ニューカレドニア日本人移民120周年


ティオに到着した日本人移民(1905年Collection Raymond Magnier)

民放現役通信員の豪リークス

在豪16年、現在TBSのシドニー通信員を務める筆者が、オー ストラリアの“ホット”な話題を独自の視点で分析する。 あっと驚く“裏情報” や“暴露(リーク)情報も!?

第16回 ニューカレドニア日本人移民120周年

「天国に一番近い島」と称され、白い砂浜とサンゴ礁の美しい南の島というイメージで知られるニューカレドニア。四国ほどの大きさのこの島には、地下には豊富な資源が眠り、かつて多くの日本人が移民したという歴史もあった。7月に行われた「ニューカレドニア日本人移民120周年祭」のセレモニーを取材した。

シドニーから飛行機で3時間ほどで行ける南太平洋のフランス領の島ニューカレドニア。首都ヌメアの国際空港に降り立つと公用語のフランス語に加えて英語そして日本語の表記もあちらこちらに見ることができる。最近は減少傾向にあるものの、毎年約2万人の日本人観光客が訪れるというニューカレドニアは、実はあまり知られていないのだが、日本との間に古くそして深い絆を持つ島である。

1892年(明治25年)、ニューカレドニア本島南東部ティオの港に移民会社の斡旋により、5年契約でニッケル鉱山で働くため熊本県や沖縄県などから600人の日本人が到着した。つるはしでニッケルを掘り出すというほとんど手作業に近い鉱山労働は、かなり過酷なものだったが、新天地を求めてやって来た日本人は勤勉に働いた。

契約終了後も島に居住できるようになった日本人労働者たちは、農園を営んだり鍛冶屋や大工、床屋などさまざまな仕事に就き、ヨーロッパ系の現地女性と所帯を持つものもいた。1920年ごろまでに5,500人以上の日本人がニューカレドニアに渡り、当時のティオの町は多くの日本人やその家族で活気付いていたという。

しかし、太平洋戦争の開戦により現地在住日本人の運命は一転する。1941年の真珠湾攻撃の翌日から敵性外国人とされた約1,300人の日本人は、当時の自由フランス当局により逮捕され収容所送りとなった。その後、一部を除く1,100人余りが船でシドニーへ移送された。オーストラリアではNSW州のヘイ収容所などで抑留された日本人は、戦後ニューカレドニアに帰ることは許されず、そのまま本国へと強制送還されてしまう。島に残った現地妻や子どもたちは、財産を没収された上に父親と生き別れになるという、まさに“天国から地獄”への道を歩むことになったのだ。

◇日本人移民120周年祭

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日系移民2世のアンドレ中川さん(87)(Photo: Hiroki Iijima)

最初の日本人移民が到着してから120周年を迎える今年、ニューカレドニア各地で記念行事が催されている。ニッケル鉱山のあるティオには約230人が眠る日本人墓地があるが、そこに沖縄からの元移民の息子で建築家の松田幸吉さんが設計したニッケルを使ったステンレス製の記念碑が建立されることになった。7月5日に執り行われた日本人慰霊祭には残念ながら記念碑は間に合わなかったが、式典には日本から臨済宗の僧侶や沖縄県の稲嶺進・名護市長ら関係者約3 0 0人が出席した。地元のキリスト教神父が祈りを捧げ、賛美歌を合唱すると、思わず涙する移民子孫の方々も多かった。

この島固有の南洋スギの林に般若心経の読経が響き渡る中、墓前で焼香した代表者の1人に元日本名誉総領事の日系2世、アンドレ中川さん(87)がいた。中川さんは、ニッケル鉱山で働いていた熊本県出身の父親と戦争で生き別れになり、音信不通になっていた父と再会できたのは、戦後20年近く経った1963年のことだった。「父がいなくなり家には何もなく貧乏で、当時は日系2世の多くが学校にも行けなかったんだ」。今ではひ孫までいるという中川さんは、いくつかの単語しか話せない日本語で、“ニセイ”と2本の指を突き出し、自分のルーツを誇るかのように語ってくれた。

