大繁盛の「スキヤキ・ハウス」

出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記

出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~

其の九:大繁盛の「スキヤキ・ハウス」

1970年代は、日本の商社がオーストラリアにおけるビジネスの全盛期へと向かって、活発な動きを見せていました。ビジネスで訪れる日本人の数も増え、彼らは日本への出張の度に日本からさまざまな食材を持ち帰り、家庭で、また更におもてなしとして日本料理を紹介していました。彼らの踏み跡が、その後の日本食発展にもつながっていったと思います。

さて、70年代初期には、日本食レストランは、シドニー、メルボルン、アデレードに1件ずつあり、1973~75年にかけては「ナゴヤ」という名のレストラン、「テンプラ」という定食屋さんなどが現れ、75年以降、会社の接待に使われる「スエヒロ」「サントリー」などの大型日本食レストランが登場しました。

72年のシドニーのレストランと言えば、主流はパブ。また移民の住むエリアにより、それぞれの国のレストランがあり、イースト・シドニーにはおいしいイタリアンが並び、パディス・マーケットの辺りは中華、シティーにはグリークやスパニッシュ、また郊外にもレストランがありました。そしてカフェの前進、ミルク・バー全盛時代でした。フレンチはこれらのレストランに比べると規模が小さかったことを記憶しています。

ミルク・バーでは、新聞なども売られ、コーナー・ショップのちょっとした雑貨で、ミルク・シェイク、ソフト・ドリンクや駄菓子的なものが売られ、中にはフィッシュ・アンド・チップス、ハンバーガーなどファスト・フードに当たるものが売られていた記憶があります。そのミルク・バーが今では、ニーズに合ったテイク・アウェーの店やしゃれたカフェへと変わっていきました。

ミルク・バーで思い出したのですが、母から彼女が若いころ(昭和の初めころでしょうか)、東京の銀座にミルク・ホールと呼ばれる場所があったそうです。若者にとってあこがれの場で、気取って、よく足を運んだと懐かしそうに語ってくれたのを思い出しました。その後、戦争で彼女の人生も大きく変わり、私たちの母となってくれました。ミルク・ホールは彼女にとっての大事な思い出の1つだったのでしょう。ミルク・ホールは手軽な軽食店として、カステラなどの洋菓子、コーヒーが広まった時代でしょうか。どの時代でもその背景に適した流行りの食文化があり、そこから生まれるエネルギーが日々の生活を豊かにしてくれると信じています。

縁があり、オーストラリアで私が最初に勤めた日本食レストランは、中国人のフェイさんご夫婦が経営されていた「スキヤキ・ハウス」。実はかつて坂本九が歌った『上を向いて歩こう』が世界で大ヒットした時代でもあり、海外では『スキヤキ・ソング』と呼ばれていましたが、この歌が屋号発祥由来とのことです。70年代初めはシドニーでも日本食レストランは少なく、当時多くの日本商社マンによって「スキヤキ・ハウス」は大繁盛し、特に単身赴任の方々にとっては唯一憩いの場所だったのです。

アデレードに行く前の数カ月、コンサルティング・シェフとしてこのレストランにいました。短期間でしたが、オーストラリアでのこの業界の状況を知るのにはとても良い経験になりました。当時のメニューとして最も人気があったのはやはりスキヤキ(白菜やゴボウの代わりにキャベツ、人参でしたが)天ぷら、やきとり、アジのたたき、すしはオーストラリア人ではごく一部の人たち、突き出しには玉ねぎの千切りを水でさらし、水切りしてその上から削り節を天盛りにし醤油をかけて召し上がるとてもシンプルなものが受けていました。

このお店は、キングス・クロスのアール・プレイスにあり、一見、日本の料亭を連想させる内装で、座敷があり、ふすまを外すと宴会場にもなりました。薄暗いライディングで中庭には優雅に泳ぐ鯉を放した池もあり、まるで東京の花街のような雰囲気を持っていました。これはアメリカでよく見掛けた和風の建築技術を取り入れたもので、当時のものとしてはよくできていて、脱帽しました。

日本人ではなく中国人が切り盛りする日本レストラン。大陸的なビジネスの考え方で、構想力が大きく、日本では気付かなかったアイデアが取り入れられていました。彼らの発想力と経営手腕は、あれから40年以上経った今日でも現在のオーストラリアにおける日本レストラン業界に通ずるところがあるような気がします。

80年以降になると急速に日本料理のレストランが増えました。同時に日本から経験豊かなシェフたちもオーストラリアにやってきて、日本食業界がますます華やかになっていきました。更には日本食レストランのタイプも、和食、洋食から、最近ではラーメン屋、居酒屋などからテイク・アウェーのカテゴリーまで広がっています。

面白いことに、昨今は日本人以外のオーナーのレストランの数も増えています。日本食に魅了されてた人たちが増える中、今後どのようになっていくのか不安でもあり、楽しみでもあります。


出倉秀男(憲秀)
料理研究家。英文による日本料理の著者、Fine Arts of Japanese Cooking、Encyclopaedia of Japanese cuisine、Japanese cooking at home, Essentially Japanese他著書多数 。Japanese Functions of Sydney代表。Culinary Studio Dekura代表。外務省大臣賞、農林水産大臣賞受賞。シドニー四条真流文芸師範、四條司家師範、全国技能士連盟師範、日本食普及親善大使

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