「アジア白書」の公表

政局展望

「アジア白書」の公表

ナオキ・マツモト・コンサルタンシー:松本直樹

 

10月28日、ギラード首相がシドニーのローウィー研究所で演説するとともに(注:豪州財界人のローウィーが設立したシンクタンク。歴史は浅いが、とりわけ国際関係分野では豪州でもトップクラスのシンクタンクである)、政府の「アジア白書」(Australia in the Asian Century)を公表している。

 

アジア白書の内容

 国防白書や外交白書など、豪州で白書と言った場合には、日本の年次報告書ではなく、長期的な戦略、ドクトリンを論じた文書を指す。労働党政府が公表したアジア白書も同様で、同白書は向こう数十年の外交や経済・貿易戦略を包括した(注:安全保障戦略の詳細は、来年に公表される国防白書で明らかにされる予定。なお、2007年からスタートした労働党政権は、ラッドが首相であった時代の09年5月に、既に国防白書を公表している)、豪州のグランド・ストラテジーと位置付けられるものである。

同白書は全9章、合計で300数十ページからなる大部のものだが、まず白書は、21世紀は「アジアの世紀」であると宣言している。

白書によれば、わずか数年以内に同地域は財やサービスの最大の生産地となるばかりか、莫大な数の中流層の登場によって、財やサービスの最大の消費地にもなるとのことで、こういった中、過去には「距離の暴虐」に苦しめられてきた、あるいは「距離のハンディキャップ」を背負わされてきた豪州の地理的特性が、今後は豪州の最大の長所となり、また豪州に永続的な繁栄をもたらすものになると主張している。

ただ白書は、豪州には農業大国、資源・エネルギー大国という天然の有利さはあるものの、「アジアの世紀」のもたらす利益を最大限享受するためには、自然の恵みに安住するのではなく、政府、産業界、労働組合、広範なコミュニティー全体が、より「アジアに得意な国づくり、社会作り」(Asia-literate/Asia-capable Nation)に向けて、鋭意努力することが肝要と主張しつつ、そのための「工程表」(Roadmap)を提示することが白書の目的であると規定している。


連邦政府が発表した白書「AUSTRALIA IN THE ASIAN CENTURY」

そして白書は、「アジアの世紀」で豪州が十分な成功を収めるためには、(1)例えば生産性の向上といった、豪州の国力全体、社会全体の強化、(2)アジアの言語や文化を理解する人的資源の育成、(3)競争力、創造性を具えた産業/ビジネスの振興、(4)地域の平和の維持、そして(5)周辺諸国との「草の根」レベルでの交流促進、などが不可欠であるとした上で、豪州が2025年までに追求、達成すべき、合計25の国家目標を掲げている。

主要な国家目標としては、①1人当たりGDPで世界ランクのトップ10位以内(注:現在は13位)、②初等・中等学校生徒の学力水準で世界の5位以内、③豪州10大学が世界の100位以内、④イノベーションで世界の10位以内、⑤上位100位以内の上場企業ならびに政府系機関の役員/上級幹部の3分の1が、アジアに関する十分な経験、知識を有すること、などが挙げられている。

なお、アジア白書は、豪州にとってとりわけ重要なアジア諸国として、中国、日本、インド、インドネシア、そして韓国を挙げている。

アジア白書の位置付け

今回のアジア白書の策定動機、特徴、意味合いとしては、主として以下の3点が指摘できる。

第1に、白書はギラードの自己宣伝を主目的に策定されたものである。言うまでもなく宣伝の内容とは、ギラードがビジョンを具えた、未来志向のリーダーであることを訴えることにある。

ギラードはラッドと比較されることが多いが、両者には共通するマイナスの特徴も多い。例えば、思い付きで重要な政治決定を行う点や、調子に乗って高い目標を掲げた後に、結局は達成できずに恥をかく、政策の執行が極めて稚拙、あるいは誰を、何を代表しているのか、換言すれば、拠って立つ信条、思想が不明瞭(注:ラッドは頻繁に変節するので「カメレオン」と揶揄された)、などといった特徴である。

