豪印2国間自由貿易協定交渉の現状

政局展望

豪印2国間自由貿易協定交渉の現状

ナオキ・マツモト・コンサルタンシー:松本直樹

4月中旬にターンブル首相が、高等教育関係者等を引き連れてインドを公式訪問し、3日間にわたり滞在している。モディ・インド首相との会談では、①豪印2国間自由貿易協定(FTA)交渉、②豪州資源・エネルギーの対印輸出問題、③インド人学生の豪州留学、などが主要アジェンダとなった模様である。またターンブルは、上記②に関連して、QLD州で大規模な炭鉱開発プロジェクトを計画している、インド人実業家のアダニとも会談している。以下、このうちの豪印FTAに関し概説してみよう。

アボット保守連合政権の実績

貿易分野における2大政党のスタンスを見てみると、まず保守連合、というよりも自由党は、早い時期から貿易自由化促進の「ビークル」としてのAPECには失望感を抱き、「マルチ」、すなわちWTOの自由貿易枠組みを一応基幹にするとはしつつも、労働党よりも「バイ」、要するに2国間交渉の重要性を強調してきた。画期的であったのは、第3次ハワード保守連合政権が公表した「2003年外交・貿易白書」の中に盛り込まれた、いわゆる「競争的貿易自由化」なるコンセプトであった。

これは、バイはマルチを補完するもの、あるいはマルチ交渉が成果を挙げられない場合に備えた保険、という従来の「バイ保険論」の姿勢から飛躍した、バイ追求のための積極的な理論武装であった。具体的には、マルチ、地域、バイ交渉を同時並行的に実施することは、いわば互いが「切磋琢磨」する結果となり、より高い自由化が達成できるとの論理を展開しつつ、ハワード保守政府はバイの意義を強調したのである。

13年9月に誕生したアボット保守政府も、「それまで滞っていたビジネスに邁進する」「豪州は(外国)ビジネスに門戸を開いている」とのスローガンを掲げつつ、政権の発足当初から、貿易分野で積極的な姿勢を見せてきた。そして首相に就任した直後の13年の10月に、アボットは当時ほぼ膠着(こうちゃく)状態に陥っていた3つの重要なFTA交渉、すなわち韓国、日本、中国とのFTA交渉を、1年以内に妥結させると豪語している。韓国はともかくとして、1年以内に日本と、いわんや中国とまで妥結するのはさすがに困難と予想する向きが多かったのだが、宣言通りに、アボット政府はちょうど1年ほどで、これら3目標を達成することに成功している。

この3カ国とのFTA締結が、わずか2年余りで崩壊したアボット政権の、代表的な実績であったのは間違いない。

豪印FTAと人材の交代

重要3カ国とのFTA締結に成功した保守連合政府が、その次の貿易目標としたのがインドとのFTA締結であった(注:ちなみに現在の豪中間貿易額は実に1,500億豪ドルにも達しているが、豪印2国間貿易額は190億豪ドル程度に過ぎない)。

4月10日、インドを訪問し、モディ首相と握手するターンブル豪首相(Photo: AFP)
4月10日、インドを訪問し、モディ首相と握手するターンブル豪首相(Photo: AFP)

当時は、早々とアボット政府が複数のFTAで実績を挙げた直後だっただけに、インドとのFTAに対しても、簡単とは予想されていなかったものの、かなり楽観して見る向きが多かったと言える。ところが豪印交渉はスタートしたものの、昨年の中ごろ以降、交渉は頓挫状況にある。

その背景には、上記3カ国とのFTA交渉で活躍した豪州のベテラン政治家や官僚が、数多く流出したとの事情があった。とりわけ豪州にとり大きなロスであったのは、最大の功労者であった自由党のロブ貿易・投資大臣が、政界から引退したことであった。それによって、豪州の交渉力は相当程度低下し、また豪印交渉の困難度も増したのである。

附言すれば、伝統的に運輸、農林水産、そして貿易といった、地方在住の第1次産業従事者層、すなわち、自由党と連立する国民党の支持基盤と密接に関係した閣僚ポストは、かつては国民党の「指定席」であった。その国民党はやや保護主義的なメンタリティーを持つことから、国民党議員が貿易相であった場合には、農業産品交渉等はより難航していた公算が高い。

