低落続く労働組合組織率と労働党

政局展望

低落続く労働組合組織率と労働党

ナオキ・マツモト・コンサルタンシー:松本直樹

豪州統計局(ABS)が公表した労使統計によると、2013年8月の時点で17%程度であった労働組合組織率は、昨年の8月の時点では15%にまで低落した。しかも、労組組織率を民間部門だけで見た場合、一昨年8月の時点でも12%に過ぎなかったのが、昨年の8月時点ではわずか11%にまで低落している。ところが労組の労働党への影響力はますます強まりつつある。

労働組合組織率低落の背景

豪州は労働組合が強いことで定評があるが、実は豪州の労働組合組織率は過去数十年にわたって、すなわち、1980年代のホーク/キーティング労働党政権時代から低落傾向にあり、とりわけ民間部門ではそれが著しくなっている。ただ、90年代初頭のキーティング政権時代、例えば92年の8月の時点では、依然として労組組織率は40%程度もあったことから、低落の程度が著しくなったのは、96年3月に誕生したハワード保守連合政権以降と言えよう。

労組組織率の低落は世界的傾向でもあるが、豪州での背景としては、①社会主義イデオロギーへの幻滅、陳腐化、②雇用構造の変化、すなわち、もともと労組組織率の低かったパート・タイマーや臨時労働者の増加、そして女性の大量職場進出、③産業構造の変化、すなわち製造業など、伝統的に組織率の高かった産業の低迷と、それとは対照的に、サービス産業など、伝統的に組織率の低かった産業の興隆、④ハワード保守連合政権の分散的労働条件交渉制度の強調など、労使制度の変化、⑤しばしば「草の根」労組員の福利に無関心に見える大労組への失望感、さらに、⑥豪州経済が総じて堅調であったことから、労働者の職への不安や危機意識も比較的希薄となりつつあった、などが指摘できよう。

以上に加えて、皮肉なことに、⑦豪州労組の成功物語が、労組の凋落につながったとの見方もある。要するに、強力な労組のおかげで、豪州では労働者の権利が相当に改善されてきたことから、労組の存在意義が低下したとの議論である。

ハワード保守連合政権の「貢献」

上記の④に関して補足すると、ハワード保守連合政権は労使関係改革を政権第1期目の最重要課題と位置付け、早くも政権初年度の96年には労使改革の「第1波」法案、すなわち「96年職場関係法案」を成立させ、翌97年の1月より新労使制度を施行している。同制度の特徴とは、第1に、分散的かつ柔軟な労働条件交渉制度の整備、第2に、労働組合の影響力低下、そして第3に、雇用者側優先の労使制度の構築、の3点を明瞭に志向している、というものであった。

「労使関係改革」を政権第1期目の最重要課題と位置付けたハワード元保守連合政権
「労使関係改革」を政権第1期目の最重要課題と位置付けたハワード元保守連合政権

第2番目の「労働組合の影響力低下を志向」だが、具体的には、(ア)労組が労働条件交渉にほぼ関与できない、個別労働契約である豪州職場協約(AWAs)の導入(注:第3者、すなわち公的労使機関の豪州労使関係委員会AIRCや、労働組合の介入を極力排除し、雇用者と被雇用者が直接交渉によって労働条件を決定するという方式。「職場法」全体でも目玉策と見なせるもの)、(イ)一部労組を財政難に陥らせる強制組合主義の違法化、(ウ)労組の役割を低下させる裁定(注:公的調停・仲裁機関の下で、主として産業別、職種別に雇用者と労働組合とが合意した労働条件の内容を文書化したもの。公的機関が「お墨付き」を与えたものであることから法的拘束力を有す)の簡略化、(エ)労組専従員の職場立ち入りの制限、(オ)労組間サービス競争の導入と大労組の分化促進、そして(カ)違法ストライキの罰則・規制強化や、第2次ボイコット(注:「同情スト」の一種。A企業が労使紛争中であった場合に、B企業の労働組合がA企業の労組の支援を目的に、Bの雇用者に対して、Aとの取り引きなどの中止を迫って就労を拒否する、といった行為を指す)条項の「取引き慣行法」への移行、などが挙げられる。

