「入れ墨」という名の芸術、伝統とその未来

(Tattoo: Horikiku、Photo: Kip Fulbeck)
(Tattoo: Horikiku、Photo: Kip Fulbeck)

日本の入れ墨を「芸術」として、その写真作品を展示する展覧会「Perseverance」が現在、シドニーのジャパン・ファウンデーションで開催されている。同展は、NSW州立美術館で同じく開催中の浮世絵展とのコラボレーション企画。2014年、ロサンゼルスで大きな反響を呼び巡回展となって今回で6回目、アメリカ国外で初めて開催される運びとなった。「ヤクザの象徴」として日本ではタブー視されることが多い入れ墨。そんな入れ墨が実は海外では芸術として認識されているという事実と、浮世絵と同じく江戸時代にルーツを持つ町民文化であったという歴史について探ってみた。取材・文=河野好

「浮世絵」と「入れ墨」、その深い関係

西洋のタトゥーと日本の入れ墨。その大きな違いは、タトゥーは1つの図柄をぽつんと入れるものであるのに対し、入れ墨は背中一面や腕全体、時には全身をくまなく彩るものという点だろう。そして、この全身を覆うスタイル、実は日本が世界に誇る伝統芸術、浮世絵と深い関係がある。

19世紀半ばの江戸時代、浮世絵師・歌川国芳が中国の伝奇小説『水滸伝』を題材にした浮世絵のシリーズを発表し、これが江戸で大人気を博した。江戸の人びとの間で既に人気のあった勧善懲悪の物語を躍動感溢れる手法で描いた国芳の浮世絵は、例えるなら今の有名な映画俳優のように江戸の町民の間で熱狂的に受け入れられた。そして、この浮世絵に登場する人物には入れ墨を背負った登場人物が多く、中でも最も人気のあったキャラクターが背中に9匹の龍の入れ墨を入れているという設定だった。『水滸伝』と国芳の浮世絵をこよなく愛した人びとは、自らも登場人物と同じような図柄や国芳の浮世絵そのものをベースにした入れ墨を入れるようになっていった。

また、入れ墨を好んで入れたのは「ヤクザ」ではなく、鳶(とび)や火消し、また飛脚といった仕事中に裸になることの多いごく一般的な江戸市民だった。特に鳶職はある時期には入れ墨を入れていないほうが珍しいほどで、入れ墨は江戸の町の日常的な風景の1つだったのだ。

浮世絵と入れ墨の関係について、同展で紹介されている写真を撮影したアメリカ人アーティスト、キップ・フルベック氏はこう話す。

展覧会の写真を撮影したキップ・フルベック氏(Photo: Yoshi Kono)
展覧会の写真を撮影したキップ・フルベック氏(Photo: Yoshi Kono)

「どちらも江戸時代の一般市民による文化だったのです。浮世絵は今の漫画のようなものでした。ただ西洋がまず芸術として認め、それを日本が逆輸入したのです」

実際、江戸末期や明治維新直後の日本にやってきた外国人の中には、日本の入れ墨の美しさに引かれ記念として入れ墨を入れていったヨーロッパの王室関係者や、またその手法を学び本国でタトゥーイストとして有名になったイギリス人もいた。浮世絵と同様に、入れ墨も外国人の眼にはエキゾチックな「日本の美」として映ったのだ。

入れ墨はなぜタブーになったか

そんな江戸の町民文化だった入れ墨が、日本で「ヤクザのシンボル」としてタブー視されるようになってしまったのはなぜか。

今回の展覧会に合わせ来豪した講演者の1人、日本の入れ墨研究の第一人者として知られる都留文科大学教授の山本芳美氏は、その理由の1つに明治政府が入れ墨を禁止したことを挙げる。開国から明治維新を経て、欧米諸国に並ぶ文明国を目指そうとした政府は、外国人から入れ墨が「野蛮」と見なされるとして入れ墨の彫師とその客に対し法的な規制をかけた。この規制は第2次大戦に敗戦し、日本国憲法が新しく制定されるまで60年以上にわたり続いたという。この時期に「今の日本人が入れ墨に持つ『暗いイメージ』の原因となっていると考えられます」と山本氏は指摘する。

