下院議長の交代劇と
ウィルキー下院議員の離反
ナオキ・マツモト・コンサルタンシー:松本直樹
昨年の11月に自由党のスリッパー下院議員をリクルートし、下院議長に据えて政権の安 定化に成功したギラード労働党政権だが、年が明けるとポーカー賭博の規制問題で無所属 のウィルキー下院議員と衝突。結局、ウィルキーは労働党政権への支持を撤回し、そのた め労働党政権の基盤は再度脆弱化することとなった。
スリッパー下院議長の誕生
労働党政府の鉱物資源利用税(MRRT) 導入法案が連邦下院で可決された翌日、 そして昨年の下院開催最終日であった11 月24日に、連邦政界で大きな政変劇が発 生している。それは、2007年末のラッド 労働党政権誕生の直後に下院議長に就任 した労働党のジェンキンスが、突然議長 ポストから辞任して陣笠議員になること を宣言し、しかもその後任としてギラー ド政府が、野党の自由国民党(注1)議員であ るスリッパーを任命したことであった。
そしてスリッパーは第27代目の議長就 任と同時に自由国民党から離党し、労働 党支持の無所属議員になることを明らか にしている。そもそも英国型の議員内閣 制を採用する豪州では、伝統的あるいは 議会慣行上、下院議長には与党議員が就 任する。その意味で今回の政変劇、交代 劇は極めて異例なものであった。
(注1)08年にQLD州国民党と自由党が合併してできた政党で 同州だけに存在。ただ同州選出の連邦議員は出身党の国民党、 もしくは自由党に所属する。
下院議長交代の意味合い
この政変劇の意味合い、影響だが、まず下院議長の交代によって、ギラード政権 の地盤が強化されることになった。すなわ ち、定数150の下院の交代劇前の政党勢力 分布は、与党労働党と野党保守連合が72議 席ずつで並び、残りの6人がいわゆる「ク ロス・ベンチャー」、あるいは非2大政党系 議員であった。そして労働党はこれら6人 の内、グリーンズのバント、保守系無所属 のオークショットとウィンザー、そして左 派系無所属のウィルキーの4人の支持を得 て、合計76というぎりぎりの過半数を確保 し、辛うじて政権を維持してきた。
ただし、4議員が保証してきたのは政権 維持のための2要件、すなわち政府への不 信任決議案に反対することと、本予算案 には反対しないことの2点のみである。換 言すれば、政府が上程するさまざまな一 般法案については、上記4議員はケース・ バイ・ケースで対応してきた。
一方、野党陣営は、豪州党のカッター とWA州国民党所属のクルックを加えた合 計74となっていた。この「与党陣営76対 野党陣営74」という勢力バランスは、議 長交代劇によって「与党陣営77対野党陣 営73」へと変化している。というのも、 労働党が72+4+スリッパーとなったのに 対し、野党側は72−スリッパー+2となったからだ。重要な点は、与党議席数は72 で変化はないものの、野党保守連合の議 席数が71となった結果、わずか1議席とは いえ、労働党議席数が保守連合議席数を 陵駕したことだ。
これは労働党政権の「正統性」 (Legitimacy)を高めるものにほかならな い。また、より現実的で重要な問題とし て、わずかながらではあるものの、労働党 の「余裕」「バッファ」が増えたことをも 意味する。要するに、以前のぎりぎりの状 況では、例えば労働党議員の1人が任期中途 で政界から引退し、それに伴う下院補欠選 挙で与党が敗北を喫した場合には、労働党 政権はほぼ即座に崩壊する恐れがあった。
ギラード指導部がとりわけ懸念するの は、労働組合幹部時代の汚職疑惑の渦中 にあるトムソン下院議員に、1年以上の禁 固刑を伴う有罪判決が下り、トムソンの 議員資格が剥奪されることだ。そうなれ ば、その後に実施される下院補欠選挙で の労働党の敗北は必至となる。
ところが下院議長の交代劇後には、労 働党は1議員を失っても、何とか政権を維 持できることになる。また政変劇によっ て、今後は各種政府法案の下院での可決 がより容易となる。
