ボート・ピープル問題と次期連邦選挙

ボート・ピープル問題と次期連邦選挙

ナオキ・マツモト・コンサルタンシー:松本直樹

2月12日、モリソン保守連合政府の反対する修正内容を含んだ移民法の改正法案、すなわち、ボート・ピープル政策のソフト化を目論んだ改正法案が下院で採決に附され(注:その主旨は、現在PNGのマヌス島やナウルの外地難民収容施設に抑留されているボート・ピープルの、豪州本土での治療を容易にするというもの)、同修正内容を盛り込んだ野党労働党、グリーンズ党、そして「その他」議員たちの連携、支持によって可決されている。法案が政府の意に反して下院で可決されたのは、実に約80年ぶりのことで、今回の一件は、モリソン政府の抱える脆弱性を改めて浮き彫りにしたばかりか、政府の面子を丸潰れにする大きな汚点ともなった。しかしながら、ショーテン野党労働党による「慈愛」重視の改正の動きは、5月中旬までには実施される次期連邦選挙において、野党の統治能力への懸念要因、逆に支持率が低迷しているモリソン政府への浮揚要因となり得るものである。

ボート・ピープル問題の経緯

時期連邦選挙戦に臨むスコット・モリソン首相(左)と野党労働党のビル・ショーテン党首
時期連邦選挙戦に臨むスコット・モリソン首相(左)と野党労働党のビル・ショーテン党首

2007年11月の選挙では、ハワード長期保守連合政権にも終止符が打たれ、ラッド率いる労働党政権が誕生している。野党党首時代からラッドは、ハワード保守政府のボート・ピープル政策を、悲惨な状況にある人びとの人権を蔑(ないがし)ろにした過酷な政策、とモラル面から強く批判していたが、ラッドは08年8月に、国境保全と人権とのバランスを取り直すとして、労働党政府の新たなボート・ピープル政策を公表している。

具体的には、ハワード保守政府が難民政策の中核として採用した「パシフィック・ソリューション」、すなわち難民認定外地審査制度を廃止すると共に、ボート・ピープルの永住権取得の道を基本的に閉ざす暫定保護査証(TPV)も廃止するといった、ハワード政府に比べて極めて寛大な、人権重視のボート・ピープル政策であった。その背景には、海路豪州への不法入国を企てるボート・ピープルの数が、著しく減少していたとの当時の状況があった。ところが案の定、ラッド政府の政策変更によって、密入国斡旋業者やボート・ピープル予備軍の間に、「豪州は甘い」とのパーセプションが醸成され、その後、豪州を目指すボート・ピープルの数は激増することとなった。

当時の労働党政府は、不法入国を企てる難民の増加は世界的な趨勢(すうせい)であるとして、いわゆる「プッシュ要因」を強調していたが、ラッド政府の政策緩和こそが豪州不法入国者数の増加をもたらしたこと、すなわち、主因はむしろ「プル要因」であったのは間違いない。いずれにせよ、「金を支払って難民申請の列を不当に飛び越えた」ボート・ピープルにはかなり冷淡な世論もあって、ラッド政府は苦境に陥ったのである。

そのため、10年6月の「ラッド降ろしクーデター」で首相の座に就いたギラードも、早々に対応を迫られ、紆余曲折はあったものの、それまで辛らつに批判してきたハワード保守政府の「パシフィック・ソリューション」を採用するという、厚顔無恥な政策転換を行っている。

一方、連邦選挙を間近に控えた13年6月、ラッドが首相の座に返り咲くという、一大政変が発生したが、ラッドは炭素税やボート・ピープルなど、労働党政府を苦境に陥れてきた政治問題を何とか「中和」するため、次々に各種政策の転換を行っている。そしてラッドが7月に公表した、ボート・ピープル政策の転換が、「PNG/ナウル・ソリューション」であった。同政策は、ギラードの路線を更に大きく「右傾化」したもので、タフとされてきた保守連合よりもタフなものであった。

というのも、「パシフィック・ソリューション」でも、最終的には豪州に定住するボート・ピープルが多かったのに対して、ラッドの「PNG/ナウル・ソリューション」では、同施策の公表後に豪州に到着するボート・ピープルから、将来豪州に定住する可能性を完全に奪い去っていたからだ。ところが、新政策の公表から連邦選挙まで2カ月未満であったとはいえ、「PNG/ナウル・ソリューション」の効果も薄く、13年8月には、08年8月の労働党政府の政策転換以降、豪州に到着したボート・ピープル船数は800隻、そしてボート・ピープル数は実に5万人の大台に乗っている。しかも、航行中に事故で亡くなったボート・ピープルの数は、判明しているだけでも1,200人に上る。

さて13年9月の連邦選挙では、予想通りアボット保守連合が圧倒的勝利を収めたが、新政権の重要選挙公約の1つは、「ボート・ピープルの到着をストップさせる」というものであった。その保守連合の政策は、依然としてハワード政権の「パシフィック・ソリューション」であった。ただ、広義の「パシフィック・ソリューション」は、実は外地難民審査の他にも2本の柱、すなわち合計で3本の柱から構成されていた。

他の2本とは、永住査証への切り替えがほぼ不可能な暫定保護査証(TPV)の導入と、状況が許す限りボート・ピープル船を「追い返す」、というものであった。そしてアボット保守政権が誕生して早くも数カ月後には、豪州に到着するボート・ピープルの数は激減し、それどころか、13年の12月中旬以降、到着数はほぼゼロとなっている。

これは新政権が、効果のあるボート・ピープル船の「追い返し」を積極的に実施してきたことにもよるが、やはり2大政党では、政策の「信頼性」に大きな差があるためと考えられた。というのも、ラッドが「PNG/ナウル・ソリューション」という、極めてタフな政策を採用したことから、2大政党の政策上の差異はますます小さなものとなっていたからだ。