一方、政治リーダーとしての両者の相違点は、ラッドがビジョン好き、「ビッグ・ピクチャー」好きであるのに対して、ギラードはそうではないという点だ。ラッドが首相に就任して真っ先に行ったことが、京都議定書への批准手続きの開始で、またその数カ月後にいわゆる「略奪された世代」(Stolen Generation)問題に関し、連邦議会で先住民層に公式謝罪を行ったことは、キーティング元首相と同様にラッドが、「ビッグ・ピクチャー」好きであることを強く印象づけるものであった。

この点におけるラッドとギラードの違いは、前者が目立ちたがり屋で自信過剰であること、外交官出身であることから国際舞台での活躍を切望していたこと、他方で、後者が「実務家タイプ」であることにも起因するものである。

「ビッグ・ピクチャー」の過度の重視は、日々の生活問題が最大の関心事である庶民の反発を惹起する恐れがあるものの、やはり実務家一辺倒だけでは一国の宰相としての器が疑われることとなる。今回のアジア白書は、これまでビジョンがないと批判されてきたギラードが、汚名挽回のために作り上げた政治宣伝文書とも見なせよう。

またギラードの対抗相手のアボット野党保守連合代表が、ビジョンどころか政策すら提示しておらず、そのことに対する批判の声が高まりつつあることから、ギラードのビジョンの提示は、アボットとの「差別化」の観点からも有益なものである。

第2に、アジア白書は、労働党全体の政策を括くくる「標語/説話」(Narrative)作りのためのものでもある。換言すれば、白書は既に策定、執行中の労働党政府の既存政策、あるいは政府が策定する予定の各種政策を、白書内で提示した合計25の国家目標を達成するための「ビークル」と位置付けることによって、個別政策の意義、価値を高めるとともに、それらの政策をアジア最重視というナラティブで総括、括ることを通じ、各種政策に首尾一貫性、戦略性、説得性を付与するためのものと言える。

例えばギラード政府は、ゴンスキー諮問委員会の答申書に基づき、初等・中等教育への大規模な梃てこ入れを計画しているが、ゴンスキー答申書で提言された学力水準の達成目標を、白書の中にも取り入れている。当然のことながら、単に教育助成を増やすというよりも、これをアジア最重視というグランド・ストラテジー、ナラティブで括った方が、政策の説得力もはるかに強くなる。

また政府は、とかくの批判に晒されてきた全国ブロードバンド・ネットワーク(NBN)整備計画を、対アジア戦略追求の重要「ビークル」と位置付けることによって、NBN自体の意義を高めようとしている。

第3に、やや穿うがった見方ではあるものの、また政府が白書策定を決定した時点で意図していたとは思えないものの、アジア白書は労働党政府の釈明の理由、具体的には、今年度にアンダーライング現金ベースでの財政収支を黒字化することに失敗した理由として、今後政府に活用される可能性もある。

周知の通り、10年の5月に公表された連邦予算案以降、今年度の黒字転換は、政府、とりわけスワン財務大臣が繰り返してきた重要公約である。ところが、10月下旬に年央経済・財政概況報告書(MYEFO)が公表されてからは、つい数カ月前までは自信満々であった政府の姿勢も腰砕けとなり、実際にその後の議会では、ギラードもスワンも黒字化達成を確約せよとの度重なる野党からの質問を、ノラリクラリとかわすまでになっている。

これはさすがに政府も、今年度の黒字化達成はもはや不可能との確信を抱いたことを示すものと言えよう。

ただし政府にとって大きな問題であるのは、この公約が3年以上にわたる政府の重要公約で、また国民の多くは財政問題を与党の経済運営能力を判断する好材料と捉えていること、しかも選挙で有権者の投票行動を決定する重要要因が、正に経済運営能力への有権者の判断であるという事実だ。

