新・豪リークス/五輪、ラグビー、平和への思い

新・豪リークス

現在TBSのシドニー通信員を務める筆者が、オーストラリアの“ホット”な話題を独自の視点で分析する。あっと驚く“裏情報”や“暴露(リーク)情報”も!?

第9回「五輪、ラグビー、平和への思い」

日本選手のメダル・ラッシュに沸いたリオ五輪。その中で、男子7人制ラグビー日本代表が、強豪NZ代表に勝利するといううれしいニュースがあった。ラグビー日本代表の五郎丸選手のスーパー・ラグビー挑戦など、今では日本人選手が世界で活躍する姿は珍しくなくなっているが、戦前にラグビー豪州代表チーム「ワラビーズ」の一員となった1人の日系人がいた。

◇リオの奇跡! 日本が7人制ラグビーNZ代表に勝利

南米初の開催となったリオデジャネイロ五輪は、現地時間の8月21日に行われた閉会式に、安倍晋三首相がスーパーマリオの扮装で会場にサプライズ登場、次回2020年の東京五輪をアピールして閉幕した。開催前は治安面やドーピング問題などさまざまな懸念や心配もあったが、ふたを開けてみれば、日本勢が史上最多の41個のメダルを獲得するなど、大いに盛り上がったオリンピックとなった。

また、柔道や体操、女子レスリングなど日本勢が次々と金メダルを獲得する中、今回から正式種目となった7人制ラグビーでも、男子が世界ランキング3位(15人制では世界最強)のNZ代表「オールブラックス」を破る大金星を上げた。惜しくもメダル獲得は逃したものの、堂々4位入賞という成績を残し、15人制のラグビー・ワールドカップで日本が南アフリカに勝利したのに続くこの快挙に、オーストラリアを始め世界各国のメディアが、「日本のラグビーの強さは本物だ」と評価した。

リオ五輪開幕の2カ月前に、シドニー郊外で行われた7人制ラグビー女子日本代表の合宿を取材したが、オーストラリア選手との体格や個人能力差を何とか克服しようと、懸命に鍛錬する様子に感銘を受けた。15人制ラグビーの日本代表とNZ代表のコーチを歴任し、現在はオーストラリア代表「ワラビーズ」のスキルス・コーチを務めるミック・バーン氏に話を聞いたが「選手は本当に一生懸命練習に励み、飲み込みも早いので、今回の日本代表チームの躍進は、十分うなずけるものだ」と話した。

◇時代に翻弄された「ワラビーズ」初の日系人選手

今年、世界最高峰スーパー・リーグのチーム「クイーンズランド・レッズ」に、ラグビー日本代表の五郎丸歩選手が入団して話題になったが、オーストラリアのプロ・チームで日本人選手が活躍することは、ひと昔前までは考えられないことだった。五郎丸選手がよく口にするように、まさに“夢の舞台”への挑戦だったのだ。

その世界のトップ・レベルにあるオーストラリアの代表チーム「ワラビーズ」に、今から70年以上前に初の日系人選手として選ばれた人物がいた。

日系人初のラグビー豪州代表選手、ブロウ・イデ(1914〜1944)について伝える地元紙(2011年4月24日付『THE SUN-HERALD』)
日系人初のラグビー豪州代表選手、ブロウ・イデ(1914〜1944)について伝える地元紙(2011年4月24日付『THE SUN-HERALD』)

蟹谷勉氏の小説『死に至るノーサイド』に詳しく描かれているウィンストン・P・J・イデ(井手)がその人だ。1914年、佐賀県出身の貿易商だった父・井手秀一郎の4男としてシドニーで生まれ、頬をプッと膨らます癖から、彼はブロウ(Blow)という愛称で呼ばれた。兄たちの影響でラグビーを始めたブロウは、その勇猛果敢なタックルで注目され、かつてテスト・マッチでのトライ数世界記録を持つ元日本代表主将の大畑大介氏も所属した「ノーザン・サバーブス・ラグビー・クラブ」の1軍で活躍すると、ニュー・サウス・ウェールズ州の代表にも選ばれた。その後ブリスベンのチームへの移籍を経て、1938年、ついに「ワラビーズ」の一員となったブロウは、NZ代表「オールブラックス」戦に出場を果たしたが、翌年に第2次世界大戦が始まるとオーストラリア陸軍に志願し、父の祖国日本と戦うことになる。

