オーストラリアの田舎で暮らせば㉛集中豪雨が始まる前に

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 オーストラリアの大部分は日本より年間降水量が少なく乾燥しがちとはいえ、私が暮らすサウス・コーストを含む東海岸では例年4〜6月はまとまった雨が降ることがある。秋雨といえば趣のある響きだが、近年は長雨だけではなく激しい集中豪雨に身の危険を感じることもあるのが現実だ。予想以上の集中豪雨に見舞われた朝は、寝起き早々から水への対応に追われることになった。(文・写真:七井マリ)

轟音に起こされた朝

田舎に引っ越してすぐに買った膝まである長靴。雨の日の作業に欠かせない

 ヘリコプターがすぐ頭上を飛んでいるような轟音(ごうおん)で目覚めたと思ったら、屋根や壁を打つ激しい雨の音だった。スマートフォンに届く警報の通知音もかき消されてしまう。外は薄明るくなっていたが、カーテンをめくると視界を遮るほどの豪雨。バケツをひっくり返したような雨とはこのことか。

 かつて短時間のうちに膨大な量の雨が降った時に、外の地面の水はけが追いつかずに家の中まで水が染み込んで来たことがあった。あの時は庭の排水溝が詰まって水があふれたことが原因だったと思い出し、慌てて着替えて玄関ドアを明け、そこで怯んだ。玄関前のひさしの下に多量の雨が吹き込んだらしく、そこは一面の水たまり。その上を跳び越え、物置きにあるレインコートと長靴を急いで身に着けると、叩きつけるように雨の降る外へ出た。

 緩やかな傾斜地の中ほどに建つ家屋の周辺には、高い側と中腹の2カ所に主要な排水溝が配されている。周りの土中に浸透しきれない雨水の排水のためだ。行ってみるとどちらの排水溝からも水があふれ、辺り一帯は浅い池のように水が溜まっていた。水流に押し流されてきた大量の枝葉が、排水桝(ます)の金網や地下パイプへ続く入り口に詰まって水をせき止めてしまっているようだ。
 雨はレインコートの中まで冷たく入り込んでくるが、排水を改善しなければあふれた水が家の方まで広がり、浸水につながる恐れがある。中の見えない泥水に何度か手を突っ込んで詰まりを取ると、排水溝は轟音と共に水を流し始め、周辺の水かさは徐々に減っていった。

家への浸水を食い止める

周辺の地面は粘土質で、平地は水はけが悪い

 部屋に戻って温かい朝食を摂るころに雨はやや静まったが、2時間後には激しい音を立てて豪雨が再開した。ほどなくして、居室の一角に少量の水が染み込んで来た。朝の雨水がまだ地表に残っている所に豪雨の上乗せだ。家の周りはほとんど土なので雨水が染み込んでくれればいいのだが、この辺りの地質は粒子の細かい粘土質。土中に水が浸透しにくく、雨水のほとんどは地表にとどまってただ低い方へと流れるため、アスファルトの表面と大差ない。

 外の排水溝は機能していたにも関わらず容量を超えた水があふれ、隣のカーポートへと流れ込んでいた。その奥に家屋があり、室内に水が入ったポイントと近い。既存の排水設備では対応しきれないほどの雨量なのだ。

 急いでカーポートへの水の流入を止めなければならない。まずは土嚢代わりに、大きな鉢植えや園芸用の砂利が入った袋、材木などを引きずってきてカーポートへの水流を妨げる。それからスコップで手前の地面を浅く掘り下げて水流を食い止め、そこに溜まった水を流すためにさらに低い方に向かって簡易的な水路を掘る。雑草の固い根に手こずったが、カーポートへの水の侵入はどうにか止まった。

 豪雨の中での作業の後、乾いた服に着替えてから見たニュースでは、近隣の町の道路が冠水し、水没した車から人が救助される様子が映し出されていた。

雨降りの前のチェック・リスト

開きかけのカメリアの花が秋の豪雨で落ち始めてしまった

 集中豪雨の前夜、雨がわずかに降り出したころに、何匹ものミミズが家の窓ガラスを登る姿を初めて見た。地表付近にいたら多量の雨水でおぼれてしまうことをミミズは本能で察知し、避難していたのだろう。
 人間はというと、気象情報だけが頼りだ。田舎に移り住んでからは豪雨の前に、排水溝や雨どいに溜まった枯れ葉や小枝を取り除き、水が確実に流れるようにしておくことが習慣になった。何しろ自然が豊かな場所なので、無限に降り注ぐ木の葉や花弁は防ぎようがない。いつの間にか地下パイプに木の根が入り込んで育ってしまっていたこともあった。造園や建築の素人なりに雨水排水の重要性に関心を持つようになったのは、緑と土に囲まれた住環境のおかげといえる。

 家庭菜園用のガーデン・ベッドや鉢植えには適度な雨は歓迎だが、豪雨にさらせば野菜の苗や土の養分が台無しになるかもしれない。雨量の予測をにらみ、水浸しになる恐れがあれば直前にトタン板やビニールシートで覆う。

 何日も続く大雨や、1時間に50ミリ以上も降る集中豪雨の予報が出た日は、判断を誤らないようにと気を張ることもある。それでも予測を超える量の雨が降ったら、ただ止むのを待つ他にない。

自力でリスクに対処する暮らし方

雨が何日も続き、古い切り株から次々とキノコが生えてきた

 この地域だけを見ても、昔は年に一度あるかないかだった水害が近年は頻繁に起きるようになったと報じられている。オーストラリアの他の地域では過去数年、集中豪雨で大規模な洪水が何度も発生し、住居の屋根近くまで浸水した例もあった。集中豪雨の頻度と深刻さは都市部も含め全国的に増していて、気候変動の影響を否が応でも意識する。

 同時に思うのは、都市圏で暮らしていたころは雨水排水にしても見えない地下で処理され、自分で対策を試行錯誤したことはなかったということだ。一方、自然の中での生活においては自らリスクの予測や対処が必要で、大変さが目立ちはする。それでもここでの暮らしには、自分次第で生活との向き合い方をいかようにもできる自由があると感じる。必然的に、激化する自然災害の一因である気候変動に対する当事者意識も持ちやすくなった。自然を相手に臨機応変に生きる田舎での毎日が、いっそう考える機会を与えてくれている気がする。

著者

七井マリ
フリーランスライター、エッセイスト。2013年よりオーストラリア在住





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