安らぎの麗しい島と人 中華民国 Republic of Chinaで7日間②

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安らぎの麗しい島と人

中華民国 Republic of Chinaで7日間②

文=青木公

台湾では、日本語ができる70歳以上の年代の男性をトーサン(多桑)と呼ぶ。父親の呼び方、おとうさんのようだ。おかあさんはオウバサン(欧巴桑)だ。台湾語なのか、日本語なのか。謝森展さんは、「昭和5年、神戸生まれです」と自己紹介したトーサン世代だ。筆者と同世代人なので、時代感覚は同じだった。

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台湾島西岸を南北に走る日本式の新幹線車両(竹林駅の朝)

日清戦争と台湾

明治期に、日本は日露戦争後、小さな大国となった。日清戦争(1894〜5年)で、大国の清王朝に勝った。清朝は、満州族の王朝だったが、とにかく、隣の大国に勝った結果、台湾は日本領土になった。台北の北方にある港町。淡水には、ポルトガル人の砦跡の紅毛城や英国総領事館跡もあって、満州族の清王朝は、台湾島に関心が薄かったのが分かる。

その台湾を日本は、第2次世界大戦終戦までの50年間統治して、農業開発した。淡水の町を歩いたら、屋根瓦のある日本家屋を見つけた。

そんな台日関係だから、島の西岸の新竹地方の旧家だった謝森展さんの父親が、神戸でパナマ帽子やバナナなど熱帯果実を商なっていて不思議はなかった。謝さん一家は、日本敗戦で台湾島に帰ったが、日本の戦時中の食糧不足や米軍の空襲を、日本人と同じように経験していた。そういうトーサン世代は、台湾社会に残っている。

謝さんは近年、有機農場を始めたが、壮年時代は日台の政治・経済関係の仲介役を務めていたから、日本の保守系政治家、例えば岸信介、佐藤栄作といった人たちのことが会話によく出てきた。

「このごろの日本人は、台湾の勉強をしていない。嘆かわしい、残念だと思っている」と筆者に言った。中国本土も、中国共産党も、戦後、38年間の戒厳令下で台湾を統治した蒋介石一族の国民党も大嫌いだ、と明言する。中国共産党から見れば、謝さんは台湾独立派という立場にある。

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昭和5年生まれの謝森展さん

「農場の食堂で、話をしましょう」と、日台関係の本や資料を持って来ては、筆者に勉強させてくれた。トーサン世代には、今の日本人が知らない、忘れてしまった日本社会の美徳、例えば勤勉、礼儀正しさ、長幼の序といった価値観が保たれている、と感じた。

政経人だった謝さんが、有機農業を始めたのも、食の危機を感じた日本のNPOの活動に刺激されてのことだった。日本統治時代に台湾南部の農業開発が成功、当時の日本国の農場、食料基地だった台湾島の故事から、工業化する台湾に危惧を持ったからだという。

謝さんの農場は、サルノコシカケというキノコの菌から採る霊芝(レイシ)という伝統薬品の製造もしていた。

抗日の小さな村で

農場は、北埔という小さな村にある。日本統治への抗日騒動としては、南部での霧社(むしゃ)事件が年表にも載っているが、北埔の村でも抗日騒動で日本人が襲われ、死者を出していたのを、謝さんが持ち出してきた資料で初めて知った。

「北埔事件は、無頼の徒がやったのだ」と謝さんは言ったが、村が日本人社会に変わっていくのを不満とした土着の旧民兵グループが決起したようだ。生き残った日本の国民学校長が遺した記録も残っていて、日本研究学会の幹事役の謝さんの収集資料は豊富だった。

日本敗戦で台湾に進駐してきた国民党軍は、日本とゆかりのある神社や記念物の破壊を命じたが、謝さんのコレクションの中には、神社にあったコンクリート製の神馬もあって、農場で野外展示されていた。

トーサン世代の謝さんは、日本の動向が気になる。「台湾は中国の一部と主張する中国共産党の現中国政府と国交がある日本。日本の新しい政府、民主党の対台姿勢は、どういう方向なのか」。保守系の日本政・済界人と付き合いが長いトーサン世代の台湾人には不安なのだろう。

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第2次大戦で戦死した台湾兵士の遺骨を収めた寺。日本の靖国神社から分祀してもらった(北埔村で)

韓国との違いは…

台湾人として初めて総統(大統領)になった李登輝氏は、京大卒で日本軍人でもあったトーサン世代。日本的精神という表現が当てはまる世代だ。謝さんと同世代の人々は減っていく。孫に当たる若い台湾人は、日合日族(ハーリーズー)といわれ、日本の歌謡曲歌手やアニメ・マンガに憧れている。

ところで、同じく日本統治下にあった韓国人も、謝さんの有機農場に見学にやって来る。日本併合100周年の韓国では、日本語を話せる世代の人は、日本語を口にしない。若い世代の韓国人から軽蔑される、という。台湾人には理解できないらしい。台北には日本統治時代の総督府がそのまま残り、台湾政府が使っている。ソウルの日本総督府の建物は、軍人大統領の命で破壊された。日本が武断政治で、伊藤博文が暗殺されたのに、台湾では農業開発に力を入れた日本人技術者の碑は今も尊敬されている。

「台湾兵は太平洋戦争で3万人戦死した。朝鮮の人は1万人しか死んでいない」と謝さんは比べて、そう言った。日本的精神の持ち主なのを感じた。日本へ帰国の朝、台湾南部で地震があり、新幹線は一時止まった。筆者が帰宅後、台北から「無事、帰れましたか」と謝さんから電話があった。


筆者紹介・青木公(あおき・ひろし)朝日新聞社友。日豪プレス創刊時に朝日新聞シドニー支局長。定年後、東南アジア、中南米、アフリカ大陸などの途上国を毎年、訪問・取材。現在、国際協力機構(JICA)サポーター。著書に『ODA最前線』『中高年、はつらつと海を渡る』『ブラジル大豆攻防史』ほか。海外日系紙に寄稿

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