愛語/福島先生の人生日々勉強

福島先生の人生日々勉強

愛語

近頃、私たちは言葉を軽く扱い過ぎているような気がします。かつて、文字や言葉は、人の手で1文字1文字丁寧に語られ紡がれるものでした。しかし今では、文字は機械的な電気信号に置き換えられ、インターネットを通じて世界中を飛び回っています。飽食のごとく、おびただしい数の言葉が次から次へと届けられるが故に、言葉は実体を持たないほどに軽くなってしまったとも言えます。

人のなすことは、手を掛ければ掛けるだけ愛着が湧くもの。言葉も同じです。日本には言霊(ことだま)という言葉が生きていました。人が口にする言葉や、墨をすり、貴重だった紙に文字として書き付けた言葉、それらは皆人の心により生み出された、言葉として独立した魂を持つものでした。

今日、文字は止めどなく軽くなり、単なる情報として扱われていることがほとんどです。いつの間にか言葉から魂も抜け落ちているように感じます。軽い言葉は軽い心を生み出し、軽い心は軽い社会を、つまり他者への思いやりのない社会を創り出します。

言葉は本来、人と人の心をつなぐ、大切な架け橋です。情報として扱うべき言葉でも嘘のない正確さを持たねばなりませんが、人と人をつなぐ言葉は、同じ言葉でも人の心を運ぶだけに、もっと大切にしなければなりません。

「愛語よく回天の力あることを学すべきなり」(『修証義』より)という言葉があります。愛語とは、思いやりの言葉、優しさのこもった言葉という意味です。相手を思い、心を込めて語られる言葉は、それを受け止める人の運命を変えてしまうほどの力を持っているということ。言葉が人の心を動かす力は強大です。たったひと言が、人の心を深く傷つけ、たったひと言で、人の心に揺るぎない力を与えます。言葉とは、時にそうした力を持つものなのです。文字や言葉を簡単に扱えるようになったからといって、言霊をぞんざいに扱ってはいけないと思います。

自分の言葉と同じように、他者の言葉にも注意を払いましょう。他者が言おうとすることに注意を払うことは大切な思いやりの1つです。自分が寛大で親切であれば、相手の言葉に対して注意を払うことができますが、寛大で親切でなければ他者の言葉に耳を傾けたいとは思いません。ただ自分の言いたいことだけを言って、自分の感情を突き付けたいと思うだけです。私たちがもし子どもやパートナー、友人たちの言葉に耳を傾けようとしなければ、自分が彼らを気遣ったり、愛しているなどとは言えないでしょう。注意を払って耳を傾け、相手の言葉の奥にある心に触れようと努めることによってのみ、思いやりを示し愛を表現することができるのです。


教育専門家:福島 摂子
大阪府出身。33年間、教育に携わり、教育カウンセリング・海外帰国子女指導を主に手がける。1992年に来豪。シドニーに私塾『福島塾』を開き、社会に奉仕する創造的な人間を育てることを使命として、幼児から大学生までの指導を行う。2005年10月より拠点を日本へ移し、日々活動の幅を広げていく一方で、オーストラリア在住者に対する情報提供やカウンセリング指導も継続中である。

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