NSW州首相の交代劇

政局展望

NSW州首相の交代劇

ナオキ・マツモト・コンサルタンシー:松本直樹

年明け早々にNSW保守連合政権で政変が発生し、同州首相が、かつては絶大な人気を誇っていた自由党のベアードから、自由党副リーダー兼財務大臣であったベレジクリアンに交代している。

ベアード州首相の引退宣言と新州首相の誕生

1月19日、第44代目のNSW州首相である自由党のベアードが突然記者会見を開き、州首相から辞任するとともに、政界からも引退することを公表している。ベアードが州首相に就任したのは2014年の4月に過ぎず、また15年3月のNSW州選挙で勝利を収めたばかりであったことから、突然の引退宣言は驚きをもって受け止められた。ベアードはここ数週間で引退を決意したと述べていたが、その理由として、過去10年間にわたる政治家生活で文字通り全力投球をし、エネルギーを使い果たしたことに加え、何よりも家族の問題を挙げている。

すなわち、ベアードは涙ながらに、家族との時間が持てないことばかりか、現在両親や妹が深刻な病に伏せているにもかかわらず、激務で満足に接触、看護ができない点を挙げていた。ちなみにベアードは2世議員で、父親のブルース・ベアードは、グライナー/フェイNSW州保守政権で運輸相や観光相として活躍し、同州自由党の副リーダーも務めた大物である。

その後、連邦政界に鞍替えし、引退していたが、最近大きな心臓の手術を受けている。また、母親は難病で24時間看護の状態にある。一方、実妹は国営ABC放送のジャーナリスト/作家だが、がんを患っている。

さて、ベアードの引退宣言を受けて1月23日、NSW州自由党はベアードの後任の同州自由党リーダーを選出するため、同州両院議員総会を開いている。

17年1月14日、安倍晋三首相来豪の際に登壇したベアード
17年1月14日、安倍晋三首相来豪の際に登壇したベアード

予想通り、出馬したのはベレジクリオン副リーダー兼財務相のみで、結局、ベレジクリオンが「異議無し」でNSW州自由党のリーダーとなり、また自動的に第45代目のNSW州首相に就任した。自由党所属の女性議員が州首相となったのは、ベレジクリアンが初めてである。附言すれば、労働党の女性州首相は、現役のパラシェイQLD首相を含め、これまでに6人もいたし、しかもギラードという連邦首相もいた。一方、州のステータスではないACTとNTだが、これまで自由党の女性ACT主席大臣は1人で、労働党は2人、また女性NT主席大臣は労働党の1人となっている。

ベアード引退の理由

11年3月のNSW選挙では、16年に及んだ労働党政権にもついに終止符が打たれ、自由党のオファレル率いる保守連合が政権の座に就いたが、14年4月16日、そのオファレルNSW州首相が緊急記者会見を開き、比較的ささいなスキャンダルで州首相を辞任するという、一大政変が発生している。オファレル辞任劇を受け、同州自由党は同年4月17日に、後任を決める臨時の両院議員総会を開催したが、下馬評通りに「異議無し」で自由党のリーダー、すなわち第44代目のNSW州首相に選出されたのが、当時のベアード財務相であった。

それから1年ほどが経過した15年3月28日には、ベアード州首相としては初陣のNSW州選挙が実施されたが、ベアード与党保守連合は危なげの無い勝利を収めている。すなわち、選挙後の定数93の下院政党別勢力分布は、与党自由党が37議席(注:選挙前は42)、与党国民党17議席(同19)、野党労働党34議席(同23)、グリーンズが3議席(同1)、無所属2議席(同8)で、与党の過半数「バッファ」は7議席、与野党の議席差は20議席であった。15年選挙では与党議席数の減少と野党議席数の相当な増加があり、その結果、与野党の議席差はかなり縮小したわけだが、これは十分に予想されていたことであった。

