耳が聞こえないのは私の個性

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人の個性や生き方、人生観、価値観、夢などによって形成されるライフ・スタイルのほか、街のスタイル、ファッション・スタイル、食のスタイル…など、世の中にはさまざまなスタイルがある。BNE、GCで見つけた“ほっと”なスタイルとは。

耳が聞こえないのは私の個性

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耳の聞こえない人と聞こえる人の架け橋に、また耳の聞こえない人同士の国際交流の架け橋になりたいと語る、原千佳子さん

 欧米に比べ、まだまだ保守的だと言われる日本だが、近年では“個性”を大切にしようという考えも広まってきている。しかし実際に、自分の個性が何かをしっかりと認識している人がどれだけいるのだろう ? そして、これが自分の個性であると胸を張れる人がどれほどいるのだろう ?
 ブリスベンの語学学校で、児童英語指導法を学んでいる原千佳子さん(31歳)は、生まれながらに耳が不自由だ。彼女はそれを、自分の個性だと語る。
「耳の聴こえる人たちの世界と聴こえない人たちの世界を行ったり来たりしている私は、ラッキーなことにいろいろな人に出会える機会に恵まれ、毎日が新しい発見でいっぱいです。お互いに学び、教え合い、刺激を受け合える素晴らしい仲間との出会いがあることにも感謝しています。だから、耳の聴こえない人間として生まれて良かったと思える…。私にとっては耳が聴こえないのが当たり前。それが私の個性」。
 原さんが初めて豪州を訪れたのは2006年のこと。シドニー在住のオーストラリア人英語講師宅にホームステイしながら英語を学ぶという短期留学をした。日本語では、手話(JSL)と読唇(唇の動きから会話を読み取ること)を難なくこなす原さんだったが、豪州では言語が異なる上、手話も異なる。結局、講師らと直接的なコミュニケーションを図ることができないまま帰国することになった。その時の悔しさが元で、原さんは翌年、リベンジさながらにワーキング・ホリデー・ビザで再来豪する。英語力向上の一環として英語教授法(TESOL)コースの受講と英語検定のIELTS受験、そしてオースラン(豪州の手話)の習得、という3つの具体的な目標を掲げて。
 原さんはまず各地を周りながら、シェアやボランティア活動、スポーツなどを通して、同じように聴覚障害を持つローカルの人たちと積極的に触れ合った。豪州に暮らす聴覚障害者の生活様式や文化を学ぶためだ。そしてブリスベンに拠点を置くと、QLD州聴覚障害サービス機関(Deaf Services Queensland)が提供するオースランのコースを本格的に受講。ワーキング・ホリデー・ビザが切れるころまでに、その8割がたをマスターした。そこで、学生ビザに切り替えTAFEの一般英語コースを受講するという、次のステップに移る。
「通常、職業訓練専門学校(TAFE)や規模の大きな大学では手話通訳の無料サービスが受けられます。しかし条件として、オースランを完璧にマスターしていなければなりません。当時、耳の聞こえない海外留学生に手話通訳が付いたという前例はなく、しかも私のオースランはまだ完璧とは言えませんでした。でも、私のよき理解者でシェア・メイトだったオージーのキャサリンが、TAFEの障害者サポート事務所(DSO)のスタッフに掛け合ってくれ、何と海外留学生として初めて、私に手話通訳を付けてくれることになったんです。“歴史に残る前例を作ったね”と、皆も喜んでくれました」。
 原さんの周りにはいつも、彼女をサポートしようとする仲間が自然と集まってくる。これも、努力家で前向きな姿勢を持つ彼女の賜物なのだろう。こうして原さんは、習いたてのオースランを駆使して、8カ月間にわたる一般英語コースを受講・修了した。
 その後、いよいよTESOLコースの受講に挑もうとするのだが…。

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オースラン・チャット・クラブで知り合った友人と

「TAFEのTESOLコースは、私の英語力の不足と耳が聴こえないことを理由に、受講が認められませんでした。渋々と日本へ一時帰国する選択をしたのですが、久しぶりに自分の立てた目標を達成できないことと、耳が聴こえないという理由で悔しさを味わい、大泣きをしました」
 TESOLは英語を母国語としない人たちに英語指導をする資格で、リスニングやスピーキングに重点が置かれている。原さんとしても、並大抵の努力ではコースを修了できないことを百も承知だったが、挑戦することさえ許されない現状を目の当たりにして、深く落ち込んだという。しかし、彼女は諦めなかった。
 8カ月後、再び豪州に戻ると、もう1つの目標であるIELTS受験に備え、TAFEのIELTS準備コースを受講。その後、原さんを受け入れてくれるという私立の語学学校を探し出し、児童に向けた英語指導法を学べるコースに進学した。もちろんそこでは、手話通訳の無料サービスなどは受けられない。が、ここでも彼女の持ち前の明るさと前向きな姿勢が、周囲に協力的な仲間を呼び寄せている。講師やクラス・メイトが、原さんに筆談で授業内容を伝えてくれるそうだ。そして、そのコースももうすぐ修了。先日はIELTS受験も果たした。コース修了とIELTSの結果を待って、原さんは日本に帰国する。
 耳が聞こえないことが原因で何か事がうまく運ばなかったと感じた時は、必ずそれを克服してから前に進む。これが、耳が聞こえないことを短所でもハンデでもなく、自身の個性と見なす彼女の生き方、“スタイル”だ。
 帰国後は、豪州で学んだことを生かしてやりたいことがたくさんあると言う原さん。そして来年はまた、豪州に戻ってきたいと話す。JSLとオースランを使いこなす手話通訳者となり、日本とオーストラリアの耳の聞こえない人たちの架け橋となるために。

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