また、現日本名誉総領事のマリー=ジョゼ・ミッシェルさんは「日本人移民120周年祭は、当初の予定よりはるかに大きな規模で開くことができた。移民の子孫だけでなく地元の町や住民も誇りに思っている」と述べた。

現在、ニューカレドニアには約8,000人の日系移民の子孫がいるというが、残念ながらこの興味深い歴史をほとんどの日本人が知らない。それはなぜなのか。ニューカレドニアの日本人移民の研究を続けている成安造形大学の津田睦美准教授は「当時の榎本武揚外相自らが奨めた最も早い時期の官約移民だったが、日本人研究者が敬遠するフランス語圏であることなどから、本格的かつ継続した調査があまり行われなかった」と指摘している。

◇ニッケルの島の環境汚染問題

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ニッケルの原石を見せる先住民のピエールさん
(Photo: Hiroki Iijima)

ステンレスの材料や携帯電話の部品となる希少金属レアメタルのニッケル。ニューカレドニアは世界第2位のニッケルの埋蔵量を誇り、日本も多く輸入している。しかし、山の表面を削るように露天掘りで採掘されるニッケル鉱山の周辺には、貴重な島固有の動植物が多数生息する原生林があり、ニッケルの精錬に使用する硫酸や廃棄物の流出による、河川やユネスコの世界遺産であるサンゴ礁の海の環境汚染が指摘されているのだ。

ティオで撮影中、偶然通りかかり声をかけてきた、現地でカナックと呼ばれる先住民の男性に出会った。こちらはフランス語が不得手なので、当初こんなところで撮影するなと叱られるのかと思ったが、「もっといい場所があるから」と、山肌が削られ赤土がむき出しになったニッケル鉱山を臨む川にわざわざ我々を連れて行ってくれた。

よく見ると、水の量がそれほど多くない川原のあちらこちらに、緑色を帯びた石が落ちている。鉱山近くの先住民集落のリーダーのピエールと名乗ったその男性は、石の1つを拾い「これがニッケルの原石だ」と見せながら「鉱山開発が進む前はこの辺りは森で、川を覆うようにの木が生い茂り、空も見えないくらいだったのさ」と話した。

2009年には、日本の企業も出資するニューカレドニア南部ゴロ地区のニッケル鉱山で、多量の硫酸が周辺の川に流れ出す事故が発生するなどし、先住民グループによる鉱山開発の抗議デモもたびたび起きている。このため政府当局や鉱山会社は、先住民や環境保護団体と協力して第三者機関を設置し、鉱山開発の環境に与える影響の調査と分析を行っている。環境監視第三者機関ライル(L’OEIL)の担当者は、「森林などの環境破壊はもちろん鉱山の影響もあるが、山火事や動物などほかの脅威も考慮し、さまざまな角度から監視していく必要がある」と説明した。

◇今また日本人の力が

前述のニューカレドニア南部のニッケル鉱山には住友金属鉱山と三井物産が参画し、高圧硫酸浸出(HPAL)法と呼ばれる、これまで回収が困難だった低品位の酸化鉱から高純度のニッケルやコバルトを生産する世界最先端の技術で貢献している。

住友金属鉱山ヌメア事務所の加納達也所長は「鉱山周辺の環境保護には細心の注意を払って操業を行っている」と我々のインタビューに答えた。一時は国際価格が急騰し、世界の資源メジャーによる争奪戦の様相を見せたニッケルたが、現在はその価格や需給環境は落ち着いているという。しかし、ニューカレドニアでの高純度ニッケルの採掘量は年々下がってきており、HPAL法のように高度な技術力を持つ日本企業への期待はまだまだ大きい。

100年以上前、多くの日本人移民がニューカレドニアの発展にさまざまな分野で尽力したが、今またこの美しい島に、日本人の力が必要とされている時が来ているのかもしれない。


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PROFILE
飯島浩樹(いいじま・ひろき)

日本の民放局でニュース番組のディレクターなどを経て来豪。豪SBSの日本語教育番組の制作などに携わった後、TBSのシドニー五輪支局現地代表となる。現在、TBSのシドニー通信員として多くのニュース・レポートを日本に送っている。オーストラリア人の妻、息子2人とシドニー北部に在住。

 

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