【WH日記】サッカーAリーグ入りを目指す──川崎大晃さん

第5回

がんばるワーキング・ホリデー・メーカーにフォーカス

みんなの「ワーホリ・ダイアリー」
オーストラリアでがんばるワーキング・ホリデー・メーカーを毎月紹介。


 

 

今回登場のワーホリ・メーカーは?

川崎大晃(ひろあき)さん

1986年生まれ・大分県出身
趣味・特技:読書

「何としてでもAリーグに入って、
子どもたちに夢を見せてあげたいです」

イタリアのスーパー・レジェンド、アレッサンドロ・デル・ピエロ、元イングランド代表FWエミール・へスキー、そして日本が世界に誇る天才プレーヤー・小野伸二、いわゆる「ビッグ3」の加入で、先シーズンその人気を大いに高めたオーストラリアのプロ・サッカー・リーグ、Aリーグ。そのAリーグへの参戦を目指し、下部リーグであるプレミア・リーグでは多くのプレーヤーたちが切磋琢磨しているが、実はその中には日本人プレーヤーの数も決して少なくない。

そんな彼らにとって、かつてワーキング・ホリデー・ビザで来豪し、プレミア・リーグで活躍、その後見事Aリーグへの切符を勝ち取った森安洋文(2011/12シーズンまでシドニーFC でプレー。現Jリーグ・FC岐阜)の名は“先駆者”として伝説になっていると言っても過言ではない。そして彼ら自身、第2の森安になるべく、今も必死でトレーニングに励む。そんな日本人選手の中に、ひときわハングリー精神をむき出しにし、必死の形相でボールに食らいつき声を荒げる1人の男の姿があった。2011年にワーキング・ホリデー・ビザでオーストラリアを訪れ、現在ウエスタン・シドニー・エリアを拠点にするパラマッタ・イーグルスの一員として、Aリーグ入りを目指す川崎大晃さんだ。

 
大分トリニータのユースから高校サッカーへ


「監督の期待にもしっかりと応えたい」と語っていた

川崎さんは現在、プレミア・リーグのさらに下の組織であるスーパー・リーグでプレーしながら、Aリーグへのチャンスを虎視眈々と狙っている。超えるべき壁は高く、その道は決して平坦なものではない。しかし、それ以上にここに至るまでの道もまたかなり険しいものだった。

小学校低学年の時に家の近くのサッカー・クラブに入ったことをきっかけにサッカー人生をスタートさせた川崎さんは、中学校でもサッカーを続け、卒業後は地元の大分県で1、2を争うサッカーの名門高校に入学するも、サッカーをする舞台としては当時創設されたばかりの大分トリニータ・ユースを選択。高校では勉強に専念していたが、ある日、体育の先生に声をかけられる。

「体育の先生がサッカー部の顧問でサッカー部への入部を勧められたんです」

悩んだ末、大分トリニータ・ユースを1年間で辞め、高校サッカーの一員として「冬の国立(高校サッカー選手権)」を目指すことを決めた。しかし、3年時、高校は「国立」への切符を手にしたものの、当時、指導者との折り合いがつかなかったこともあって、彼自身はベンチを温めて終わるという結果になってしまった。

「国立のピッチに立てなかったことにも、いろいろと納得できない原因はあったのですが、今にして思うとすべて言い訳に過ぎないと思っています」

しかし、ユースと高校サッカー、それぞれの空気の中でもまれたことは経験として大きく、いつかチャンスをつかみ、サッカーで食べていきたいという気持ちを持つようになった。

「高校を卒業してもまだサッカーができる自信はありましたし、大学では当然のようにサッカー部に入りました」

そろそろ花開かねば将来はない。そんな焦りもあったのだろうか。新入生として臨んだ最初の1年、目立った成績が残せなかった彼は、急激にモチベーションを低下させ、そのまま部活をやめてしまう。