規制を受けながらも入れ墨を入れたいという人は存在し続け、そして彫師たちは密かに仕事を続けた。そのアンダー・グラウンドな背景から「入れ墨=違法、反体制」というイメージが作られていく。

これが更に発展し「ヤクザ=入れ墨」という明白な図式を形作る大きなきっかけとなったのが1960年代に製作された「ヤクザ映画」だったのではないか、と山本氏は話す。山本氏によると、63年から93年の30年間で1,057本ものヤクザ映画が製作され、その主人公の多くが入れ墨を背負っていたのだった。映画本編だけでなく宣伝用のポスターなどでも入れ墨とヤクザが不可分なイメージを持って描かれ、それによりこの両者の結び付きが一般市民の間でも強く印象付けられることになったのでは、と山本氏は考える。違法ゆえ隠れたものとして存在してきた入れ墨。合法となった後もその暗さを引きずりつつ映画というメディアによって作り上げられた「入れ墨=ヤクザ」という概念が、今の日本の「入れ墨」の捉え方の一因では、と山本氏は言う。

日本の入れ墨、その未来

その後90年代から今に至るまで、東京などを中心に西洋のタトゥーが輸入される形で、一部の若者たちがカルチャーとしてのタトゥーを入れるようになった。だが、温泉、銭湯では未だに多くが「タトゥー・入れ墨お断り」、更には新たに海岸やプールでも規制するところが登場するなど、日本でのタトゥー・入れ墨への締め付けは広範囲に強まりつつあるように見える。

その流れにフルベック氏は、「『入れ墨=ヤクザ』という図式は昔のもので、今は現実としては成立しません。海外で活躍しているような日本の若手彫師たちは『ヤクザお断り』としている人が多いのが事実です」と言う。また暴力団対策法などの影響によりヤクザの存在自体が脅かされている今、多額の料金を払ってまで新たに入れ墨を入れようとするヤクザは激減しているという。筆者も実際に、そういった背景から経営難に陥った日本の彫師に出会ったことがある。

日本の入れ墨は海外にもそのファンを持つ(Tattoo: Junii、Photo: Kip Fulbeck)
日本の入れ墨は海外にもそのファンを持つ(Tattoo: Junii、Photo: Kip Fulbeck)

その現状から離れてもなお、「入れ墨=ヤクザ、悪」というイメージは人びとの意識の中に根強い。それに対し日本以外の多くの先進国では、今回の展覧会に見られるように「入れ墨はアート」として評価が高まりつつある。「悪人の入れるもの」として認識し、入れ墨の芸術的側面に目を向けていないのは、実はそれが生まれた日本だけの特別な視点であるという興味深い現象が起きているのだ。

2020年には東京五輪が開催される。ご存知の通りスポーツ選手にはタトゥーを入れた人も多く、また一般の観光客としてタトゥーを入れた人も海外から多く来日するだろう。山本氏によると、日本政府はそういった人びとを迎え入れるための試みをしているものの、タトゥーのある箇所にシールを貼らせるなど暫定的な処置にとどまっているという。同氏は「現在のままでは、海外と日本の入れ墨を巡る認識の差が開くばかりです。日本が入れ墨の捉え方において特別な状況にあることを、より多くの人に理解してほしい」と憂慮し、また「入れ墨は人類の誕生以来営まれていたもので、良くも悪くもないもの。規制を強めても消し去ることはできない」と語ってくれた。

そしてフルベック氏はこう語る。

「僕の役目は、タトゥーや入れ墨と、美術館などの学術的な世界とを繋げること。そして、この展覧会をいつか日本で開催したい。ジャパン・ファウンデーションでの開催は、そのための小さな第一歩です」

「ヤクザの象徴」という見方を脱ぎ捨て、いつか日本でも芸術として認められる日が来るまでの道のりはおそらく長いものだろう。だがそれを目指す人々の言葉は、熱い。

参考文献:山本芳美『イレズミの世界』河出書房新社、2005年、玉林晴朗『文身百姿』恵文社、1936年、小山騰『日本の刺青と英国王室 明治期から第一次世界大戦まで』藤原書店、2010年、宮下規久朗『刺青とヌードの美術史 江戸から近代へ』日本放送出版協会、2008年

(Photo: Kip Fulbeck)
(Photo: Kip Fulbeck)

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