ここで細かな数字を見ていくと、交代劇 前の下院の政党別投票バランスは、与党労
働党側が72−ジェンキンスの71票で 、 一方、野党保守連合は実議席数と同様の72 票であった。そのため政府としては、野 党が反対する法案を可決させるためには、 「クロス・ベンチャー」6人の内の最低4人 の支持を確保する必要があった(注3)。
(注2)下院議長は一般採決での投票権はなく、ただ可否同数 となった場合の「キャンスティング・ボート」権を握っている のみである。 (注3)残り2人が野党側についても、与党陣営票が75に対して 野党陣営票は74となり、法案は可決される。
ところが交代劇後には、与党労働党はジェンキンスが加わって72となり、一方、野党保守連合側はスリッパーが抜けて71となることから、野党が政府法案に反対しても、政府法案は「クロス・ベンチャー」6人の内の(注4)最低3人の支持を確保すればいいこととなる(注5)。確かに、たった1人の違いであるとはいえ、この変化は政府にとって大きい。
(注4)新たに無所属となったスリッパー議長には、一般投票 権はもちろんない。 (注5)ほかの3人が反対に回っても、与党陣営票が75に対して 野党陣営票は74となり、法案は可決される。
ただし「クロス・ベンチャー」の中で も、グリーンズはやや別格で、最近の労 働党政府はグリーンズからやや距離を置 こうとしているものの、グリーンズの影 響力については政変後にもあまり変化は ないと言える。というのもグリーンズ は、上院では単独で「バランス・オブ・パ ワー」を握っているからだ。
ところで議長の交代劇は、アボット野党 代表の面子を潰すものであった。というの も、これまでもスリッパーの党への忠誠心 が問題視されていたにもかかわらず、今回 労働党政府とスリッパーにまんまとしてや られたことは、アボットの指導力に疑問符 をつけるものであったからだ。また重要な 点として、交代劇直後には早期選挙の可能性は遠のいたと見られ、そのためアボット 野党指導部は戦略の転換を余儀なくされる ものと考えられた。
アボットの戦略とは、世論調査で与党 を圧倒している間に選挙に持ち込むこと で、そのためアボットは「ネガティブ一 辺倒」、政府攻撃に徹する、あるいは政 府重要法案にことごとく反対して、選挙 をせざるを得ない状況に政府を追い込む ことを目論んでいた。
ところがアボットの近視眼的で、また 党の政治哲学、原理・原則を無視したあま りに「政治的な」姿勢は、党内の一部から も批判を招いていた。今回の交代劇によっ て、ポジティブ・メッセージの発信、政治 ではなく政策を重視すべき、との声が野党 内で高まるものと予想されたのだ。
また、これまでは早期選挙に備えた臨 戦態勢を敷いていただけに、野党内の規 律、求心力を十分に保つことが可能で あった。ところが臨戦態勢が最早不要、 あるいは的外れとなれば、これまで押さ えられていた党内の不満の声が外部にも 漏れるなど、党内規律が弛緩する事態も 考えられたのである。
他方、確かに今回の政変劇がギラード労 働党に対し多くのポジティブ効果をもたら すものであったのは否定できないが、同時 に交代劇は国民の反発を惹起する危険性を はらんだものでもあった。その理由は、国 民の多くがギラード対して、政権維持のた めにはなり振り構わず何でもする、との印 象を抱く恐れがあったからだ。
今回の交代劇に関し、ジェンキンスが 「自ら進んで」議長職を辞任したとの話を 信じる向きは少なく、またジェンキンスが 人柄も良く、下院議長として野党側からも 高く評価されていたこと、一方、ギラード 政府がその後任にとかくの噂のある、しか も野党側の議員を任命したことは、なおさら一部国民の政府への反発、ギラードへの 反発を惹起する危険性があった。