ところがラッドの政策も、わずかに効果はあったものの、13年9月の連邦選挙までに目に見える効果を現すまでには至らなかった。一方、政権が交代するやいなや、ボート・

ピープルの流入数は目に見える勢いで低下している。超党派的な政策、ほぼ類似した政策であるにもかかわらず、抑止効果が大きく異なった最大の理由は、「保守連合は労働党に比べて遥かにタフ」とのパーセプションが、密入国斡旋業者の間ではもちろんのこと、ボート・ピープル予備軍の間にも醸成されていたからに他ならない。

労働党のソフト化路線

2013年に保守連合政権が誕生して以降、ボート・ピープル問題は沈静化し、また「過去から学んだ」ショーテン率いる野党労働党も、これまで同問題では「タフ路線」を踏襲してきた。確かにショーテン野党は、以前より暫定保護査証(TPV)については廃止するとしてきたが、外地難民審査制度の保持はもちろんのこと、ボート・ピープル船の「追い返し」策についても、引き続き採用するとしてきたのである。

ところが労働党は、ここにきて路線転換を図っている。ショーテン労働党が、この時期にボート・ピープル政策でソフト化路線を採択した背景、動機としては、第1に、同問題に関する労働党内の分裂が、指導部に何らかの変更を迫るほど、かなり大きなものであったことが指摘できる。

ボート・ピープル問題に関して、野党内で物議を醸し続けてきたのは「追い返し」政策をめぐるものであったが、最近の党内の対立点とは、人権擁護の観点から左派が懸念する、外地難民収容施設に抑留されたままのボート・ピープルの健康問題や、子どもたちに与えるインパクト問題である。人権グループによる活発な啓蒙運動、それを支援する左派系メディアなどの存在によって、同問題には多くの国民も注目しており、その結果、人権問題に敏感な労働党内の左派を中心にして、党のボート・ピープル政策を「ソフト化」すべきとの声も強まりつつあった。第2の動機、背景は、ボート・ピープル問題に対する世論の見方、世論の流れが、大きく変化しつつある、との指導部の判断であった。具体的には、ボート・ピープルに同情心を抱く人びとが増加しつつある、との指導部の認識である。

第3に、ソフト化は次期選挙対策、具体的には、大都市の選挙区で労働党のライバルとなりつつある、極左のグリーンズ党に対抗するためでもあった。

最後に、労働党の政策変更の第4の背景、動機は、ショーテン指導部としても、「モリソン政府に大恥をかかす」絶好の機会を、みすみす見逃すような真似はできなかったことが挙げられよう。政権党が決定される下院での敗北は、政府は議会をコントロールしていない、従って政府は信任されていないと見られかねない一大事件で、グリーンズ党や「その他」議員と共謀して、それを「演出」した野党労働党は、確かに大きな政治的得点を上げたと言える。

ボート・ピープル問題の重要争点化

ショーテン野党労働党のボート・ピープル政策の変更には、以上述べてきたような、一見するともっともな理由や動機があった。しかしながら、今回の労働党の政策上の変節は、労働党にとり危険性をはらんだものと言わざるを得ない。まず指摘すべきは、上述したショーテン指導部の現状認識、すなわち、国内世論はボート・ピープルに同情的になりつつある、との現状認識が誤っている、あるいは事実の一面に過ぎず、実のところ政策変更は、選挙上野党にマイナスとなる恐れが十分にあることだ。

もちろん、悲惨な状況にある抑留者については、実際に同情する向きも決して少なくはない。ただし、一部の国民のボート・ピープルに対する惻隠(そくいん)の情は「余裕の裏返し」、あるいは「好状況ゆえのもの」に過ぎない。要するに、同情心の背景には、最近では国境は保全され、豪州に密入国を企てる、あるいは密入国に成功したボート・ピープルがほぼ皆無との状況があるのだ。確かに、豪州国民は寛大で、親切な国民ではある。ただ、同時に「フェア」という言葉を重視する国民でもあり、やはり「金を払って不当に列を越えた」人びとには、依然として相当に冷淡と言える。そういった中、今回野党勢力の共謀によって実現し、政府が強いられた政策変更は、間違いなく密入国斡旋業者や、インドネシアの漁村などで、現在でも豪州行きの機会を狙っているボート・ピープル予備軍の、行動開始インセンティブを刺激するものである。

そのため、仮に次期連邦選挙でショーテン労働党政権が誕生した場合、ボート・ピープルが再度激増すると予想する向きは多いし、また、実際にその通りになるものと予想される。それどころか、約3カ月後には労働党政権が誕生している公算が高いと見られていることに鑑み、ごく近い将来にも密入国活動が再開される可能性がある。いずれにせよ、今回の政治事件を契機に、2013年選挙以降では初めて、ボート・ピープル問題が一挙に次期連邦選挙の重要争点に躍り出たと言えよう。

来る連邦選挙でモリソンが、このボート・ピープル問題を積極的に取り上げて、徹底的な対ショーテン労働党スケアー・キャンペーンを展開することは確実である。そして経済分野と同様に、国境保全といった安全保障分野でも、一貫して保守連合への評価が労働党への評価に勝っていること、何よりもボート・ピープル問題での保守連合政権のこれまでの実績、それとは対照的な労働党政権の負の遺産、加えてショーテン野党の今回の「腰砕け」などに鑑(かんが)み、与党の展開するスケアー・キャンペーンは相当な効果を上げることが予想される。依然として、次期選挙では野党労働党が勝利する公算が高いとは言えるものの、選挙を3カ月後に控えた重要な時期に、モリソン政府はモーメンタムを高める上で極めてありがたいプレゼントを、他でもないショーテン野党労働党から贈られたと言えよう。

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