
幸せが溢れる一瞬をカメラで切り取る
第48回 今回登場のワーホリ・メーカーは?

水野友貴さん
1994年生まれ・愛知県出身
高校卒業後、地元の食品加工工場に就職。2年間勤務し退職、アジアを回る旅に出る。そこで写真の魅力に引かれフォトグラファーになることを決意。帰国後、ワーキング・ホリデー制度を利用し来豪、フォトグラファーとして活動。現在もフリーとして活動中(Web: Instagram.com/yuki.mj)
フリーランスという厳しい立場に身を置き、フォトグラファーとして活動を続ける水野友貴さん。高校卒業後、地元の愛知県・豊橋市にある食品加工の工場に勤務したが、その後フォトグラファーを志すこととなったきっかけは、身近な人からの思いがけない言葉だった。
「高校卒業後に地元の工場で働き始めましたが、ずっと同じ仕事を続けていくのか漠然と悩んでいた時期がありました。また、高校時代にワーキング・ホリデーを経験した英語の先生に出会い影響を受けたこともあって、自分もいつかその制度を使い海外へという思いがあったんです。そこで、自分の悩みを兄に打ち明けたところ『お前、このままずっと同じ仕事をしていても意味がないだろ。今すぐ仕事を辞めてアジアを放浪してこい』と言われたんです」
大学へ進学し、そこで豊富な人生経験を持った人に多く出会った兄の弟を思ってのひと言だった。その後、仕事を辞めアジア8カ国を回る旅の中である中国人のフォトグラファーに出会った。そこで、その人物が持ち合わせていた作品に心を奪われた水野さんは、自身も同じ道に進むことを決めたという。
旅を終え日本に帰国した水野さんは、心に抱いていた海外への憧れとフォトグラファーとしての経験を積むことを考え、ワーキング・ホリデー制度を使いオーストラリアへ渡ることを決意。その決意の裏には、自身のそれまでの歩みに対するコンプレックスを振り払おうとする意志のようなものもあった。
「自分は高校卒業後に社会に出ましたから、どうしても大卒の同年代の人間と自分を比べてしまいます。特に、ワーキング・ホリデーで来豪したタイミングは、同級生が社会人1年目を迎えた時だったので、意識せざるを得ませんでした。勝ち負けではないですが、自分の中では大学を卒業した彼らに負けたくないという気持ちがあったんです」
自分の好きなことで生きていくのは難しいことかもしれないという不安も大きかったというが、それでも水野さんは挑戦の道を選んだ。
経験を求めたことで知った自らの理想
来豪後、水野さんはフォトグラファーとしての仕事を探し始めたが、同職種での業務経験がなかったことや当時まだ十分ではなかった英語力の関係から、組織の一員として働くことはなかなか難しかった。そんな中、友人からクラシファイド・サイトでフォトグラファーの募集があることを知った水野さんは、フリーランサーとしての活動に方針を転換した。

そして、フリーランスのフォトグラファーとして本格的な活動を始めるに当たって、2つの目標を立てた。
「活動前に670ドルで広角レンズを購入しました。最初の目標はそのレンズ代を取り返すくらい稼ぐということでした。また、仕事の受注の目標件数を最低10件に設定しました」
レンズ代670ドルを取り返すというと、少々低めな目標設定にも思えるが、水野さんが何より重要視したのは「収入」ではなく職業人としての「経験」だった。そのため、時給200ドルが相場と言われるギャラを水野さんは破格の30ドルに設定、1人でも多くのお客さんに会い実績を積むことを自らに求めたという。そうした破格の料金設定と水野さんの思いもあり、活動を始めて3カ月で収入は1,000ドルを超え仕事の受注件数も14件に達した。
当初想定していた以上に充実した時間を過ごすことができたという水野さんだが、これからの自身の理想の姿をこう思い描く。
「活動は今後も続けますが、自分は人の笑顔を切り取るフォトグラファーになっていきたいという思いが強く、そういう最高の瞬間を誰かのために残してあげたいと思っています。仕事を依頼して頂いた方との出会いも何かの縁でしょうから、嫌な思いはさせず幸せな部分だけを形にしてあげたいですね」
オーストラリアでの活動を終えた後は北・中南米の旅を経てドイツへ渡り、そこを拠点にヨーロッパで活動を展開する壮大なプランがあるという。きっと、数え切れないほどの笑顔が彼のカメラに収められていくことだろう。
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