上記の各施策は、80年代より続く労働組合組織率の低落傾向に一層拍車をかける結果となったが、その中で、比較的目立たないものの、労組側にかなりの痛手となったのが、実は上記(エ)の職場立ち入り権の制限策であった。「職場法」では、それまでは容易であった労組専従員の職場立ち入りが制限され、立ち入り希望の専従員は、労使関係登録局より有効期限3年の立ち入り許可証を取得した上で、しかも立ち入りの少なくとも24時間前までに、その旨を職場に事前通告することが義務付けられた。また、ハワード政権が06年3月から施行した「ワーク・チョイス」では(注:労使改革「第2波」および「第3波」)、労組専従員の同権利が一層制限され、例えば「人物評価審査」の導入を通じた労使専従員立ち入り許可証発行の厳格化、ならびに立ち入り許可証失効措置の容易化、さらに、立ち入り場所ばかりか、立ち入り経路までもが制限されることとなった。

言うまでもなく、労組専従員の労働者へのアクセスは著しく阻害されることとなり、その結果、労組の影響力、統率力が低下するのは当然として、ただでさえ、労働組合組織率の低落に悩む労組の、労組員リクルート活動も大きく支障を来たすことになったのである。

ラッド/ギラード労働党政権の公正労働法

07年11月の連邦選挙ではラッド率いる労働党政権が誕生したが、ラッドの勝利の背景には、いわゆる「イッツ・タイム・シンドローム」あるいは「政権の替え時症候群」の存在があった。これは、現状維持志向が強いとされる豪州国民も(注:最近ではこの特徴も弱まりつつあるが)、長期政権にはさすがに飽きて、そろそろ政権を交代させる時期との思いを抱くことを指す。ただ同症候群に加えて(注:ハワード政権は実に11年8カ月にわたり存続)、労働党の主要勝因となったのが、ハワード保守連合の「ワークチョイス」への国民の強い反発であった。そして同政策への国民の怒り、反発を煽る上で大いに貢献したのが、労働組合の頂上組織である豪州労働組合評議会(ACTU)を中心とし、しかも莫大な資金を投入した労組の反ハワード政府選挙キャンペーンであった。

その労組の功績、貢献に報いるため、もともと労組寄りのギラードが策定し(注:当時は副首相兼労使関係大臣兼教育相)、ラッド労働党政府が施行したのが、「労組にフレンドリー」な現行の公正労働法レジームである。同レジームのおかげで、ハワード政権下では押さえ込まれていた労組も、再度息を吹き返したと言える。確かに、労働党の公正労働法下でも労働組合組織率が上昇に転ずることはなかったものの、ハワード政権の労使レジームが存続していた場合に比べ、組織率低落のペースにブレーキがかかったであろうことは想像に難くない。また、全体の労組組織率が低いとは言っても、好戦的な左派系の建設・森林・鉱業・エネルギー組合(CFMEU)のように、一貫して高い組織率を誇る労組もあるし、しかも豪州の労組は産業横断的な大労組がほとんどであることから、産業界における労組の影響力は依然として大きなものとなっている。

それどころか、労組組織率が大きく低落したにもかかわらず、依然として財政的に潤沢な労組は多い。その理由は、過去の労組の財政は労組員の収める組合費に強く依存していたのが、現在の労組には他にもさまざまな収入源があるからだ。まず、例えば所得保障保険といった(注:病気や怪我等で休職を余儀なくされた労働者に一定の所得を保障)、労組が直接経営する、あるいは関与するビジネスからの収入がある。労組は雇用者側との企業別協約労働条件交渉に際し、自らのビジネスに被雇用者を加入させるとの条件をのませ、ビジネス収入を上げているのだ。また、ヘイドン司法調査委員会を通じて露呈されたように、傘下の労組員、被雇用者にも秘密の労使間取り決めを結び、得体の知れない資金が雇用者から労組に流れてもいる。こういったことから、組合費収入が減少した労組にも、財政的に潤沢な労組が存在するのだ。