そのため政府が黒字化達成に失敗した場合には、たとえその信憑性が低くとも、何らかの釈明、理屈付けが是が非でも必要となる。つい先日スワンは、経済の先行きに不透明感があることを指摘しつつ、経済が失速気味となった場合には、財政出動策を発動することに吝やぶさかではないなどと、既に「予防線」を張っていた。

これに加えて政府が、白書の国家目標を引き合いに出しつつ、各種政策への歳出の増加を図って、黒字転換への失敗を正当化する、あるいは誤魔化すことも十分に予想される。

アジア白書への批判

最後に、アジア白書の欠陥、批判点を指摘すると、その主要内容としては、(1)基本的には、ホーク/キーティング労働党政権時代に十分に主張、議論された内容に過ぎない、要するに二番煎じ的なもの、(2)描くシナリオが「薔薇色的」でリスクを無視しており、また内容も単なる「ウィッシュ・リスト」に過ぎない、(3)安全保障問題は来年の国防白書で扱うとは言っても、安保問題の詳細な議論、分析、あるいは米国の動き、政策の分析なしに、アジア白書をまとめることにはあまり意味がない、(4)25の国家達成目標を掲げているものの、それをいかに達成するか、すなわち「工程表」の提示がない、(5)国家目標と労働党の政策が矛盾している、(6)いつも通り独断専行での決定、そして(7)労働組合への遠慮があり、重要な課題が無視されている、などが挙げられよう。

この内の(4)だが、政府は、アジア白書は成功への「工程表」を提示するものと述べており、実際に白書では25の国家目標ごとに、目標達成の「小道/道程」(Pathways)なる説明、記述もある。ただその内容は、「工程表」と呼称するにはあまりに抽象的で曖昧、あるいは、これも目標的なものに過ぎず、予算の裏づけや期間的スケジュールが明記されているわけでもない。

これまでラッド/ギラード労働党政権は、政策の執行があまりにずさんとの悪評を受けてきた。そのため白書では、なおさらのこと分かりやすい「工程表」の提示が不可欠であったと言えよう。

次に(6)だが、白書の提示した25の国家目標は極めて広範囲の分野にわたっており、したがって目標達成には州等政府の関与、協力が不可欠となる。ところが白書の策定においては、白書を直接まとめた委員会も連邦政府も、州等政府との調整、相談を行っていないとされる。もちろん、州等政府との合意を必要とする文書ではない。ただ、「ステイク・ホールダー」の助言すら受けずに単独的に策定されたことは、白書の内容がそのまま執行される可能性を低めるもので、ひいては白書のクレディビリティーを損なうものと言えよう。

最後に(7)だが、白書は、豪州が「アジアの世紀」の利益を最大限に享受する上では生産性の向上が必須と説きつつ、肝心の重要方策を無視している。具体的には、労使制度改革や労働組合の役割変更の必要性を論じていないことだ。

これは労働党のいつものパターンで、労働党は生産性向上の鍵としては、教育/職業訓練の充実、イノベーション、インフラ整備、そして規制緩和などを強調しており(注:この規制緩和には労使分野は含まれていない。なお、白書ではこれら4つに加えて、税制改革も挙げている)、労使政策が生産性に与える影響を意図的に無視しているのだ。

言うまでもなくその理由は、生産性向上を目指した労使改革が、労働者、労組の権益と競合するからにほかならない。これに対して保守政党は、生産性向上の中核に労使制度を位置付けてきたし、また生産性問題では「大御所」である生産性委員会(PC)も(注:連邦財務省傘下のシンクタンク的機関。経済合理主義者の牙城であり、産業補助などにも極めて批判的である)、生産性の向上には関連プレーヤーを競争環境に晒すことが重要であることに加えて、労使制度の規制緩和が不可欠との考えである。アジア白書の労使政策無視の姿勢は、ここでも同白書のクレディビリティーを損なうものと言えよう。

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