「当時は環境のせいにしてしまっていましたね。でも、結局のところ、悪かったのは自分のパフォーマンスだったんです。それを認めたくなかったのかもしれません」

子どものころからずっと続けてきたサッカーのない生活。将来への目標があるわけでもなく、漠然と日々を過ごすうち、季節は移ろい、いつの間にか大学生活も終わりを迎えようとしていた。そして、周囲から就職を迫られるなど将来のことを考えざるを得なくなったタイミングを迎え、その時初めて思った。

「俺はいったい、何をやっていたのだろう」

大好きだったサッカーをせず過ごした大学生活を経て、川崎さんが気付いたのはやはり「サッカーが大好きだ」ということだった。

「そんなタイミングで、サッカーを続けてきた友達がJリーグのチームと契約したんです。それを横目に見ながら、本当に俺は何をしているんだと思いました。その悔しさをバネに1からやり直そうと思い、絶対結果を出すから頼むからサッカーをやらしてくれと、両親に頭を下げました」

 

南米ウルグアイからオーストラリア


「とにかく食らい付いていくだけです」、黙々とトレーニングに励む川崎さん

川崎さんは新天地を求め、単身、南米ウルグアイへと飛んだ。サッカーの盛んな南米において、ウルグアイは過去にワールドカップ優勝経験もある古豪だ。そこで彼は、2部のチームと契約を結んだ。プロ・サッカー・プレーヤーとしての生活がいよいよスタートしたのである。

「ウルグアイは日本に比べるとだいぶ貧しい国で、2部のプロ・リーグ契約とはいえ、給料はぶっちゃけ5万円くらい。苦しい生活の中、それでも皆、貧乏から抜け出したいから、ピッチに入ったらもう友達なども関係なくハングリーなプレーをするのでかなり鍛えられました。スペイン語が話せるようになったことも大きかったですね」

2年間、サッカー漬けの日々を送ったが、3年目の契約を交わす直前、代理人とのトラブルがあり日本への帰国を余儀なくされることとなった。

帰国後はウルグアイでの経験を武器にJリーグへの加入も考えたが、代理人との契約が切れていた川崎さんには手持ちのカードはなかった。

「藁をもつかむ思いで大分トリニータの監督に直談判もしました。プレーを見てくれと頼みましたが、代理人を通してくれと言われました。当然ですよね」

そんな状況の中、川崎さんは次の新天地としてサッカーが根付きつつあるオーストラリアの地を活躍の場に選択したのだ。来豪後2部リーグのプレミア・リーグ所属のブラックタウン・スパルタンズと契約。活躍が目に留まればAリーグにスカウトされるチャンスもあったが、昨シーズン、チームは不振にあえぎ、川崎さん自身もチャンスを手にすることができず契約は解除。今季はスーパー・リーグのパラマッタ・イーグルスでプレーをしている。

「ディビジョンが1つ落ちたからといって簡単ではありません。イエロー・カードもレッド・カードもほとんど出ない激しい戦いを勝ち上がり、まずはプレミア・リーグに戻らなければならない。その上で、やるからにはAリーグに行きたいですし、本当にこのまま口だけで終わらないようにがんばりたいです」

小野伸二の活躍でシドニー近辺のサッカー・チームにおける日本人の評価は確実に変わってきているという。また、同じ海外でのプレーではあっても、ウルグアイにいた時と今では心境も全く違うそうだ。

「伸二さんには本当に感謝していますし、僕もその背中を追いかけていきたいです。それに僕は今、選手と同時にサッカーのコーチもしているので、教えている子どもたちが応援に来てくれるんです。子どもたちの目の前で僕が本当にAリーグに入れたら夢を見せられるし、めちゃめちゃかっこいいと思うんですよね。今はいろいろな人が僕のことを応援してくれているので、その期待に応えたいです」

支えてくれる人々の存在を胸に走り始めた今シーズン、川崎さんの飛躍の年となることを願いたい。

 

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