ありがとう/福島先生の人生日々勉強

福島先生の人生日々勉強

ありがとう

「有り難い」という言葉があります。「有り難い」の語源は、釈迦が阿南という弟子に語った「盲亀浮木(もうきふぼく)の譬(たと)え」というものにあります。

釈迦は「那由多に広がる大海に、百年に一度だけ海面に顔を出す盲目の亀がいる。この盲亀が海面に顔を出した拍子に、たまたま漂っていた丸太のたまたま空いていた穴に盲亀の頭が入ることはあるか」と問います。

驚いて阿南は「何兆年も時間を掛ければ有り得るかもしれませんが、ないと言っても差し支えないほど有り得ないことです」と答えます。

それに対し、釈迦は「阿南よ、この盲亀がたまたま漂っていた丸太のたまたま空いていた穴に盲亀の頭が入ってしまうことがあるよりも私たち人間が生まれてくることは難しいことだ。有り難いことなのだよ」と答えます。

人間が人間として生まれ、存在していることは、滅多にないこと、「有り難いこと」なのです。この「有り難い」が転じて、「ありがたい」「ありがとう」という言葉になりました。本来得ることが難しいものをたまたま得ることができたことに対する喜びや感謝の気持ちを表しているのが、「ありがとう」という言葉だということですね。

空腹でどうしようもない時に誰かが食べ物をくれた、のどが渇いている時に水を分けてもらえた、知らない土地で迷っている時に親切な人が丁寧に道を教えてくれた……「ありがたい」ことです。ここで見える要点は、「ありがたい」という思いが生まれる前に、まず何かが不足している状況があるということです。何かが足りず、欠けていて、それを欲しているのだけれど、手に入れることができない、まずそうした状況があって、その後欲しているものが手に入ることになり、自然に「ありがたい」という気持ちが出てきます。

重要なことは、この「ありがたい」という気持ちが自然発生的なものだということです。自然に心の中に出てくるものであり、感じられるものであるということです。ですから、逆説的に言えば、いつもそばにいる親や夫、妻のありがたみを感じることは難しく、失って初めてその稀有(けう)な存在に感謝することもあるのです。その人との出会いや日常がどれほど「有り難い」かに気付けなかった結果です。

本当は、いつの世も、人は支え合い、補い合って暮らしています。個性が個性として価値を持つのも、社会あってのことです。父と母にありがとう。妻に夫にありがとう。子どもたちにありがとう。世の中みんなにありがとう。

「ありがとう」のひと言は、心と心をつなぎ、互いの支え合いを確認するキーワードのように思います。


教育専門家:福島 摂子
大阪府出身。33年間、教育に携わり、教育カウンセリング・海外帰国子女指導を主に手がける。1992年に来豪。シドニーに私塾『福島塾』を開き、社会に奉仕する創造的な人間を育てることを使命として、幼児から大学生までの指導を行う。2005年10月より拠点を日本へ移し、日々活動の幅を広げていく一方で、オーストラリア在住者に対する情報提供やカウンセリング指導も継続中である。

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