驚天動地のQLD州選挙

政局展望

驚天動地のQLD州選挙

ナオキ・マツモト・コンサルタンシー:松本直樹

1月31日(土)に実施されたQLD州選挙は、2012年3月の前回州選挙で歴史的な地滑り勝利を収めたばかりの自由国民党政権が、一挙に31議席を失って敗北を喫するという、同じく豪州政治史上でも最大級の大逆転選挙となった。

選挙帰趨

QLD州選挙から2週間近くが経過した2月13日、同州の選挙管理委員会が州選挙の最終結果を公表している。それによると、定数が89のQLD州一院制議会において、与党であった自由国民党は42議席(注:選挙前は73。08年に同州の国民党と自由党とが合併してできた保守政党で、QLD州だけに存在)、一方、野党労働党は44(同9)、カッターの豪州党2(同3)、無所属が1(同4)と、労働党が過半数にはわずかにおよばなかったものの、一挙に最大勢力に躍り出ている。

一方、無所属のウェリントンは、既に労働党への支持を表明していたことから、労働党は合わせて45の過半数に達し、その結果、ニューマン率いる自由国民党政権の敗北と、パラシェイ女史率いる労働党のマイノリティー政権の誕生が確定した。しかも、自由国民党政権誕生の立役者であったニューマンは落選の憂き目を見ている。これを受けて2月14日には、QLD州総督の公邸で、州首相、副州首相、そして財務大臣3人の認証式が実施され、パラシェイが正式に第39代目のQLD州首相に就任。また労働党は、翌15日に同州労働党議員総会「コーカス」を開催し、閣僚候補を選出している。これにパラシェイが所掌を割り振り、16日に新労働党政権が発足した。

QLD州選挙の意義

今次QLD州選挙の帰趨については、与野党の議席差が大幅に縮小することが当然視され、またニューマンが落選する可能性も取り沙汰されていたものの、選挙の当日まで、少なくとも投票所の周辺で実施された、有権者投票行動調査のデータが明瞭になった当日の夕方までに、自信を持って野党労働党が勝利すると予想した政治関係者やジャーナリストは皆無であったと言える。いずれにせよ昨年11月のVIC州選挙に続いて、第1期目に過ぎなかった政権が、しかも今回も保守政権が、再度敗北を喫したのである。ただ、VIC州でも第1期目の政権が敗北するのは1955年以降で初めてであったとはいえ(注:連邦レベルで第1期目の政権が敗北したのは、1931年に一度記録したのみ)、VIC州での保守連合政権の敗北とQLD州自由国民党政権の敗北とでは、「マグニチュード」に大きな差があり、今回のQLD与党の敗北は正に驚天動地の一大政治事件であった。

その理由は、まず「算術」的な面にある。VIC州選挙の場合、保守連合政権は第1期目の政権であったものの、選挙直前の政党勢力分布は、定数が88の下院で与党保守連合が44議席を保持し、野党労働党は43、そして保守系無所属が1であった。要するに野党労働党は、選挙でわずか2議席増を果たしさえすれば、単独過半数の45議席に達することができたのである。これに対してQLD選挙の場合は、定数89の同州議会で、選挙直前の野党労働党は9議席を擁するに過ぎなかったことから、単独過半数を確保するためには実に36議席、マイノリティー政権にしても、それに近い議席数を増加させる必要があった。これだけでも、両選挙結果の「マグニチュード」の違いは明らかであろう。

ただ、VIC州選挙結果とQLD州選挙結果とのより重大な差異は、VIC州選挙の結果の背景には、前労働党政権のパフォーマンスがかなり高かったとの事情があったことだ。確かに、VIC州民の間にベイリュー/ナプサイン保守連合政権への不満があり、他方で、「地味で未知な」アンドリュース野党リーダーへの評価も選挙直前には改善されたとはいえ、それだけでは、約60年振りに1期のみで政権が敗北するといった、劇的な情勢は生まれなかったと考えられた。換言すれば、その状況が現出するためには1つの重要要件が不可欠で、それは、2010年VIC州選挙でまさかの敗北を喫したものの、それまでのブラックス/ブランビー労働党政権が、取り分け経済政策分野で有能な政権であったとの事実である。仮に、前労働党政権への評価が低かった場合は、たとえ保守連合政権に不満があったとしても、有権者がわずか4年で労働党政権に戻したいと考えるはずはなく、ところが、前労働党政権が有能であっただけに、統治能力の点で未知のアンドリューズを選択するという、「冒険」も可能になったと考えられたのである。