実際には、伝統を覆して貿易相にロブが就任した結果、保守連合政府の貿易政策がより自由貿易志向となり、これが韓国と日本ばかりか、中国との間でもFTAが締結されるという、貿易交渉の大成功の要因となったのである(注:一方、豪中FTA交渉における、中国公的企業の対豪投資に対する厳格化決定は、当時の国民党副党首兼農水大臣であったジョイスの得点)。

ところがそのロブの引退や、貿易交渉に通暁した人材の「降板」によって、豪印FTA交渉は難航することとなった。

インドの農業保護問題

ただ、人材の交代という問題があったとはいえ、これまで豪印交渉を難航させてきた主因は、2つの貿易問題、大きな障害の存在であった。

1つはインドの農業部門が著しく閉鎖的との現況、強い保護状況下にあるとの問題である。中国と同様にインドは莫大な人口を抱えており、また中流階級層の急激な増加に伴い、大量の、多種多様な食糧の輸入が不可欠で、他方、豪州は農業・牧畜大国でもある。そのため、豪州としてはインドの農業市場への参入を強く期待しており、これが相当程度解放されることを望んでいる。

また、自由党のジュニア・パートナーである国民党は、上述したように、保護主義的メンタリティーを持つものの、逆に豪州が競争力を持つ産品については、相手国に大きな譲歩を要求する。そのため、同分野で両国政府は衝突しているのだ。

インド人労働者の雇用問題と労働党

豪印FTA交渉におけるもう1つの障害とは雇用問題、具体的には、インド側が強く要求するインド人の豪州労働市場への参入問題である。

実はターンブル保守政府にとり、国内政治上より問題、換言すれば、豪州のインドへの安易な妥協が大きな政治問題となりかねないのは、上述した農業問題よりも、この労働参入問題の方と言える。その理由は、同問題での譲歩に対しては、労働組合をバックにした野党労働党の強い抵抗が予想されるからだ。

また、上院でしばしば「バランス・オブ・パワー」を握る「その他」上院議員の多くが、大衆迎合的で、しかも極右政党のワンネーション党を筆頭にして、排外的なメンタリティーを持つとの事情もある。こういった国内政治問題化への懸念が、ターンブル政府の豪印交渉での姿勢を頑ななものにしているのだ。

そもそも貿易政策における労働党のスタンスとは、バイの枠組み、FTA交渉自体は認めるものの、ただ、外交分野において国連の意義を強調しているように、以前より最優先すべきはマルチのWTOで、次がAPECを通じた地域貿易枠組み、そしてバイは最下位というものである。しかも、地域貿易取り極めはWTOの取り極めに付加的価値を与えるべきもの、また2国間取り極めは、その地域間取り極めに付加的価値を与えるべきものと述べるなど、バイに関しては相当に高い要求水準、要件を設定してきた。例えば、ハワード保守政権時代に締結された豪米FTAについても、野党労働党は反対の立場であった。

こういった労働党のバイ軽視のスタンスも、さすがに政権党となってからは、WTOドーハ・ラウンドが遅々として進まないということもあって、やや軟化したが、労働党のマルチ重視の姿勢は明白であった。また労働党のバイへの冷ややかな姿勢は、同党が13年に下野し、しかも党首がショーテンとなると一挙に強まっている。

それを如実に示したのが、豪中FTAに対する野党労働党の「難癖」、すなわち、豪中FTAに対する野党の修正要求で、労働党は既に両国政府間で署名ずみであったにもかかわらず、保守政府に対して中国との再交渉を要求したのである。そして野党による豪中FTA修正要求の対象であったのは、関税問題や投資問題ではなく、雇用問題という、豪州労働者の職の安全保障問題に関するものであった。

ショーテン野党と「457査証」問題

ショーテン野党の主張とは、豪中FTAでは豪州のいわゆる「457査証」が骨抜きにされていることから、中国の投資による豪州国内の大プロジェクト等には、中国人技能労働者が大量に流入し、豪州技能労働者の職を奪うばかりか、賃金といった国内労働条件の低下にもつながるというものであった。

この457査証だが、豪州への入国者は永住者と一時滞在者とに二分できるが、後者の中で重視されてきたのが、一時滞在の就労査証である同査証である。この査証の有効期限は最高4年間で、国内では見つけることが困難な技能の持ち主に対し、有資格の豪州の雇用者がスポンサーとなった場合に発給される。