とかくの噂とは、長年にわたってス リッパーが、例えば公費での贅沢な海外 視察や、莫大な額の旅費や通信費を使っ てきたことで、その中には不正使用と見 なされるものが多々含まれると言われ る。いずれにせよ、スリッパーを裏切り 者と見なす野党が、今後さまざまなス キャンダル疑惑をメディアに流し、ス リッパー個人への中傷キャンペーンを展 開するのは間違いなく、深刻な不正行為 が発覚した場合はもちろんのこと、たと えスリッパーの倫理面からの問題が白日 の下にさらされた場合にも、スリッパー をリクルートしたギラード政府への批判 が高まるものと予想される。
ウィルキー議員の支持撤回宣言
ところが、スリッパーのリクルートに よってもたらされた労働党政権の安定化 も、わずか2カ月ほど継続しただけに終 わった。その理由は、1月21日にTAS州選 出の左派系無所属議員であるウィルキー が、昨年の9月にギラード首相とウィル キーとの間で交わされた覚書の内容に、 ギラードが違反したことを理由に、ギ ラード政府への保証を撤回する、具体的 には、政府不信任決議案には与くみしない、 そして本予算案を支持する、との2点の保 証を撤回することを宣言したからだ。
計20カ条からなる覚書の中で、ウィル キーが労働党政権を支持することの見返 りに要求した最大の条件とは、社会問題 となっているポーカー賭博の全国規制法 案を、今年の5月8日に公表される来年度 連邦予算案の公表前に成立させ、その規 制措置を2014年7月から施行させるとい うものであった。
ただ労働党政府にとって問題なのは、 ポーカー賭博マシンを置いている各地の 遊興クラブが、同マシンからの収入に相 当に依存していること、またNSW州や QLD州政府をはじめとする州政府が、ク ラブからの税収に相当依存しているこ と、そして遊興クラブが各地のスポーツ 活動や慈善活動などを財政的に支援して いるばかりか、低所得層、ブルー・カラー 層に憩いの場、低廉な飲食、遊興の機会 を提供していることであった。そのため 規制策の実施によるクラブ財政の悪化 は、広範囲に影響を及ぼすことになる。
労働党にとってとりわけ深刻なのは、 クラブ利用者の多くが伝統的な労働党の 支持層である点で、そのため規制策の実 施は選挙での労働党離れとなって顕れる 公算が高いことだ。クラブ業界も、激戦 区の労働党議員を標的にした個別キャン ペーンを実施すると恫喝しており、業界 の資金力の強さに鑑み、こういったキャ ンペーンは次期連邦選挙結果に重大な影 響を与える可能性がある。
以上の事情から、ギラードもウィル キーに対し、取り敢えずACTで2013年の 2月ごろよりウィルキー案のトライアルを 行い、その効果を精査、分析した上で、 効果ありと判断されれば、2016年ごろよ り本格的な全国規制を施行するとの、ソ フト化した代替案を提示している。とこ ろがウィルキーは、公約違反として政権 への支持を撤回した次第である。
ただギラードが指摘している通り、現 実の問題としてウィルキー案に基づく法 案が、下院を通過できない可能性はかな り高かったことから、ギラードの提案も 無理からぬものであった。
さて今回の一件の政治的意味合いだが、 確かにギラード政府としても、せっかく改 善した下院の状況が再度悪化し、これでスリッパー取り込みによる「余裕」もご破算 となったことは痛い。ただし、ウィルキー が政府不信任決議案を必ず支持する、ある いは本予算案に必ず反対すると主張してい るわけではないし、また労働党政府が、依 然として合計7人の非2大政党系議員の内、 スリッパーを除く6人の内の3人の支持を獲 得できれば、下院上程法案を可決できると いう状況にも変化はない。
一方、今回の決定で、ギラードのクレ ディビリティーが一層のダメージを被った ことは否定できない。何と言ってもギラー ドには、炭素税導入問題での公約反故とい う大きな「前科」がある。その「大罪」に 加えて、ギラードはウィルキーとの約束も 反故にしたわけで、これによって、「ギ ラードは信頼できない」「権力維持のため には何でもやる」、あるいは「ギラードは 嘘つき」といったパーセプションが一挙に 強まる恐れがあるし、また少なくともア ボット野党保守連合が、こういった内容の スローガンを、次期選挙の実施日まで執拗 かつ熱心に繰り返すことは間違いない。