強まる労働党への影響力

もう1つ重要な点は、労組組織率の低下にも関わらず、労組の労働党への影響力はむしろ強まる傾向にあることだ。そもそも労働党とは、1891年に労働組合が創設した政党である。その歴史的経緯を簡単に振り返ってみると、豪州労働運動のターニング・ポイントとなったのは、19世紀末に豪州各植民地において発生した大規模な労働争議であった。ところが、同争議は雇用者側の勝利に終わったことから、ストライキを多用する交渉方式、ひいては労使間団体交渉そのものの限界が明らかとなり、労働者側は労働運動の路線転換を余儀なくされることとなったのである。労働者、労組側が新たに採用した戦略とは、政治的パワーを獲得すること、すなわち、政党を創設して議会内に勢力を築き上げ、もって労働者寄りの立法、政策を推進するというものであった。

その中でも最も重要な戦略目標の1つが、その後長期にわたって豪州の労使制度を特徴付けた、「調停・強制仲裁制度」の確立、同制度への依存であった。労働者、労組側としては、労使間のパワー・バランスが大きく雇用者側に傾いていた当時の状況下においては、雇用者を強制的に交渉の場に引き出し、かつ対等な立場で交渉するためには、中立的な公的機関の介入を制度化する必要があったのである。以上のような労働党の「出生の経緯」により、依然として労組は労働党への大口献金団体として、集票マシンとして、さらに労働党への人材供給元としても大きな役割を果たしてきたし、労働党が一応大衆政党となった現在でも、労組は労働党に強い影響を与えている。取り分け重要なのは人材供給マシンとしてのそれで、労働党政治家を特徴付けるのは、労組専従員出身者の割合が極めて高いという点だ(注:労働党政治家の典型的な「キャリア・パス」とは、労組専従員や政治家のスタッフを経由するというものである)。

ちなみに自由党の場合だが、政治家のキャリア・パスとしては弁護士出身者が多く、それ以外では会社役員などのビジネス界出身が目立っているが、特定組織の出身者が多いわけではない。また通常、保守政党の特徴として挙げられるビジネス界、財界の影響力も決して大きなものではない。労組の影響力とは、具体的には「派閥政治」を通じた、あるいは重要な党大会の代議員ポストを通じた、労働党の公認候補を選ぶ党内予備選挙、党組織人事ばかりか、閣僚/影の閣僚といった議会労働党内の人事、そして労使政策のみならず、労働党の政策全般への影響力である。労組の影響力がますます強まっていることを強く印象付けたのが、ショーテン野党労働党が、豪州の国益を損なうものと批判しつつ、豪中二国間自由貿易協定(FTA)を強く批判したことであった。

確かに、労働党の「バイ」への消極姿勢は今に始まったものではないが、ただ、豪中FTAに対する労働党の批判は、貿易政策の観点からのものではなく、極めて政治的、かつ党内政治の観点からのもの、しかも、主としてショーテン個人の政治的動機に基づくものであった。すなわち野党は、豪中FTAでは一時滞在就労査証の「457査証」制度が骨抜きにされることから、中国の投資による豪州国内の大プロジェクトに中国人技能労働者が大量に流入し、豪州技能労働者の職を奪うばかりか、賃金といった国内労働条件の低下にも繋がると主張、警告していた。この主張は事実に反するもので、しかも好戦的な左派系労組として知られる、建設・森林・鉱業・エネルギー組合(CFMEU)の主張をそのまま代弁したものであった。そしてショーテンによるCFMEU懐柔の背景には、今年7月に開催された重要な労働党全国党大会において、労働党左派の多くが反対する政策、取り分けボート・ピープル船の「追い返し」策が、ショーテンの意向通りにオプションとして採択されたのも、CFMEU代議員や同労組の影響力のおかげであったとの事情がある。

他方で、かつては「叩き上げ」の労働者が占めていた労組の専従員や幹部は、法学部出身の「インテリ」、しかも将来政界入りを狙う政治家予備軍に取って代わられつつある。その結果、労働者の権利擁護や権益増進のためという、労組の存在意義が変容し、現在の労組はむしろ政治団体の様相を強めており、あるいは政治目標の追求、それどころか、個人的な政治的野心の追求のための「ビークル」と化しつつある。労働党への労組の影響力の強さ、しかも、現在では被雇用者7人の内のわずか1人ほどが労組に所属しているだけにも関わらず、労組が依然として労働党を牛耳っていることは、労働党が一般大衆から遊離している、あるいは特定圧力団体の「手先」に過ぎないといった、政治的に負のパーセプションを醸成するものである。

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