んだ前半生。人並外れて正直な心を持っていたために、世渡りの決して上手ではなかった良寛。生きていくことの難しさを、その正直さ故に、身に染みて感じていたであろうと想像できます。そんな良寛だからこそ、人の悲しみ、生きることのつらさを、それが誰のものであれ、自然な共感を持って受け止めることができたのではないでしょうか。良寛の包み込むようなほんわかした優しさは、人生の底に澱(おり)のように沈んでいる悲しみを静かに見つめる心から沸き起こってきているように思います。

良寛の、人の世の悲しみを見つめる心、人の悲しみを自分のものとして共感する心を「悲心」と言います。年を取るにつれ涙もろくなりますが、いろいろな思いを体験し、悲喜こもごもに至るさまを見てきたからこそ「悲心」を得つつあるということなのでしょう。この「悲心」こそが慈しみの心の正体です。飾らぬ心で人と人とが向き合い、喜びも悲しみも共感し合える優しい世の中であったらと願います。


教育専門家:福島 摂子
大阪府出身。32年間、教育に携わり、教育カウンセリング・海外帰国子女指導を主に手がける。1992年に来豪。シドニーに私塾『福島塾』を開き、社会に奉仕する創造的な人間を育てることを使命として、幼児から大学生までの指導を行う。2005年10月より拠点を日本へ移し、日々活動の幅を広げていく一方で、オーストラリア在住者に対する情報提供やカウンセリング指導も継続中である。

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