その後マレー半島の戦地に赴き、シンガポールで旧日本軍の捕虜となったブロウは、さまざまな映画の題材にもなっているタイとビルマ(ミャンマー)間を結ぶ泰面鉄道の過酷な建設作業に従事させられた。この時父・秀一郎はオーストラリア市民権を取得していたが、敵性国民として強制収容所に収監され、財産は没収されている。

1944年9月、ブロウは日本の炭鉱に送られることになり、1,300人を超える連合軍捕虜と共に輸送船「楽洋丸」で航行中、アメリカ軍の潜水艦による魚雷攻撃を受ける。

その場に捕虜としてブロウと一緒にいた同じ「ワラビーズ」のチームメイトは「沈み行く輸送船から投げ出された彼は、救命ボートに乗ることを拒み、仲間を助けながら海に消えていった」と後に語っている。

筆者は個人的に、ブロウと幼なじみだったバーデン・ロブソン氏の息子さんを知っているのだが、バーデンさんは、ブロウは「子どもの頃から自分より仲間のことを大事にする性格だった」と話していたという。

◇戦後71年、スポーツと平和への思い

豪州代表と対戦する女子7人制ラグビー日本代表チーム(6月23日シドニー北部、筆者撮影)""
豪州代表と対戦する女子7人制ラグビー日本代表チーム(6月23日シドニー北部、筆者撮影)

リオ五輪の話に戻るが、「霊長類最強」と呼ばれ、オリンピック4連覇を目指していたレスリング女子53キロ級の吉田沙保里選手が、決勝でまさかの敗退を喫し、銀メダルに終わった。試合後吉田選手が「取り返しのつかないことをしてしまった」と号泣しながらインタビューに答えていたが、勝って当たり前といった周りの期待と、日本選手団の主将としての並々ならぬプレッシャーを背負っていたことが痛いほど伝わってきた。

一方、その吉田選手に勝利し金メダルを獲得したのはアメリカの24歳の新鋭ヘレン・マルーリス選手だが、実は彼女は吉田選手を目標に、これまで辛い練習に耐えてきたのだという。「吉田選手は、本当に信じられない選手です。研究すればするほど彼女のことを好きになリました。神様が教えてくれました。自分の目の前にいる相手は敵ではなく、みんな私と同じことを求め犠牲を払ってきた女性だと。対戦相手を憎むのではなくて、自分が全力を尽くした人間として尊敬すべきなのです」。彼女は試合後のメディアのインタビューにこう答えている。

リオ五輪女子レスリング53キロ級金メダリスト、ヘレン・マルーリス選手(Twitterアカウントより)
リオ五輪女子レスリング53キロ級金メダリスト、ヘレン・マルーリス選手(Twitterアカウントより)

日本人の父を持ちながら父の祖国と戦い、自分のことより仲間を助けながら死んでいった「ワラビーズ」初の日系人選手ブロウ・イデ。戦地に赴く日の前日に最愛の恋人へザーと婚約した彼は、生涯独身を貫いた恋人と再び会うことは叶わなかった。

ラグビーでは試合が終われば「ノーサイド」と言い、敵も味方もなく、お互いの健闘を讃え合うが、もしかしたらブロウも敵である日本人兵を救うために自ら命を投げ打って海に消えていったのかもしれない。

戦後71年。かつては敵同士として戦地で戦った日本とオーストラリアの両国民は、今ではスポーツ交流を始め多くの分野での密接な友好関係を保ち続けている。また、レスリングの吉田選手とマルーリス選手のように、同じく敵国だったアメリカ人選手と日本人選手が、心から尊敬し合える関係を築けるようにもなった。

広島・長崎への原爆投下、そして終戦の日と、日本人にとっては魂の揺さぶられる月とも言える8月に行われたオリンピックを見終えて、スポーツの素晴らしさと平和の大切さが改めて思い起こされた。


PROFILE
飯島浩樹(いいじま・ひろき)
日本の民放局でニュース番組のディレクターなどを経て来豪。豪SBSの日本語教育番組の制作などに携わった後、TBSのシドニー五輪支局現地代表となる。現在、TBSのシドニー通信員として多くのニュース・レポートを日本に送っている。オーストラリア人の妻、子ども3人とシドニー北部に在住。

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