新・豪リークス/「木曜島物語・後編~奇跡の島~」

新・豪リークス

現在TBSのシドニー通信員を務める筆者が、オーストラリアの“ホット”な話題を独自の視点で分析する。あっと驚く“裏情報”や“暴露(リーク)情報”も!?

第16回「木曜島物語・後編〜奇跡の島〜」

オーストラリア北部の海に浮かぶ小さな島、木曜島。かつて多くの日本人が住んだこの島は、日本と長く深い絆を持っている。この島で生まれ、生後間もなく生き別れた日本人の父親を探すため沖縄へ行くというある女性を取材する中で、筆者も沖縄へと向かうことになった。先月号の前編から続く後編。

◇フェイスブックがつないだ奇跡

奇跡の再会を果たしたサリー・ラッドさん(55)と実父の島袋芳則さん(84)(沖縄市内のホテルで筆者撮影)
奇跡の再会を果たしたサリー・ラッドさん(55)と実父の島袋芳則さん(84)(沖縄市内のホテルで筆者撮影)

眼下には沖縄の青い海が広がっていた。機内から見える景色は、世界最大のサンゴ礁であるグレート・バリア・リーフの北端にあたる木曜島周辺のものとどこか似ている。

「“彼女”の実父はどんな思いで木曜島に渡ったのだろう」、那覇空港に向けて着陸態勢に入った中型機の座席に身をあずけ、木曜島で見た燃えるような夕焼けを思い浮かべた。“彼女”とは、木曜島で生まれ、その後生き別れになった沖縄出身の実父を探しているサリー・ラッドさん(55)のことだ。

知り合いのフェイスブック(FB)を通じ、サリーさんの友人で、クイーンズランド州在住の日本人女性、石田妙子さんの投稿を見たのは今年の3月9日だった。そこには、かつて真珠貝採取ダイバーとして木曜島で働いていたが、事情により沖縄に帰った「シマブク・ヨシノリ」という名の実父を探していることに加え、サリーさんは生後6週間で養子に出され、実母や養父母も既に他界していることなどが、断片的に書かれていた。存命ならばかなりの高齢と思われる実父が、果たして今も沖縄にいるのかさえ分からない状況の中、「現地に行けば、何か消息がつかめるのでは」と考えたサリーさんが、今年4月初旬に沖縄を訪れる予定でいることも記されていた。

沖縄の地元ラジオ局「FMよみたん」に筆者と共に出演したサリーさん。写真左からパーソナリティーの比嘉恵子さん、永田由利子さん。
沖縄の地元ラジオ局「FMよみたん」に筆者と共に出演したサリーさん。
写真左からパーソナリティーの比嘉恵子さん、永田由利子さん。

そんな矢先、筆者がシェアしたFBの投稿を見たニュー・カレドニアの日本人移民研究などが専門の津田睦美関西学院大学教授が、木曜島での日本人労働者の研究をしている豪・クイーンズランド大学客員教授の永田由利子先生を紹介してくれた。永田先生もちょうど3月末に日本へ行く予定だったのだが、1958年当時、「ボーウェン」という会社に雇われて沖縄から木曜島に渡った真珠貝採取労働者の中に、「シマブク・ヨシノリ」と読める名前の男性がいることを研究資料から即座に見つけ出してくれた。また、その男性が沖縄本島ではなく久米島出身だということも判明した。しかし、これだけではあまりにも情報が少なすぎる。サリーさんの出生証明書には父親の名前の記載は無く、その男性が実父だと証明する物的証拠は、その時点では限りなくゼロに等しかったからだ。

だが、木曜島でサリーさんの実父をよく知る人物に遭遇出来たことから、状況が急展開することになる。

◇悲しみを乗り越えて

3月19日、木曜島での取材中、和歌山県出身の元真珠貝採取ダイバーを父に持つビリー芝崎さん(76)に話を聞くことが出来た。当時「シマブク・ヨシノリ」と名乗る男性と親しく、しかもサリーさんの実母エリザベス・ボーンさんと幼なじみだったというビリーさん。ヨシノリさんとエリザベスさんが当時恋人同士だったことも知っていて、サリーさんの写真を見せると「ヨシノリに面影がよく似ているね。彼はとてもハンサムで、屈強な男だったから今もきっとどこかで生きていると思うよ」と笑顔で答えてくれた。

木曜島から戻り、ブリスベン近郊の町に住むサリーさんに、ビリーさんのことなどを伝えた。「半ば諦めかけていたけど、実父を探そうと決意したのは、ベンのことがあったからなの……」、文字通り暗中模索だった道のりに一筋の光が差し込み、サリーさんは“父親探し”を決意したきっかけを話し始めた。