457査証の活用は即効性が高く、しかも技能労働者の国内需要に応じて短期かつ小まめに発給数を調整できるという、労働市場の「安全弁」としても極めて便利な制度である。一方、労働党と同様に、当然のことながら労働組合も、この457査証制度については一貫して相当に批判的である。むしろ正確には、労組が反対するから労働党も反対というのが実情と言えよう。

その理由として労組も、一時滞在の就労者の利用度が増すと、国内の労働者がないがしろにされて、外国人労働者が跋扈(ばっこ)するとの懸念を挙げている。ただ、最近の資源・エネルギー・ブームで同査証の発給が急増した背景には、国内労働者の多くが僻地での勤務を敬遠しているとの事情があった。

また労組は、457査証制度が一部の雇用者に対して、豪州の国内法などに疎い外国人労働者を搾取する機会を与えているとも批判していたが、そういった例は確かにあるものの、不正活用の件数は極めて少ないのが実情であった。むしろ、労組が強く反対する真の理由は、外国人労働者の労組加入率が低いためとされる。

いずれにせよ、労組側は豪中FTA問題の以前から、例えばギラード労働党政権時代にも、457査証の活用制限、制度の厳格化をギラード政府に要求していたのだが、労組にとっては幸いなことに、ギラードの党内支持基盤は大労組に強く依存するものであった。そのためギラードは、党内支持基盤を脆弱化させないためにも、労組幹部の要求を受入れて、雇用者が同査証制度を悪用しているケースが目立つと述べつつ、制度の厳格化を公表したという経緯がある。

またギラード政府の厳格化策は、ギラードの個人的な動機に加えて、選挙上の思惑、動機から採用されたものでもあった。すなわち、連邦選挙では最大州のNSW州、とりわけシドニー西部居住の労働党の伝統的支持層を維持できるか、あるいは再確保できるかが重要であったが、同地域の住民には密入国ボート・ピープルにかなり冷淡な者が多いことから、外国人労働者を制限する457査証の厳格化は歓迎される、とギラード政府は判断したのである。

実際にギラードは、シドニー西部居住の支持層を念頭に置いた上で、「(就労の)列の先頭に立つ外国人労働者を最後尾に回し、国内労働者を先頭に立てる」といった、極めて排外的、扇情的なセリフを口にしつつ、同査証制度の変更の必要性を強く訴えていた。

実は豪中FTA問題でのショーテン野党労働党の主張も、以上のギラードのエピソードを彷彿とさせるもので、違いは単に、かつて穏健左派であったギラードが457査証制度の変更を通じて懐柔しようとした相手が、右派の豪州労働者組合(AWU)であったことに対して、AWU全国書記長を経て政界入りしたショーテンがおもねる主要な相手は、好戦的な左派系の建設・森林・鉱業・エネルギー組合(CFMEU)という点にあった。

そしてショーテンによるCFMEU懐柔の背景には、重要な労働党全国党大会において、労働党左派の多くが反対する政策、とりわけボート・ピープル船の「追い返し」策が、ショーテンの希望通りにオプションとして採択されたのも、CFMEU代議員や同労組の影響力のお陰であったとの事情がある。労組の豪中FTAに関する主張は事実に反するものであるし、少なくとも労組の利益のみに集中した、換言すれば、豪中FTAが豪州にもたらす甚大な経済的利益、国益を無視した、それどころか国益に反するものであった。

ただ、たとえ再度批判に晒されることになろうとも、ショーテン労働党が今後も同様な姿勢を採ることはほぼ確実で、しかも上述したように、豪印FTAの最大の障害の1つも、正にこの労働査証問題であるのだ。そのため、豪印交渉でも同問題に関して、ターンブル保守政府には野党労働党や「その他」上院議員の反発を惹起するような、大きな妥協をするという選択肢は無いと言える。

実際に訪印中のターンブルは、「豪州人が出来る仕事は豪州人がすべき」云々と、明確に宣言している。それどころか、保守政府は現行の457査証制度を廃止して、より厳格化した一時就労査証制度を創設することを公表しているほどである。

以上の点から、豪印FTA交渉は今後も難航することが予想される。

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