ポンソンビーでのマオリの人びととの交流

出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記

出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~

其の拾伍:ポンソンビーでのマオリの人びととの交流

マリー亡き後、オーストラリアでのチャレンジを将来に託し、断腸の思いでシドニーを後にしました。最小限の衣類、山の用具、しかし包丁だけは肌身離さず持っていたいのでタオルで包みしっかりと留め、キスリング・ザックの中に詰めこみ、ニュージーランドの商業都市オークランドの街へと飛びました。ニュージーランドの観光ビザは日本のパスポートであれば、考えを十分整理できるだけの期間がありました。

1973年6月、ニュージーランドでは既に冬が深まり、思っていた以上に寒かったです。シドニーから短パン姿で気楽に空港に降り立った私は、ニュージーランドの寒さを全身で体感しました。仕方なく、オポチュニティー・ショップ(古着などを売る店)で、厚手のジャケットを購入しました。当時から、このオポチュニティー・ショップは、ヨーロッパ、イギリス、アメリカなどにあり、手持ち資金が限られた私たちのような旅人は、今のように洋品店が少ない時代によく利用した店でした。

オークランドの街に立つと、耳に入ってくる言葉は、イギリスにいた時に耳にした英語でした。街並みはオーストラリア以上に英国様式が色濃く残っていました。また、シドニーと比べると、素朴な人びとのソサエティーが深く息付いていたことが印象に残っています。

私はオークランドのキングスランドにある教会の牧師さんに紹介頂いたウィリアム夫妻の庭に置いてあったキャラバン・カーを安く借りて2~3週間、寝起きさせてもらいました。キャラバン・カーは、急な来客の宿泊の場として、庶民の間では使われることもあるようで、助かりました。

体力作りを兼ねて、時には公共交通機関も利用しましたが、よく歩き、走りました。そして、できるかぎりニュージーランドの食の情報を集めることも楽しみの1つでした。ニュージーランドは酪農国家なので、まずは、乳製品を探し求めて歩きました。当時は、専門店がほとんどなく、個人経営の食品店しかありませんでした。小さな冷蔵庫に、牛乳瓶、チーズ、ヨーグルトが入っていて、タッカー・ボックス(箱形のフリーザー)の中ではミルク味のアイスブロック、カップに入ったアイスクリームが冷やされていました。

まずはミルクを購入し、試飲。キャップを取ると、少し草の香りがしてきそうな自然な香りを感じ、口に入れるとコクとうまみを感じました。このミルクで作ったアイスクリームが食べたくなり、次に早速アイスクリームを食べてみました。アイスクリームのバラエティーはほとんどありませんでしたが、シンプルな味が予想以上においしく、自然な味が楽しめました。今でも思い出すとニュージーランドに行って食べたくなります。

その他、店にはフィジーから輸入されたインド系の香辛料。トンガ系のイモ類が並び、オーストラリアとの違いが見られました。

私が訪れたころのニュージーランドは、マオリの人たちが都市部に移住し、欧米化が進んでいましたが、まだまだ民族間の格差は大きいものでした。オークランド滞在中、マオリの人たちが多く住んでいたポンソンビーを訪れたことがあります。今ではトレンディーな街になっていると聞いていますが、当時、街にはスラム化していた場所もあり、彼らの生活状況が決して楽なものではないことをうかがい知れました。好奇心からポンソンビーの暗くて古ぼけたパブに入ってみたところ、昼間から大勢のマオリの男性がお酒を飲んでいました。私も若かったので、彼らの中に入って、話に入れてもらいました。

日本人が彼らの中に入ってきたのが珍しかったのでしょう。毛色が変わった私に興味を示し、中には私を家に招いてくれる人もいました。あまり人にはお勧めできませんが、私は好奇心にかられ彼のうちに行き、家族を紹介してもらいました。家は都会のテラスハウスの1つで、中は床がない土間で驚きました。大所帯家族で、祖父母に加え、5人ほど子どもがいました。おじいさんは私に鼻と鼻をこすり合わせるマオリ独特のあいさつをしてくれましたが、急に顔を近付けられ、初めてということもあり大変驚きました。お陰で、その後、マオリの人に出会った時は、スムーズに挨拶ができるようになりました。その後、おばあさんが、アルミニウムの筒のようなやかんで沸かしたチャイのようなお茶を入れてくれました。

働いても働いても生活が一向に良くならず、息子は日雇いのような状態で、定職には付けていない、先が見えないと、苦労を話してくれました。そんな状況の中で私を招いてくれたことにとても感謝しました。ポンソンビーでは暴力的な事件も多いので、あまり長居せず日が暮れる前に帰りました。ウイリアム氏にもあまり足を踏み入れない方が良いとアドバイスされました。

皆さんの中には、1994年に作られたニュージーランド映画『Once were warriors』を観られた方もいらっしゃるのではないでしょうか。あの映画は、フィクションですが、当時のマオリの人たちの生活や状況をよく捉えています。この映画からは私が訪ねた70年代前半の雰囲気を思い出します。

半世紀近く経ち、つい最近、オークランドを訪れる機会が与えられました。マオリの人たちとの混血が増えていることに驚きました。近代化が進んだ新しいオークランドを見ると、歳月が過ぎ去り、新しい時代に向かっているのだと肌で感じました。


出倉秀男(憲秀)
料理研究家。英文による日本料理の著者、Fine Arts of Japanese Cooking、Encyclopaedia of Japanese cuisine、Japanese cooking at home, Essentially Japanese他著書多数 。Japanese Functions of Sydney代表。Culinary Studio Dekura代表。外務省大臣賞、農林水産大臣賞受賞。シドニー四条真流文芸師範、四條司家師範、全国技能士連盟師範、日本食普及親善大使

新着記事

新着記事をもっと見る

NICHIGO CHANNEL

新着イベント情報

新着イベントをもっと見る