亡くなったサリーさんの長男ベンさん(写真左)
亡くなったサリーさんの長男ベンさん(写真左)

アーティストを目指し、地元のテレビ番組にも取り上げられたことのあるサリーさんの長男ベンさんは、うつ病を患い、2016年、27歳の若さで自ら命を絶った。その少し前には離婚も経験し、まさに悲しみの底にいた彼女だったが、ベンさんが幼い頃、祖父の祖国に行ってみたいと話していたことを思い出し、ベンさんが生前残した年金貯蓄なども助けとなって、今回次男と三男を伴っての沖縄行きを決めたのだ。「きっとベンが導いてくれるわ。人生のジグソー・パズルの最後の1片を探し当てるためにね」、在りし日の息子との写真を眺めながらサリーさんは語ってくれた。

◇56年ぶりの奇跡の再会

ついにその時はやって来た。3月22日、津田先生から連絡が入った。旧知の久米島博物館関係者の協力により、サリーさんの実父と見られる男性が、今も沖縄本島の沖縄市に健在であることが分かったというのだ。その人の名は「島袋芳則」さん(84)。しかも驚いたことに、何カ月も前にサリーさんが予約した沖縄の宿は、那覇市などの観光地ではなく、何と芳則さんが現在住んでいる沖縄市にあるホテルだったのだ!

わずか2週間のうちに起きた偶然の連続……体中に鳥肌が立つのを感じた。

そして4月4日、サリーさん、次男のリアム君(16)と三男のカラン君(14)は、沖縄市のホテルのロビーに立っていた。期待と不安が入り混じった表情で待つ3人。

午後2時前、ホテルのエントランスに数人の男女と子どもたちに囲まれて白髪の男性が現れた。パッとその男性に駆け寄るサリーさん、そして抱擁。もう言葉は要らなかった。

背は高く細身で、サリーさんに鼻の形がよく似ている。周りにいた親戚の方も、サリーさんが“島袋家の血筋を引いている”ことはひと目で分かったと話した。

「きっと迎えに来るから……」、1961年、木曜島の桟橋に見送りに来たサリーさんを身ごもったエリザベス・ボーンさんに、芳則さんはこう告げた。しかし、雇用契約を結んでいたオーストラリアの会社は倒産、沖縄でも思うような仕事が見つからず、結局芳則さんが、2011年に亡くなったエリザベスさんに再会することはかなわなかった。

「この娘には本当に申し訳ないことをした」、サリーさんの頭を両腕で抱き、涙を浮かべながら話した芳則さん。家族を伴い付き添いで来ていた次男の弘さん(45)は「オーストラリアに親戚がいるとは聞いていた。口には出さなかったが、親父もきっと心の中でサリーさんのことを思い続けていたのでは」と感慨深げに話してくれた。

感動の対面から3日後の4月7日、筆者に加え、わざわざ滞在中の川崎市から沖縄まで足を運んでくれた永田由利子先生を交え、サリーさん一家、芳則さん、弘さん、三男の智さん(43)、そして長女の芳美さん(48)の家族で食事をした。「もう天国に行ってもいい気分だ」と再び我が娘をしっかり抱きしめながら話した芳則さんは、サリーさんにせがまれて、恥ずかしそうに左上腕に刻まれた「Lily」の文字の入れ墨を見せてくれた。サリーさんの実母エリザベス・ボーンさんが、自分のミドル・ネームを彫ったのだという。

サリー・ラッドさん一家と島袋芳則さん家族(沖縄市内ホテル、筆者撮影)
サリー・ラッドさん一家と島袋芳則さん家族(沖縄市内ホテル、筆者撮影)

「アンタのママを本当に愛していたんだよ」と、入れ墨を見せながらと話す芳則さんに、サリーさんは、まるで父親に甘える少女のようにうんうんと頷いた。

木曜島と沖縄、5,000キロにも及ぶ距離を隔てた2つの美しい島の「物語」は、めでたくハッピー・エンドを迎えた。56年の時を超え、まさに奇跡とも言える再会を果たした父娘に惜しみない拍手を送りたい。

取材を終え、那覇空港を飛び立つ機内のシートにもたれ目を閉じると、どこからか沖縄三線の乾いた音色と共にThe Boomの名曲『島唄』の一節が聞こえた気がした。

島唄よ風に乗り、届けておくれ私の愛を……。


PROFILE
飯島浩樹(いいじま・ひろき)
日本の民放局でニュース番組のディレクターなどを経て来豪。豪SBSの日本語教育番組の制作などに携わった後、TBSのシドニー五輪支局現地代表となる。現在、TBSのシドニー通信員として多くのニュース・レポートを日本に送っている。オーストラリア人の妻、子ども3人とシドニー北部に在住。

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