これに対して、QLD州の場合は事情が全く異なる。周知の通り、12年選挙での与党労働党の大惨敗は、やはり「イッツ・タイム・シンドローム」(注:現状維持志向の強い有権者も、流石に長期政権には飽きがきて、あるいは辟易として、政権を替えるべきとのムードが高まること)の発生が大きかったと言える。89年以降、国民党主導のボービッジ政権の2年間を除き労働党政権であったとの事実、そして98年以降、連続して労働党が政権の座に就いていたとの事実は、全国の中でも、取り分け現状維持志向が強いとされてきたQLD州民にとっても、あまりに長過ぎたということであろう。ただ同症候群の発生、すなわち多くの州民が長期政権には飽きがきたといった、どちらかと言えば消極的な要因だけでは、選挙史上でも最大級の大敗北の原因は説明できない。むしろ労働党大惨敗の最大の要因は、「有権者の多くが野球のバットを持ちつつ、路地の角でブライ労働党政権を待ち構えていた」こと、換言すれば、有権者の多くがブライ政権に強い憤りを抱き、有権者が積極的にブライ政権を葬り去ろうとしたことであった。以上をまとめれば、第1期目の政権が敗北するという極めてまれな選挙結果となったものの、VIC州の場合は、そういった状況の現出を納得させる、ある種の前提条件、すなわち、労働党前政権への好評価という状況があった。これに対して、12年QLD選挙でのニューマン自由国民党の歴史的大勝利は、エネルギッシュなニューマンの魅力のおかげではあったものの、その背景には、疲弊した長期労働党前政権への強い怒りがあったのである。ところが今次QLD州選挙では、指導部などは当然異なるとは言え、わずか3年弱前に鉄槌を下したばかりの労働党に、またわずか議員数が9人で、「未知の」リーダーに率いられ、しかも政策の詳細も策定していない野党労働党に、州民の多数が投票したのである。

要するに、VICの場合はやや特殊な状況で、そのため「豪州では政権は少なくとも2期は続くのが当たり前」という、歴史的事実に基づく「政治常識」が必ずしも覆されたわけではなかった。ところが今回のQLD州選挙は、前政権への悪評価にもかかわらず、また現政権の継続期間の短さにもかかわらず、現在の有権者は現政権のパフォーマンスが低ければ、あるいは現政権に嫌悪感、怒りを抱けば、先のことは考えずに現政権を懲らしめる、ということを明確にした選挙であった。このことの政治的意味合いは極めて大きい。

自由国民党の敗因

では、歴史的結果となった具体的要因だが、確かに、州民の多くには「未知の人」であったパラシェイ野党リーダーも、選挙キャンペーンでのパフォーマンスは合格点に達するものではあった。ただし、リーダーとしてのパラシェイが州民に積極的に評価されたわけでも、わずか9議員の労働党の政権担当能力が評価されたわけでも決してないし、そもそも詳細な政策を提示していなかったことから、能力を判断しようにも不可能であったと言える。したがって今回の選挙の帰趨は、労働党側に勝因があったのではなく、ほぼすべてが与党自由国民党の敗因によるものと言える。

具体的には、まず第1に、早期選挙、取り分け夏季休暇中、あるいは休暇終了直後の異例の選挙が裏目に出たことである(注:前回豪州で1月に選挙が実施されたのは、1923年のTAS州選挙であった)。一般の意表をつくニューマンの決定が、国民の都合などを無視した、政治家の姑息かつ利己的な動機に基づくものと見られたからだ。第2に、与野党の政策が鋭く対立した故に、また規模が大きいこともあって、ほぼ唯一の政策争点となった、政府の電力部門ならびに港湾部門の民営化問題も(注:実際には99年間の長期リース)、ニューマン政府にはマイナスとなった。第3点として、今回の州選挙は自由国民党政権、より正確にはニューマン州首相への「審判投票」選挙であった。そして、ニューマン政府が州公務員数の大幅削減など、州財政に大鉈を振るったことは、当然の事ながら州民の強い反撥を惹起したばかりか、州内で大規模な抗議行動をも発生させたのである。ただ州民にとっての問題点とは、改革の規模の大きさや改革のスピードの速さだけには留まらない。すなわち、相当に「過激」な改革内容が、改革の必要性を州民に熱心に説明し、納得させる努力もなしに、ニューマンの高圧的、単独的なやり方で進められたことにもあった。