というのも、その前の11年選挙では、当時の与党労働党が異例なほどに莫大な数の議席を減少させ、一方、当時野党であった保守連合は逆に膨大な数の議席増を果たしたことから、次の15年選挙で「揺れ戻し」があることは確実であったからだ。また15年選挙では、ベアード政府の州電力部門民営化政策への反対が強かったのだが、それにもかかわらず、与党は余裕をもって勝利を収めている。与党保守連合の最大の勝因は、有能であるばかりか庶民的で典型的な「ナイス・ガイ」のベアードへの人気であり、ベアードの信頼感の高さであった。

ところが、昨年の半ばを過ぎるとベアード人気に陰りが生じ、それどころか評価は一挙に急落することとなった。例えば、ニューズポール社が昨年の8月から9月にかけてNSW州で実施した世論調査によると、一昨年の11月から12月にかけての調査では実にプラス39%もあったベアードのパフォーマンス・ネット評価(注:「満足度」マイナス「不満足度」)は、一挙にマイナス7%へと急落している。46%というベアードの悪化率は、ニューズポール調査が記録した本土の州首相の変化率では最悪のものであった。

そして、ベアードの急激な凋落ぶりの主因となったのが、昨年の7月7日に、ベアードと当時のグラント副州首相兼同州国民党リーダーによって公表された、グレイハウンド・レース業界を廃止するとの決定であった。同業界は動物虐待問題で大いに物議を醸してきたのだが、いきなり廃止するとのベアードの強硬姿勢は、それが予想外であったことに加え、業界への相談、根回しも無く、独断専行的に決定されたと見られた。更に言えば、同問題が「贅沢イシュー」と見られたことから、多数のNSW州民の強い反発を引き起こすこととなったのである。

ちなみに、上記世論調査時に併せて実施された、グレイハウンド問題に関する調査によると「レースの全面的禁止に賛同する」との回答が41%であったのに対して、「レース産業に状況改善の機会を与えるべき」との回答は過半数の51%に達していた。結局、ベアードは昨年10月11日には、これがレース業界に与えられる最後の機会であることを強調しつつ、今年度末をもって同州のグレイハウンド・レースを禁止するとの政策を、一転して撤回することを余儀なくされている。

ところが同問題での劇的な「腰砕け」は、短期的にも中長期的にも、ベアードならびに与党保守連合に大きなダメージになるものと予想されたし、実際にその通りとなった。当然のことながら、ベアードのクレディビリティーが大きく毀損されてしまったからだ。ベアードは人柄の良さや能力の高さに加えて、「確信犯」的な政治家、すなわち、自身の信条、信念に基づき、正しいと思ったことはやり遂げる、あるいは変節しないとの評価を受けてきた政治家である。

しかも、グレイハウンド問題に関しては、ベアード自らが「原理・原則にのっとって正しいことを行うだけ」といったせりふを吐きつつ、「確信犯」ぶりを喧伝してきたという経緯がある。そのため「腰砕け」は、実のところベアードには原理・原則など無い、あるいは確固とした信条、信念が欠如しているとの印象を与えたのである。さて、今回のベアードの辞任劇であるが「家族との時間をより大事にしたい」というのは、西洋先進国の政治家が予想外の引退声明を行う際の「常套句」ではある。

ただ、ベアードが極めて敬虔なプロテスタント系キリスト教徒で、人柄の良さも抜群であることに鑑み、本人の主張通りに、政界引退の直接の理由、動機が家族問題であったことに疑いの余地はない。

ただし、これが引退の必要条件であったとしても、十分条件ではなかったことにも疑いの余地はない。やはり上述した失策、失政による評価の急落、しかも評価がもはや改善しない可能性が存在すること無しに、ベアードの早期引退宣言もなかったと言えよう。その意味で、グレイハウンド問題はベアードにはまさに痛恨の一打であった。

ベレジクリアン新州首相の政策路線と課題

ベレジクリアン新政権の政策の行方だが、結論から言えば大きな路線変更はないものと考えられる。このことは、何よりもベアード個人にとってベレジクリアンが、州首相後継の最右翼であったことからも明らかであろう。前任者としては、自分と政策路線が相当に異なる人物を、換言すれば、自分の路線や実績を否定しかねない人物を後継に推すはずはないからだ。

確かに、NSW自由党党首選挙の前に、ベアードがベレジクリアン支持を明確にしていたわけではない。ただ、ベアードが突然の引退表明の前に、密かにベレジクリアンと会い、ベレジクリアンだけには引退を知らせていたことからも明らかなように、ベアードの意向は周知の事実であった。また、ベアード政権は短期であったにもかかわらず、州財政の再建や州経済の浮揚、運輸インフラストラクチャーの整備などで大きな実績を上げてきたが、これらをベアードと二人三脚で実施してきたのは、他ならぬベレジクリアンである。

実際に、州首相就任直後のベレジクリアンは新政権の課題として、(1)好調な経済の維持、(2)インフラ整備の一層の推進、(3)持ち家促進、の3つを挙げるなど、ベアード政権と同様に経済成長路線やインフラ整備の重視を最優先することを明らかにしている。ただ、(2)に関して附言すれば、ベレジクリアンがとりわけ強調するインフラ整備とは、既に整備がスタートしているか、あるいは既に計画が具体化しているシドニーの大規模プロジェクトではなく、むしろ地方の道路整備といった規模の小さなもの、要するに「ローカル・インフラ」となっている。

一方、上記の(3)だが、依然としてシドニーの不動産市場は過熱気味であり、持ち家という豪州人の「ドリーム」も、同州の都市部に在住する多くの住民にとっては高根の花、まさに「ドリーム」となりつつある。そのため、NSW州政府には、同問題への対応が強く迫られているという事情がある。最後に、ベレジクリアンNSW州保守連合政権の当面の課題としては、主として以下の4点が挙げられよう。

まず第1に、州下院補欠選挙への対応、勝利である。現時点では、自由党保持の2選挙区と労働党保持の1選挙区の計3選挙区が対象となるが、そもそも任期中途に実施される補欠選挙、とりわけ与党議員の引退に伴う補選では、相当に大きな反与党スイングが発生することが多い。

敗北を喫した場合は、ベレジクリアンの権威がかなり毀損されることになろう。第2に、連邦レベルと同様に、与党国民党といかに良好な関係を構築するかである。オファレルならびにベアード政権の時代には、両党の関係はかなりスムーズで、その背景には、自由党の両リーダーと、過去3人の国民党リーダーとが、個人的にもかなり親密であったとの事情があった。ところが、昨年のオレンジ補選後に、NSW与党国民党のリーダーであったグラントは、補選敗北の責任を取ってリーダーを辞任し、後任にはバリラーロが「異議無し」で就任している。

ベレジクリアンとバリラーロは共に「新人」リーダーであり、従って両者の関係がいかなるものになるかは今後の展開次第だが、少なくとも、ベアードが辞任を表明した直後のバリラーロは、より独自路線を歩むことを示唆していた。

第3に、個人プロフィールと独自色の確立である。次期NSW州選挙は19年3月の下旬であり(注:NSWは4年間の固定任期制を採用)、したがってベレジクリアンには依然として2年間以上の猶予があることになる。これまでに、「目立つ」運輸相や財務相として大活躍してきただけに、ベレジクリアンのNSW内での知名度は相当高いと言える。

ただ、たとえ重要な所掌の大臣であったとはいえ、また同州自由党のナンバー2であったとはいえ、リーダーである州首相とは全くの別物であり、ベレジクリアンは早急にトップとしてのプロフィールを確立する必要がある。最後に第4点として、ベレジクリアンは労働党並みの弊害が指摘されている、NSW自由党の「派閥的体質」に留意する必要がある。周知の通り、労働党は「派閥政治」の政党で、労働党にはイデオロギーに基づく、しかも依然として結束力の強い派閥が存在し、これらが党の政策・意思決定過程で強い影響力を発揮する。

これに対して自由党の場合は、政策上のスタンスの観点から、各議員を幾つかの派に色分けはできるものの、これはあくまで分類に過ぎず、労働党のように各議員が明瞭に派の構成員となっているわけではない。ただ自由党でも、考えが似通った議員、仲良し議員が「徒党を組む」ことは当然ある。それが顕著で、しかもグループ間の権力闘争が激しいとされるのがNSW自由党であるのだ。

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