与党の最大の敗因は、この反ニューマン感情にあったと言える。最後に、第4点として、「アボット要因」も一定の働きをしたと言えよう。連邦予算案の中に盛り込まれた不人気な諸政策は、もちろん、QLD州民にも関係するものであり、アボット連邦保守連合政府の政策への反撥が、ニューマン政府への抗議票を生んだ可能性は否定できない。

QLD州選挙のインパクト

政権が第1期目だけで敗北する可能性が十分に有り得ることが、今回のQLD州選挙で強く認識されたことの意味合いだが、まず全国の政権党が、必要な制度改革などに今後および腰となることが大いに懸念される。必要とされる改革とは、通常は長期にわたるもので、逆に短期的にはしばしば国民の痛みを伴う故に、国民には不人気なものである。ところが、わずか1期だけで政権が交代する可能性があるとすれば、政権党はむしろ目先の政治的得点を上げることのみに汲々(きゅうきゅう)となり、また中・長期的な財政上のインパクトなどを無視して、有権者への選挙対応懐柔策、「バラマキ」を熱心に行う恐れがあると言えよう。

一方、QLD州選挙は連邦保守連合政府、正確には、アボット首相のリーダーシップにも甚大な影響を与えることとなった。実は既に昨年の後半以降、各種世論調査でのアボットの低評価を背景に、アボットの指導振り、具体的には、ニューマン並みの独断専行振りや、党内コミュニケーションの不足、そしてアボットのチーフ・オブ・スタッフであるクレダリン女史の、過剰な介入や党内管理に関して、党内、取り分け激戦区を抱える陣笠議員などより盛んに「雑音」、不満の声が上がっていた。ただ、それが一挙に、かつ次期連邦選挙の前に、アボットへのリーダーシップ挑戦にまで発展すると見る向きは極めて少なかった。その最大の理由は、労働党のラッド首相の失脚事件からの教訓、すなわち「10年ラッド降ろしクーデター」によって、労働党が払拭し難いダメージを被ったことからの教訓であった。


2月9日、辞任を求める動議が否決された後、公の場に姿を現したアボット首相(AFP)

ところが今回のQLD州選挙は、自由党陣笠議員を中心とする与党議員を一挙にパニック状況に陥れ、アボット降ろしの動きが顕在化したのである。そして、あれよあれよと言う間に、アボットは臨時の連邦自由党議員総会を開催し、そこで正副党首選挙実施の是非を諮る、指導部不信任動議(Spill)を採決することを余儀なくされている。結果は、動議への支持が39票に対し反対は61票と、動議支持が過半数に達しなかったことから、動議は否決され、したがって正副党首の選挙も実施されずに終わったものの、アボットの権威は相当に毀損されてしまった。確かに、驚天動地のQLD州選挙の結果によるものとは言え、首相在任期間がわずか1年半にも満たない時期に、前回連邦選挙での勝利の功労者で、また厳しい議会情勢の中でそれなりの実績を上げてきたアボットを、しかも労働党政権の「ラッド降ろしクーデター」という悪しき先例があるにもかかわらず、引きずり降ろそうとの自由党内の動きは、やはり正気の沙汰とは思えない。しかしながら、それが賢明か、公平かはともかくとして、既にリーダーシップを巡る状況は危険なレベルにまで達してしまった。

もちろん、アボットの低評価は既に固定化されており、アボットの評価が改善することはないと見るのは早計であるが、今後は、すべてリーダーシップ問題の「色眼鏡」を通して、アボットや政府の動き、自由党議員の言動が注目、精査、憶測されることとなる。いずれにせよ、アボットの今後を占う試金石となるのは、というよりも、アボットの将来を決定する最重要要因となるのは、5月12日(火)に公表される来年度連邦予算案の内容と、同予算案への評価であろう。

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